給金とは古い言葉、「上からの指図により働いて給料を貰う」という意味に解しておこう。昨日、40年近く続いた、その給金生活にピリオドを打った。3月末までは組織の一員という身分があるので、正確ではないが、出勤して8時30分から17時15分まで拘束されることは、昨日でおしまいということ。残った年休をすべて出勤予定日にあてて、引っ越し作業を終えたら出立。
さすらいでも、漂泊でもなく、一応の北帰行ルートは定めているが、あくまでもデッサンであり、詳細は行き当たりばったりにまかせての旅となる。
給金生活は終えるが、ささやかな年金をいただいての職業は死ぬまで続くのである。「業」=「ごう」は己の行為、旅を住みかとする旅暮らしという行為が我が職業。何者にも指図されず自由ではあるが、糸が切れた凧のように、どこに落ちていくのか不明といういささかの不安は抱いてはいる。
これから健康年齢とされる10年、3653日、87,672時間。食事と飲食を含め8時間は休息にあてるとして、残る58,448時間、約6万時間のうち3万時間は旅、あとは、旅の記録と読書・学習という生活が理想。3万を24時間で割ると1250日。これだけ、寝ずに旅を続けられたら「もういいだろう。」と安らかに冥界に旅行くのだろう。
さて、どこまでその理想的な生活ができるのか、まずは、1年やってみよう。
午後、バンナ公園に立ち寄って、石垣か西表にしか咲かない満開のセイシカの花【聖紫花】にお別れ。2006年の3月にも公園北口でお別れしている。終の別れなのか…(公園ではなく野生であればどこかで巡り会ううかも)
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