今月8日の新聞に次のような小さな記事が掲載された。
「来日中のトルコのアブドラ・ギュル大統領が7日、和歌山県串本町にある(オス
マン)トルコ軍艦、エルトゥールル号の慰霊碑を訪れ、犠牲となった乗組員の追悼
式に参列した」
エルトゥールル号遭難事件・・・・・・明治23(1889)年9月16日、エルトゥールル号は
日本からトルコへの帰路、紀伊半島沖で台風のために遭難。乗組員587名が死亡・
行方不明となる大惨事となった。
このとき、大島村(現在の串本町)の住民は献身的な救助活動を展開、69名を救
助した。
この事件に明治天皇もできるかぎりの援助を指示したといわれている。そして、日
本海軍の「比叡」、「金剛」が生存者をトルコまで送り届けたのである。
この遭難事件は日本とトルコの友好関係の原点として、とくにトルコでは知られて
いる。
当時の人々はほとんど江戸時代の生まれである。今から考えてもブンダバー!(す
ばらしい)といえる「献身的な救助活動」を行ったのである。
(献身的な救助行為がブンダバーである。)
「来日中のトルコのアブドラ・ギュル大統領が7日、和歌山県串本町にある(オス
マン)トルコ軍艦、エルトゥールル号の慰霊碑を訪れ、犠牲となった乗組員の追悼
式に参列した」
エルトゥールル号遭難事件・・・・・・明治23(1889)年9月16日、エルトゥールル号は
日本からトルコへの帰路、紀伊半島沖で台風のために遭難。乗組員587名が死亡・
行方不明となる大惨事となった。
このとき、大島村(現在の串本町)の住民は献身的な救助活動を展開、69名を救
助した。
この事件に明治天皇もできるかぎりの援助を指示したといわれている。そして、日
本海軍の「比叡」、「金剛」が生存者をトルコまで送り届けたのである。
この遭難事件は日本とトルコの友好関係の原点として、とくにトルコでは知られて
いる。
当時の人々はほとんど江戸時代の生まれである。今から考えてもブンダバー!(す
ばらしい)といえる「献身的な救助活動」を行ったのである。
(献身的な救助行為がブンダバーである。)
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