このブログでも何回か取り上げているが、私は、陳清波と杉原輝雄と
は違った意味で、天才プロゴルファー戸田藤一郎の「ファン」だった。
と言っても、一度も生のプレーを見たことはない。
プロを教えられるプロは、唯一戸田藤一郎だけと言われた。杉原さん
も小柄だが、戸田さんは160cmもないくらい小柄だった。
本書は、戸田藤一郎の生涯を書いたものだ。
本書の内容は裏表紙に次のようにまとめられている。
本当は小心者だった。だから女に溺れ、大酒を飲んだ。そして人に
隠れ、深夜、猛練習をした。心を読まれないように黒いシャツ、黒い
ズボン、黒い眼鏡で試合にのぞんだ。武器は、「右手はアクセルや。
右手のスピードで飛ばすのや」という300ヤードのロングドライブと、
風を切り裂いてピンに絡むパンチショット。18歳で初優勝。24歳で
グランドスラムを達成し、戦争の10年をはさんでまた優勝、さらにゴ
ルフ界追放のブランクを経て14年後再び優勝。56歳のときに、公
式戦で34歳の杉原輝雄を破った日本最強のゴルファー・戸田藤一
郎の破天荒な勝負師人生。
昭和42(1967)年、高校2年生の私は、四日市カンツリー(--「カ
ントリー」ではない。)倶楽部で開催された関西オープンゴルフを一人
で観戦に行った。残念ながら、私がゴルフ場に着いた時は既に試合
が終わり、表彰式が始まっていた。優勝は関西(中部)初の「学士プ
ロ」の鈴村照男だった。
関西ゴルフ連盟理事長(--当時は乾豊彦氏?)だったかが、5位か
6位に入賞した戸田藤一郎を褒めていたのを覚えている。当時、戸田
は52歳、その話をうつむいて聞いていた。
戸田は、昭和38年48歳に、当四日市CCで開催された日本オープン
で優勝しており、このコースが好きだったようだ。48歳で日本オープ
ンに優勝した時も話題となったが、54歳、56歳で関西プロに優勝した
時は大騒ぎだった。
<戸田藤一郎 年譜>--本書などを参考に私がまとめたもの--
大正3(1914)年11月22日、兵庫県武庫群魚崎町で生まれる。
昭和7(1932)プロ資格。17歳。
昭和8(1933)広野GC入社
昭和9(1934)関西プロ初優勝(19歳)
昭和10(1935)4月渡米。10月日本プロ優勝。12月再渡米。
昭和14(1939)年間グランドスラム達成
昭和16(1941)広野GC追放
昭和24(1949)関西オープン優勝。プロ資格はく奪。
昭和34(1959)関西ゴルフ復帰
昭和35(1960)日本プロゴルフ協会入会
昭和59(1984)年7月11日死去。69歳。
<4大タイトルの優勝歴>
関西プロ;昭和9年(19歳)、11年、13年~15年、44年(54歳)、46
年(56)
関西オープン;昭和13年、14年、24年
日本プロ;昭和10年、13年~15年
日本オープン;昭和14年、38年(48)
日本プロシニア;昭和41年~45年、47年
昭和14年;年間グランドスラム達成(関西プロ、関西オープン、日本プ
ロ、日本オープン)
早瀬利彦『日本最強のプロゴルファー伝』(小学館文庫)
ちなみに・・・・・・
宮本留吉;明治35(1902)9/25~昭和60(1985)/12/13(83)
中村寅吉;大正4(1915)/9/17~平成20(2008)/2/11(92)
陳清波;昭和6(1931)/10/1~(現在85)
杉原輝雄;昭和12(1937)/6/14~平成23(2011)/12/28(74)
河野高明;昭和15(1940)/1/4~平成22(2010)/4/22(70)
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