かぜねこ花鳥風月館

出会いの花鳥風月を心の中にとじこめる日記

The Fool 0n The Hill  ザ・フール・オン・ザ・ヒル を聴いて

2020-11-04 18:13:30 | 日記

ビートルズ解散から半世紀となった年であることを記念して毎週日曜日に放送されているNHKFMの「ディスカバー・ビートルズ」を録音しながら聴いてきたが、いよいよ1967年に発売されたアルバム「Magical Mystery Tour マジカル・ミステリー・ツアー」まできた。そのアルバムの2曲目に入っている「The Fool on the Hill ザ・フール・オン・ザ・ヒル」を久々に聴いて、しんみり。

 


Day after day, alone on a hill
The man with the foolish grin is keeping perfectly still
But nobody wants to know him, they can see that he’s just a fool
And he never gives an answer

来る日も 来る日も 丘の上にひとりいて

静かに笑って じっとしているおとこ

誰もそのわけを知ろうとせず あいつはバカだと思っている

そんなうわさに 彼は異を唱えない

But the fool on the hill sees the sun going down
And the eyes in his head see the world spinning around

そのおとこは まいにち夕日を眺めては、

周る地球を 見つめている

・・・・・

 


そんな歌を口ずさみながら、ビートルズの解散した1970年ころに過ごした男子校の寮にいた夏休み。大方の寮生が家に帰ったのに、どんな理由か思い出せないが、ひとり寮に居て、ラジオから幾度も流れるこの歌を聴きながらやるせない寂寥感にさいなまれていたっけ。寮に一人残って何をしていたんだろう、なぜ家に帰らなかったんだろう。勉強していたわけでもないし、彼女がいたわけでもない。(母親が、病気で家にいなかった夏か、その母親が死んだ後の夏か)

そんなことだから、ビートルズの歌った200数曲の中でも、この歌を聴くたびに、当時の情景が浮かんできてしまい、オイラにとっては、いつまでも痛切な、だけれども愛着のある歌となっている。

あの夏から、生涯の遊びとして、山登り、それもひとりでの山登りを始めるようになって50年間も続けてきたが、「The Fool」の愚者の孤高の精神にはとうてい及ばないが、あまたの山頂にたっては、時々あの哀切な歌とメロデイーを思い浮かべては「ああ、いいな世間を眼下に見るって、地球は広いな、空は青いな、よくも高いところに登っては下り、下っては登ってきたもんだ、オイラも、あの歌に出てくるバカみたいなもんだな。」と自覚している。

また、今になって考えると「The Fool」の愚者は、何か賢治さんの「雨ニモ負ケズ」のデクノボーにもよく似ているなと思っている。誰からも「ホメラレモセズ クニモサレズ」、「イツモシヅカニワラッテヰル」「ミンナニ デクノボートヨバレ」ていた、あの愚者にどこか似ているな思う。確かに「The Fool」の愚者は隠遁の仙人、「雨ニモ負けケズ」の愚者はオロオロ歩くボランティアという違いはあるのだが、宇宙の本質を「ヨク ミキキシ ワカリ ソシテワスレズ」という点では共通するものがあるような気がしてならない。

それに、賢治さんも、山が好きだった。盛岡中学の友人藤原健次郎というヒトと、健次郎の生家近くの岩手県矢巾町の南昌山にも週末何度も登ったのだという。賢治さんの絵に「日輪と山」という作品があるが、あの山が、何度も登った南昌山に沈む夕日だという有力説がある。

南昌山は、「経埋ムベキ山」の一山。賢治さんも「The Fool」の愚者同様、いまも南昌山などの「on the Hill」で沈む夕日を眺めては、周る地球を感じているに違いない。

(愚者つながりにオイラも入れるのはチャッカリすぎるか。)

 

 

 

 

 

 

 

        

                 宮澤賢治「日輪と山」

 

mikeさんのYoutubeから

 

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