最近、「満州事変」の関連から少しく「日米関係史」を勉強中だ。
明治38(1905)年、日露戦争に勝利する(実際は6:4の優勢勝ち?)。
ペリー来航から「52年後」だった。
日本は、その後、欧米列強と同様に東アジアで勢力を拡大する。
そのさなか、明治41(1908)年3月、アメリカ大統領セオドア・ロ
ーズヴェルト(共和党)は、大西洋艦隊、16隻(日本の倍以上の規
模)の戦艦を世界一周示威運動として派遣する。
日本への来航は、その年10月のことだった。
これが明治41(1908)年の「白船来航」と言われた出来事だ。
欧米では日米戦争が始まるのではないかと噂されたが、日本はこれ
を大歓迎(第一次西園寺内閣~第2次桂内閣)。
猪瀬直樹『黒船の世紀』には、少し長くなるが、次のように書かれ
ている。
艦隊が横浜に入港した日の新聞(朝日、10月18日付)には「艦隊来航観」と題
した大隈重信(【注】当時は早稲田総長?)の談話が掲載されている。まるで
アメリカ側に立って日本国民を諭すような口調である。
まず幕末の黒船来航に触れ、あれは日本にとって非常に意義深いもので、天の配
剤であったとまで述べた。
「群雄割拠の封建制度ではとうてい国政の統一は保たれない。外部よりの圧迫に
対してはぜひ挙国一致でなければならぬという新しき国家思想なるものがはじめ
て現出して尊王論を喚起し、国家と天皇との連絡を生じて尊王攘夷の二語が語ら
れるにいたった」
大隈は、たいへん重要なことをさらりと漏らしている。
沖合に停泊中の戦艦から、司令官や艦長など高級将校がランチに乗り上陸した。
横浜市内の全小学生が動員され、男子生徒は日米両国の小旗を振り、女子生徒は
「菊の花束を持ちつつ咽喉も破れよと万歳万歳を連呼」した。
翌日、一行は鉄道で東京へと向かった。新橋駅のホームは一千名の小学生であふ
れんばかりで、汽車が到着するといっせいに「星条旗よ永遠なれ」を歌っている。
日本とアメリカは、ペリー来航以来、「摩擦と協調」を繰り返して
きたが、吉田茂が言うように「日本外交の基調は、明治以来、親英
米である」のかもしれない。
それにしても猪瀬さんはよく調べたものですね~。
猪瀬直樹『黒船の世紀』(文春文庫) ★×5。
猪瀬直樹46歳の力作!力作は40代に生まれる。司馬遼太郎然り?
<参考書>
『現代の日本史A』(山川出版社)
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