8月14日(土)、NHK「ヒトラーに傾倒した男~A級戦犯・大島
浩の告白」を視聴する。
NHKによる番組紹介
“ナチス・ドイツに最も食い込んだ日本人”と言われ、戦後A級戦犯として終
身刑の判決を受けた元駐ドイツ大使・大島浩。終戦後、公の場に姿を現すこ
となく沈黙を守り続けた男の貴重な肉声テープが残されていた。ヒトラーと
の蜜月、日独伊三国同盟の舞台裏、国をミスリードしたことへの反省などを
赤裸々に語っている。初公開となる証言テープを専門家とともに分析、太平
洋戦争のキーパーソン・大島浩の実像と現代への教訓に迫る。
当時から問題視はされていたが、日本が日独伊三国軍事同盟を締
結したのは「失敗」だった。
この締結に大きくかかわったのが、松岡洋右(外相、1880-1946)
と大島浩(駐独大使、1886-1975)である。
松岡も大島も極東軍事裁判でA級戦犯として起訴される。
大島は1票差で絞首刑を免れている(松岡は公判中に死去)。
(注)1票差で絞首刑を免れたのは、他に3人いる。--荒木貞夫、
嶋田繁太郎、木戸幸一である。
大島は、戦後「自分には責任がある」として一切公には出ず、多
くを語らなかったと言われてきた。
しかるに、歴史学者の三宅正樹氏を相手に、表には出さない約束
のうえで、長時間インタビューのテープを残していた。
まさしく世紀の大発見だ。
インタビューでは、盛んに「ヒトラーは天才ですからね」と言っ
ていた。
「三国同盟は私が言い出したことですからね~」
「スターマーが来日した時は真っ先に私を訪ねた」
等々。
こう言ってはなんだが、ヒトラーに「傾倒した」男というよりは、
「かぶれた」と言い換えた方が分かりやすいのかもしれない。
戦前の軍人には、「ロシア通」とか「シナ通」(当時は中国のこ
とを支那と読んでいた。)とかがいたが、大島浩はまさしく「ド
イツ通」であった。
ちなみに松岡は対米英開戦となった時に、「三国同盟は一生の不
覚だった。死んでも死にきれない」などと泣いたという。
三宅正樹氏
甥の槇恒治さん
リッベントロップの娘さん登場にビックリ!
ヒムラーのメモ(大島と会見した時のもの)
日独伊三国同盟調印
「私は2回ドイツの軍を視察しているんです。実に立派にできてい
る」
秋丸機関→こちら。
『昭和史講義』
大島浩は、本書に書かれたリーダーと軍人には登場しない。
牧野邦昭『経済学者たちの日米開戦』
秋丸機関についての研究書。読売・吉野作造賞受賞。
牧野先生は、本年度から慶應経済の教授。
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大島が戦後に語った生テープにも「独逸の戦力(軍事力)だけを見ていて国力や情勢は見ていなかった!!」と言ってましたな。大島自身は根っからの陸軍軍人で、最終階位は陸軍中将で、父親(大島健一)も陸軍大臣までなった人らしいですね?
見るものがかぶりますね~(笑)。
父親の健一もドイツ留学の経験あり、大島浩は徹底したドイツ式教育を受けたようです。
父健一は昭和22年、88歳で亡くなりましたが、息子の戦犯指定にはどんな想いだったのでしょうか。