いま、人吉市役所新庁舎をつくっています(建設中)
朝刊に「大火砕流30年」の記事がありました。雲仙普賢岳の噴火活動による火砕流によって多くの人が亡くなるという参事がありました。30年も経ったのかとその月日の速さを感じました。1991年・・平成3年のことです。この噴火のことはテレビニュースで生々しく見た記憶が残っています。消防団員や取材していた人も犠牲になったことは驚きでした。私は平成5年に三角東小学校に赴任しました。半島の普賢岳とは反対側にある学校でしたがまだプールには多くの火山灰が積もっていました。クルマでちょっと出かけると海の向こうにはまだ煙を出していた溶岩ドームが見えたものです。それから30年も経ったのかと思うと時が経つのが早いのを感じました。この惨事も忘れてはならないできごとだと思います。
なぜかしら平成は災害の連続でした。地震、水害です。平成から令和まで災害を引きずっています。いまは“コロナ”です、人に災いをもたらす禍はコロナで最後になってほしいものです。たぶんそろそろ収束するであろうコロナのあとは平安に過ごせるようなトキになってほしいものです。“災い転じて福となす”になることを願っています。
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