1.日本藝術院会員特別講演会--畑中良輔「私の音楽人生」
いささか旧聞となるが、9月25日(土)午後2時~3時半、日本藝術院で畑中先生の
講演を聴いた。日本藝術院は上野の東京文化会館の隣にある。中に入るのは無論初
めてである。
講堂正面の舞台--白いレースが掛けられた机上にマイクが置かれており、マイク
の隣には花が飾られていた。舞台後方には「日本藝術院会員特別講演会」の横断幕。
この講演は「上野の山文化ゾーンフェスティバル」の一環だそうである。最初に日
本藝術院院長の三浦朱門さんから「畑中先生にもし音楽の才能がなかったら・・・・・・」
という挨拶があった。
畑中先生は(車椅子ではなく)左手に杖をついてゆっくり登場、正面に座られるや、
いいバリトンで「皆さん、こんにちは。かろうじて生きております」(会場笑)。
私などには考えられないのだが、原稿メモ一切なしの講演である。
講演内容は、畑中先生の自伝的エッセイ『繰り返せない旅だから』シリーズ(音楽
之友社。全4巻)からのハイライトであった。
東京音楽学校受験は無茶だと笑われた「O先生」はオイカワ先生という実名で登場
した。今でも「やめたまえ」というオイカワ先生と数学の試験の夢をご覧になるそ
うだ。「別にオイカワ先生を憎んでいるわけではなく、人間、何かに意地になるこ
とも必要だと思います。今でも音楽に自信がなくなると、あの時に笑われた悔しさ
を思い出し、奮い立ちます」。
音楽学校受験、暁星中学、青山中学の教師体験、陸軍の兵隊時代などおもしろい話
が続いた。青山中学の教え子が元法政大学総長の清成忠男先生(*)である。いつ
ぞや若き畑中先生のことを(今や購読していない)日経新聞にお書きになっておら
れたので、畑中先生に拡大コピーしてお送りした。当日はまたクワバラさんという
「教え子」が山形から来ておられ、紹介された--66年ぶりだという。
(*)清成忠男先生には、11/3付で瑞宝大綬章が送られた。(11/4追記)
最後に聴衆からの質問タイム--60代後半とおぼしき男性から「合唱をしていて、
息が続かないのですが、どうすればいいでしょう?」という質問。畑中先生は「あ、
ちょっとこっちへいらっしゃい」と舞台へ招き、「まず肩の力を抜いて、背中にブ
レスを入れる」と質問者の背中を支えながら「ここ、ここに入れてご覧なさい。そ
うそう、それでハミングして」と熱中されていた。
畑中先生が思いのほかお元気なので安心して家路についた。
なお、本公演はNHKでTV放送されるようである。--お楽しみに!
日本藝術院会館
2.コール・マルシュナー第2回演奏会
10/16(土)、大先輩の下田さんからお誘いいただき、銀座ブロッサム中央会館でコ
ール・マルシュナーの演奏会を聴いた。下田先輩属する同男声合唱団は福島高校(音
楽部)のOB合唱団である。飲んでいるだけではつまらないと合唱活動に復帰し、2年
前に第1回演奏会を開催されたという。
会場に着くと文字どおり長蛇の列にビックリ!並んだ聴衆は平均70歳くらいであろう
か。オンステメンバーは平均73歳(!)らしい。
(1)ルネッサンス世俗曲・宗教曲(阿部美佐夫指揮)
午後2時過ぎ、黒のスーツ、蝶ネクタイ姿でメンバーが登場。会場の温かい拍手に迎
えられた。1階の客席(550席?)は満員である。前半はよかったが、後半2曲のポリ
フォニーはちょっと難しかったかしらん。
(2)男声合唱組曲「北国・第二」(紺野信寿指揮)
暗譜のステージ。多田武彦の曲は歌い込まれていた。最後の「氷雪に佇つ者」は終曲
らしい曲。言葉にこだわった。
(3)ロバート・ショー合唱曲集(星彰郎指揮)
久しぶりにロバート・ショーを聴いた。このステージも暗譜。「おじいさんの古時
計」が1876年H.C.ワークの作曲とは知らなかった!ソロもいいお声。4曲目「Love's
Old Sweet Song」は下田さんの若々しく、明るい抜ける、頭声のソロにシ~ンと
なった。
(4)僕らの愛唱曲(長澤護指揮)
55年以上(!)歌ってきた「愛唱曲」が歌われた。皆さんが高校生の昭和20年代後半
は一種の合唱ブームだったのだろうか。第1曲「野はうるわし」は昭和27(1952)年
の合唱コンクール課題曲だそうだ。第2曲「大屋根」は清水脩が東本願寺御影堂の感
動を詠んだ永田恒雄の詩に同じく昭和27年に作曲したものである。
なお、アンコールとして「シュテンチェン」の日本語版を初めて聴くことができ、大き
な思い出となった。
それにしても70歳を過ぎて、自分自身はあれほど声が出るかしらんと考えてしまった。
いささか旧聞となるが、9月25日(土)午後2時~3時半、日本藝術院で畑中先生の
講演を聴いた。日本藝術院は上野の東京文化会館の隣にある。中に入るのは無論初
めてである。
講堂正面の舞台--白いレースが掛けられた机上にマイクが置かれており、マイク
