人生ブンダバー

読書と音楽を中心に綴っていきます。
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昭和48年とブラームス「運命の歌」

2015-04-16 05:00:00 | 音楽

ワグネル(男声)では、福永先生と北村先生の男声合唱編曲版が
多かった。
マーラーの「さすらう若人の歌」が福永先生の編曲であるのに対して、
ブラームスの「運命の歌」は北村先生の編曲だ。

以前書いたかもしれないが(--たしかに書いている)、
私たちの責任学年だった昭和48年(その年は1973年というよりも
「昭和48年」として記憶している)の六連と定演で、畑中先生の指揮
でブラームスの「運命の歌」を歌った。ピアノ伴奏は六連が久邇先生、
定演が三浦先生だった。


余談だが、夏合宿で芸大に進学されたワグネルOBの某先輩が、「芸大
で○○先生の指揮で歌ったことがあります」と畑中先生に言ったところ、
先生は静かに「フフ、私の方がいいですヨ・・・・・・」とおっしゃっていた。


昭和48年は、授業料値上げの「学生ストライキ」があり、授業再開の恐れ
から春の演奏旅行はキャンセル、春合宿も2回に分けて行っている。

「運命の歌」に決る前、畑中先生のインスピレーションでは柴田南雄さん
(1916-1996)の「優しき歌」だった。

「柴田さんに電話して、編曲をお願いして。電話番号はこれこれ」と畑中
先生に仰せつかり、早速柴田先生に電話したが、柴田先生の第一声は、
忘れもしない、「それは畑中先生がおっしゃったの?」だった。
結局、編曲はできあがらず、3月になって「フーム、じゃ『運命の歌』」
(畑中先生)ということに。

4月13日、あわただしく音とりから始め、畑中先生の1回目の練習を
なんとか無事に終えたときはホッとした。

5月には連休をつぶして、強化合宿を行った。その時、ワグネルとして
初めてお世話になった合宿所が「大謙館」である。


六連のゲネプロは世田谷区民会館だった。ところが、定刻になっても
ピアニストの久邇先生がいらっしゃらない(まことに「一寸先は闇」)。鎌倉
だったかしらん、ご自宅へ電話しても「とうに出ましたよ」とのお返事。久邇
先生が来られた時にはゲネプロは終わっていた。なんでも車で出られたが、
道路渋滞で進まなかったようだ。今と違って、携帯電話があるわけでもなく、
先生も運転しながら、イライラされたことだろう。畑中先生、大久保先生は
「激怒」されなかったものの、口々に「こんな時に車はだめよ~」とおっしゃ
っておられた。


と、いろいろあったものの、5月27日の本番ではなかなかいい演奏をする
ことができた。
2週間ほどして、木下先生が六連のテープ録音を聴かれ、「聴いたよ。
ワグネルはドイツ人だね。ウヘヘ」と大変ご機嫌だった。
W大学の「水のいのち」については、「遅すぎるね~。あまりにも遅い。あれ
じゃ、冗長だね」と言っておられたのだが。


その六連録音を久しぶりに聴いた。マンションでお隣に気を使いながら、
20くらいのボリュームで聴くのでは本当の良しあしは分からないが、それ
でもドイツ語の語感といい、パートごとの音色といい、ディナーミクといい、
やはり、「なかなかいい演奏」である。最近は後奏の部分でハミングを入れ
ている(フランクにいうと個人的には気に食わない)が、そこにはハミングも
なく、直立不動でブラームスの音楽に入り込んでいたことを思い出す。



ちなみ、W大の「水のいのち」より「雨」は3′43″。定演で演奏した木下先生
の同曲は2′43″だった。前者は遅い演奏で晩年のクレンペラーが指揮して
いるようだ。

前奏の出だしで「うわっ、こりゃ遅い」とか「こりゃ、速い」と分かる。



4月15日(水)おなじみの風景。


ハナズオウ


八重桜








カリタス女子短大





駿河台道灌道の遅咲き桜


神田駿河台3


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