2011年3月11日、「あの時」から8年。「あの時」から3年目に沖縄に「移住」して、移住理由の「職業生活」という役目を終えて、9年目に被災地の東北に戻る。
「あの時」の負い目を、オイラは8年間引きずっている。「あの時」は、金曜日だったが、土曜日、日曜日と被災場所に救援の手を差し伸べることもなく、酒を飲んでは、余震におののきながら、布団をかぶっていた。
ラジオを聴いていたかもしれないが、事の重大さを聴くまいと耳をふさいでいた。どれぐらい停電していたのかも断水していたのかも、ガスが使えなかったのも、今となっては遠い記憶だけでしかないが、いまの尾畑さんなんかをみていると、全く社会人としての役割をはたしていなかったという「負い目」を今も引きずっている。
震災後、1週間して、やっと名取市閖上に走って状況確認に行った記憶があるが、事の凄惨さを目の当たりんして絶句して引き返した記憶がある。
(2か月前にマラソンを走った町が壊滅していたことにショックを覚えた。)
「もう、職業生活を終えたのだから、今度何かあったらできる範囲でボランティアしようぜ」と語るオイラもいれば、
「お前は、また布団をかぶってるだろうよ」よ語るオイラもいる。
いずれにせよ、9年目に「被災地」に帰還したら2万人を飲み込んだ三陸海岸線を歩いて鎮魂と邂逅への旅を行うことは予定している。そして、旅の顛末、あとさきを綴ってカメラに収めていく。そのようなことしかできないことは自覚している。(尾畑さんにはなれないことを。)