の隣には花が飾られていた。舞台後方には「日本藝術院会員特別講演会」の横断幕。
この講演は「上野の山文化ゾーンフェスティバル」の一環だそうである。最初に日
本藝術院院長の三浦朱門さんから「畑中先生にもし音楽の才能がなかったら・・・・・・」
という挨拶があった。
畑中先生は(車椅子ではなく)左手に杖をついてゆっくり登場、正面に座られるや、
いいバリトンで「皆さん、こんにちは。かろうじて生きております」(会場笑)。
私などには考えられないのだが、原稿メモ一切なしの講演である。
講演内容は、畑中先生の自伝的エッセイ『繰り返せない旅だから』シリーズ(音楽
之友社。全4巻)からのハイライトであった。
東京音楽学校受験は無茶だと笑われた「O先生」はオイカワ先生という実名で登場
した。今でも「やめたまえ」というオイカワ先生と数学の試験の夢をご覧になるそ
うだ。「別にオイカワ先生を憎んでいるわけではなく、人間、何かに意地になるこ
とも必要だと思います。今でも音楽に自信がなくなると、あの時に笑われた悔しさ
を思い出し、奮い立ちます」。
音楽学校受験、暁星中学、青山中学の教師体験、陸軍の兵隊時代などおもしろい話
が続いた。青山中学の教え子が元法政大学総長の清成忠男先生(*)である。いつ
ぞや若き畑中先生のことを(今や購読していない)日経新聞にお書きになっておら
れたので、畑中先生に拡大コピーしてお送りした。当日はまたクワバラさんという
「教え子」が山形から来ておられ、紹介された--66年ぶりだという。
(*)清成忠男先生には、11/3付で瑞宝大綬章が送られた。(11/4追記)
最後に聴衆からの質問タイム--60代後半とおぼしき男性から「合唱をしていて、
息が続かないのですが、どうすればいいでしょう?」という質問。畑中先生は「あ、
ちょっとこっちへいらっしゃい」と舞台へ招き、「まず肩の力を抜いて、背中にブ
レスを入れる」と質問者の背中を支えながら「ここ、ここに入れてご覧なさい。そ
うそう、それでハミングして」と熱中されていた。
畑中先生が思いのほかお元気なので安心して家路についた。
なお、本公演はNHKでTV放送されるようである。--お楽しみに!
日本藝術院会館
2.コール・マルシュナー第2回演奏会
10/16(土)、大先輩の下田さんからお誘いいただき、銀座ブロッサム中央会館でコ
ール・マルシュナーの演奏会を聴いた。下田先輩属する同男声合唱団は福島高校(音
楽部)のOB合唱団である。飲んでいるだけではつまらないと合唱活動に復帰し、2年
前に第1回演奏会を開催されたという。
会場に着くと文字どおり長蛇の列にビックリ!並んだ聴衆は平均70歳くらいであろう
か。オンステメンバーは平均73歳(!)らしい。
(1)ルネッサンス世俗曲・宗教曲(阿部美佐夫指揮)
午後2時過ぎ、黒のスーツ、蝶ネクタイ姿でメンバーが登場。会場の温かい拍手に迎
えられた。1階の客席(550席?)は満員である。前半はよかったが、後半2曲のポリ
フォニーはちょっと難しかったかしらん。
(2)男声合唱組曲「北国・第二」(紺野信寿指揮)
暗譜のステージ。多田武彦の曲は歌い込まれていた。最後の「氷雪に佇つ者」は終曲
らしい曲。言葉にこだわった。
(3)ロバート・ショー合唱曲集(星彰郎指揮)
久しぶりにロバート・ショーを聴いた。このステージも暗譜。「おじいさんの古時
計」が1876年H.C.ワークの作曲とは知らなかった!ソロもいいお声。4曲目「Love's
Old Sweet Song」は下田さんの若々しく、明るい抜ける、頭声のソロにシ~ンと
なった。
(4)僕らの愛唱曲(長澤護指揮)
55年以上(!)歌ってきた「愛唱曲」が歌われた。皆さんが高校生の昭和20年代後半
は一種の合唱ブームだったのだろうか。第1曲「野はうるわし」は昭和27(1952)年
の合唱コンクール課題曲だそうだ。第2曲「大屋根」は清水脩が東本願寺御影堂の感
動を詠んだ永田恒雄の詩に同じく昭和27年に作曲したものである。
なお、アンコールとして「シュテンチェン」の日本語版を初めて聴くことができ、大き
な思い出となった。
それにしても70歳を過ぎて、自分自身はあれほど声が出るかしらんと考えてしまった。
1週間に1回は良いお考えですね。今まで毎日で心配してました。
上野の西郷さんの像を見ようと散歩していたら見つけました。そこで講演されたのですね。車椅子でなくて安心しました。ワグネルの135回定演はトスティ、聴きたいものです。
つい先日(10/24)も「ゲレートマスターズ」で畑中先生のお元気なお姿に接しました。(→近々詳報)
先生はゲゲゲの水木しげるさんと同い年。お二人とも文化功労者となられました。
NHKの放送はいつになるのでしょう?ネットではまだ検索できませんが、そのうち連絡網で回るかな?