6月10日(金)、宇野功芳さんが亡くなった。86歳だった。
宇野さんは、『レコード芸術』誌でずっと月評を担当していた。このと
ころ、月評に登場していなかったので、どうしたのかしらん?と思っ
ていたら、5月発売の『レコード芸術』6月号に、昨年の11月に硬膜
下血腫の手術をして、外出は車いすになってしまったという趣旨のこ
とが書かれていたところだった(「閑話芳題」)。
宇野さんを知ったのは、その著書『名曲とともに』(昭和52年3月購
入)を手に取った時だ。この本は、名曲・名演奏の案内というよりは、
自伝風のエッセイで、今読み返しても私にはおもしろい。
それ以来、書店で宇野さんの本を見つけると買うようになった。昭
和52~53年の話である。
今では、私の書棚には、宇野さんの本が20冊以上並んでいる。
宇野さんの声を聴いたのは、昭和52年末のラジオ放送(FMだった
かな?)だ。その年のレコードアカデミー賞(管弦楽部門)を受賞し
た、ショルティ/シカゴのR.シュトラウス作曲交響詩『ツァラトゥスト
ラかく語りき』をいい声で紹介していた。
宇野さんは、昔から女声合唱がお好きだったが、『レコード芸術』
2007年5月号に「芸術家・畑中良輔の真骨頂! 85歳メモリアル・
コンサートでの男声版≪水のいのち≫」を書いたことがあった。宇
野さんは、最後まで男声版『水のいのち』を振らなかったという。
宇野さんにはいろいろな名盤を教えてもらった。中でも
○メンデルスゾーン 交響曲第3番「スコットランド」(クレンペラー指揮)
○ブリテン シンプル・シンフォニー(ブリテン指揮)
○「クナーパーツブッシュ・ポピュラー・コンサート」
は、繰り返し聴いた。
今も、このブログを書きながら、メンデルスゾーンの「スコットランド」
を聴いている。
宇野さん、有難うございました。安らかにお眠りください。
写真左から
『名曲とともに』(昭和49年6月初版。昭和50年1月第2刷)
『たてしな日記 改訂版』(昭和49年10月初版)
『モーツァルトとブルックナー 増補改訂版』
(昭和48年10月初版。昭和52年5月増補改訂版第2刷)
『オーヴェルニュの歌』(昭和51年初版)
いずれも帰徳書房発行、昭和52~53年購入。
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宇野さんの書いたものを初めて読んだのは中学生の頃。ちょうどその頃日本コロムビアがブルーノ・ワルターの全集を出すと言うことでレコード芸術やステレオ誌の特集が組まれその中で対談や、書き下ろし記事を読んだのが宇野さんを知った始めでした。
私はといえばこの少し前にたまたまワルターの指揮する田園交響曲のステレオレコードを親にねだって買ってもらったのですが、ワルターという指揮者がよく分からず良いタイミングで出た前日の雑誌を読んでというより宇野さんの書いたものを読んで、ワルターという指揮者を知ったというわけです。
その後は、音楽・レコード雑誌上で福永陽一郎さんとトスカニーニやフルトヴェングラーを巡って論争(というより喧嘩ですね)をしたものを面白おかしく読んだり、KTU合唱団のコンサートに出かけたりということでした。
KTU合唱団は私が聴いた頃は解散直前でまた聴いてみたいと思ったときにはすでに無く、とても残念に思ったものでした。その頃聴いたコンサートで、合唱団では男声は慶応ワグネル、女声はKTUが「ステージから音楽が聞こえる」団体だったと思います。
宇野さんは書いたものも面白かったのですが、女声合唱団の演奏・指揮がとても良いもので、レコードも何枚か買ったものです。
宇野さんの訃報を聞いて、「宇野功芳 樂に寄す」(音楽之友社2010年12月初版)を読んでみました。そして宇野さんが書いたものには必ず登場するモーツアルトのアイネ・クライネ・ナハトムジーク:ワルター指揮・ウィーン・フィルハーモニーを聴きました。SP盤です。
合掌
KTU=小松川高校定時制ですネ。KTU女声合唱団の第1回発表会は、昭和40年でした(『たてしな日記』)。貴重なお話、有難うございます。
私が宇野さんの女声合唱で思い出すのは、いま原典にあたる余裕はないですが、『水のいのち』が『レコード芸術』で取り上げられた時でしょうか?畑中先生がその中で「福永陽一郎氏にも感想を聴いてみたい」という趣旨のことを書いておられたことです。
第1回発表会は、昭和41年1月でした。