6月27日(日)、新国立劇場(中劇場)で三島戯曲のオペラ化である『鹿鳴館』
(初演)を観た。
戯曲『鹿鳴館』(ろくめいかん。カメイカンではない。)は昭和31年--三島由紀
夫31歳の年、文学座20周年のために委嘱された作品である。文学座はもとより新派
でも演じられており、市川昆監督で映画化もされている。最近でも劇団四季で公演
されたのではなかったかしらん。
このオペラ化は、故若杉弘さんから池辺さんへの提案であったという。舞台を知っ
た指揮者若杉弘と作曲家池辺晋一郎そして文学座の鵜山仁(いずれも敬称略)とい
う絶妙の組み合わせで完成したといえよう。
原作;三島由紀夫
作曲;池辺晋一郎
指揮;沼尻竜典
演出;鵜山 仁
演奏;東京交響楽団
景山伯爵;与那城敬
同夫人;腰越満美
大徳寺侯爵夫人;坂本朱
その娘顕子;安井陽子
清原栄之輔;宮本益光
その息子久雄;小原啓楼
女中頭;大林智子
ほか
あらすじ(お読みになるかは自由。)は、あえて最後に記すとして、一言でいえば
明治時代、鹿鳴館を舞台にしたドロドロの愛憎劇である。
本オペラを観終えた直後の感想は、よくオペラ化したものだなぁというものだった。
元々がお芝居の台本にできるかぎり忠実に作曲したようだ。アリアめいたものはな
く、♯、♭も多用した台詞の音符化とでもいえばいいのだろうか。池辺さんは、あ
くまで(音楽ある)ドラマ(--音楽的演劇かしらん。)を作りたかったと書いて
おられた。歌手が歌うは、三島の日本語であるが、ステージ上方には念のための字
幕があった。
歌手は、主演の腰越満美をはじめそれぞれが「役割」を演じ、一人ひとりの名前を
あげるまでもなく、みな本当にうまかった。
最後の舞踏会の場面は、鵜山さんらしい演出も感じ取れた。むろん本公演の成功は
沼尻竜典/東京交響楽団によっても導かれたものであろう。本初演にかかわった人
々すべてにあらためて拍手を送りたい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/29/678dd498f2c86ca612a87d9de6133091.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/c8/5e96a2c39feba26253cbce0b853144c3.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7f/a4/f90a5f428f6506a302a1a5d09043fd12.jpg)
原作(新潮文庫版)
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<あらすじ>goo映画『鹿鳴館』(リンクフリー)より
(以下には結末が書かれています。)
明治19年11月3日、日比谷の練兵場では天長を祝う観兵式が行われていた。外務卿の
影山伯爵は、内閣切っての実力者と自他共に認める存在だった。政府に巨額な予算
で鹿鳴館を建設させたのも彼の力である。
元、新橋の芸者だった妻の朝子は、輝くような美しさと人当りのよさで華族夫人た
ちの中心となっていた。公卿の出、大徳寺侯爵の令嬢節子も朝子を崇拝するひとり
で、恋人の問題を相談した。恋人の名は清原久雄、その名を聞いた時朝子は心臓が
止まる程ショックを受ける。
2日後の鹿鳴館での天長の舞踏会では久雄の父、清原永之輔の指揮で自由党の残党
が襲撃を計画していた。久雄を邸に呼んだ朝子は、20年以上もひとり胸にしまって
あった秘密を打ち明けた。芸者時代の永之輔との愛と、久雄の母親であることを。
朝子は久雄の命と恋を全うさせたいと思いひそかに永之輔をたずね、襲撃を中止す
るよう懇願した。襲撃計画は既に影山の情報網のキャッチするところとなっていた
のである。帰宅した朝子は、影山に舞踏会に壮士の乱入はないと告げる。影山にと
って襲撃事件はどうしても必要だった。それを利用して永年の敵である清原永之輔
を抹殺すべきだと考えていたのだ。そして、女中頭草乃を買収し妻の秘密を知った。
舞踏会の当日、影山は清原の政敵とも言うべき飛田天骨を呼び出し、壮士の乱入の
中止を告げ代わりの壮士を至急揃えるよう頼んだ。また、父親に反発している久雄
をそそのかし、清原を倒すようにしむけピストルを握らせた。影山の使いで清原の
家へ出向いた草乃は、清原の壮士たちが命令にそむいて乱入したので止めに来てほ
しいと告げる。
鹿鳴館ではかつてないほどの大舞踏会が始まり、女主人の朝子が内閣総理大臣伊藤
博文などを出迎えていた。突然、白刃をかざして鹿鳴館に乱入して来た壮士たちの
前に、凛として立ちはだかったのは朝子だった。その時、父親に裏切られたと久雄
が外に飛びだして行く。追いかけた朝子は清原の銃弾に倒れた久雄の姿を見つける。
