言わなければよかったのに日記

 私が見たこと、聞いたこと、感じたこと、頭にきたこと・・・を(ありのまま)に伝えます。

お墓調査

2019年02月13日 | 日記
      

 今日はmasudaくんと‘お墓調査’に。堂園地区です。古いお墓が十数基あって多くは倒れています。無縁墓地になっています。その脇にお墓を見守るようにしてお堂が建っています。毘沙門さんなど3体が奉られています。この場所は明治の山田村初代村長さんの家でした。
 ちょっと(私には)珍しい供養塔があったのでmasudaくんに見てもらったのです。たぶん3人の方の供養のために建てられたようです。「賀雲道慶善定門」という人は慶長十一年(1606年)に亡くなられています。そして、あと二人の‘禅定尼’の人(慶長元年と元和5年没)・・・だから、たぶん3人の供養塔なようです。碑文(偈曰 彫刻切成檀信富金剛正眼照霊場・・・・)と四面に書かれてあって、この塔は享和2年(1802年)に子孫の方が建てられたようです。200年くらい経っています。200年も経ってからどういう理由で建てられたのでしょうか、何かあったからなのでしょうが、その訳はもう分かりません。今の時代では考えられない先祖への思いだと感じました。
 他の墓も見てきました。ふつうはお墓や供養塔には戒名は書かれてあっても俗名は書かれていないことが多いそうです。お墓の大きさにもよるのだそうですが。ところが俗名が書かれてあるのがありました。‘右田’、‘囿田’、‘山田’と書かれてあるのがありました。武士(or郷士)やお金持ちしかお墓は建てられなかった時代です、しかし、いまやお参りする人も絶えてしまった墓地です。竹藪の中に10数基のお墓を見てさみしさを感じました。
 明日もまたこの場所に行きます、明日は3体の仏像を資料館に預かるために行きます、2日連続になります。

 今日の天気(朝のうち一時)