約束を破ったと罵しる朝子に、清原は壮士たちは自分の塾生でないこと、久雄は自
分に殺されたかったのだと告げた。朝子は影山に家を出て清原について行くと言う
が、その頃、清原は拳銃で自害していた。
(初演)を観た。
戯曲『鹿鳴館』(ろくめいかん。カメイカンではない。)は昭和31年--三島由紀
夫31歳の年、文学座20周年のために委嘱された作品である。文学座はもとより新派
でも演じられており、市川昆監督で映画化もされている。最近でも劇団四季で公演
されたのではなかったかしらん。
このオペラ化は、故若杉弘さんから池辺さんへの提案であったという。舞台を知っ
た指揮者若杉弘と作曲家池辺晋一郎そして文学座の鵜山仁(いずれも敬称略)とい
う絶妙の組み合わせで完成したといえよう。
原作;三島由紀夫
作曲;池辺晋一郎
指揮;沼尻竜典
演出;鵜山 仁
演奏;東京交響楽団
景山伯爵;与那城敬
同夫人;腰越満美
大徳寺侯爵夫人;坂本朱
その娘顕子;安井陽子
清原栄之輔;宮本益光
その息子久雄;小原啓楼
女中頭;大林智子
ほか
あらすじ(お読みになるかは自由。)は、あえて最後に記すとして、一言でいえば
明治時代、鹿鳴館を舞台にしたドロドロの愛憎劇である。
本オペラを観終えた直後の感想は、よくオペラ化したものだなぁというものだった。
元々がお芝居の台本にできるかぎり忠実に作曲したようだ。アリアめいたものはな
く、♯、♭も多用した台詞の音符化とでもいえばいいのだろうか。池辺さんは、あ
くまで(音楽ある)ドラマ(--音楽的演劇かしらん。)を作りたかったと書いて
おられた。歌手が歌うは、三島の日本語であるが、ステージ上方には念のための字
幕があった。
歌手は、主演の腰越満美をはじめそれぞれが「役割」を演じ、一人ひとりの名前を
あげるまでもなく、みな本当にうまかった。
最後の舞踏会の場面は、鵜山さんらしい演出も感じ取れた。むろん本公演の成功は
沼尻竜典/東京交響楽団によっても導かれたものであろう。本初演にかかわった人
々すべてにあらためて拍手を送りたい。
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原作(新潮文庫版)
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<あらすじ>goo映画『鹿鳴館』(リンクフリー)より
(以下には結末が書かれています。)
明治19年11月3日、日比谷の練兵場では天長を祝う観兵式が行われていた。外務卿の
影山伯爵は、内閣切っての実力者と自他共に認める存在だった。政府に巨額な予算
で鹿鳴館を建設させたのも彼の力である。
元、新橋の芸者だった妻の朝子は、輝くような美しさと人当りのよさで華族夫人た
ちの中心となっていた。公卿の出、大徳寺侯爵の令嬢節子も朝子を崇拝するひとり
で、恋人の問題を相談した。恋人の名は清原久雄、その名を聞いた時朝子は心臓が
止まる程ショックを受ける。
2日後の鹿鳴館での天長の舞踏会では久雄の父、清原永之輔の指揮で自由党の残党
が襲撃を計画していた。久雄を邸に呼んだ朝子は、20年以上もひとり胸にしまって
あった秘密を打ち明けた。芸者時代の永之輔との愛と、久雄の母親であることを。
朝子は久雄の命と恋を全うさせたいと思いひそかに永之輔をたずね、襲撃を中止す
るよう懇願した。襲撃計画は既に影山の情報網のキャッチするところとなっていた
のである。帰宅した朝子は、影山に舞踏会に壮士の乱入はないと告げる。影山にと
って襲撃事件はどうしても必要だった。それを利用して永年の敵である清原永之輔
を抹殺すべきだと考えていたのだ。そして、女中頭草乃を買収し妻の秘密を知った。
舞踏会の当日、影山は清原の政敵とも言うべき飛田天骨を呼び出し、壮士の乱入の
中止を告げ代わりの壮士を至急揃えるよう頼んだ。また、父親に反発している久雄
をそそのかし、清原を倒すようにしむけピストルを握らせた。影山の使いで清原の
家へ出向いた草乃は、清原の壮士たちが命令にそむいて乱入したので止めに来てほ
しいと告げる。
鹿鳴館ではかつてないほどの大舞踏会が始まり、女主人の朝子が内閣総理大臣伊藤
博文などを出迎えていた。突然、白刃をかざして鹿鳴館に乱入して来た壮士たちの
前に、凛として立ちはだかったのは朝子だった。その時、父親に裏切られたと久雄
が外に飛びだして行く。追いかけた朝子は清原の銃弾に倒れた久雄の姿を見つける。
約束を破ったと罵しる朝子に、清原は壮士たちは自分の塾生でないこと、久雄は自
分に殺されたかったのだと告げた。朝子は影山に家を出て清原について行くと言う
が、その頃、清原は拳銃で自害していた。
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