今日はmasudaくんと一緒に原田台地に。歴史探偵ごっこに。
先日、masudaくんが古文書を見せてくれました。「明治五年壬申 菖蒲谷 堤築遣方帳」「明治5年正月十三日ヨリ四月三日成就 奉行田代順也」と書かれてありました。また「塘築惣人数 貮千七百七拾八人」「堤内水溜 水底 竪三拾間 横九間半」・・・ともありました。
「堤」とあったので(溜池)みたいな池だろうと思って、場所は上原田の菖蒲ではということで出かけて見たのです。(菖蒲)にはそれらしき所はありませんでした。草取りしておられたお婆ちゃんに聞いたところ、この地区の田んぼは内布(球磨村)にある・・内布までいってタバコ農作業中の方に(池はないか)と聞いたら、原田にある、上原に・・・また、引っ返して上原へ。 ありました、二段になった原田台地の二段目のいちばん上にあったのです。したがって二段目の原田台地には田んぼが広がっていました。(一段目は畑だけ)
想像ですが、菖蒲谷から水路を引いているのではないかと思われました。
上原集落にいって聞こうとしましたが詳しいだろうという長老さんは不在でした。たまたま地藏堂があってお詣りしていたらお婆ちゃんが来られて話はできましたが、堤のことは知っておられませんでした。集落の長老さんに後日聞くことにします、でも、1通の古文書から(堤の存在)がほぼはっきりしました。
しかし、地元では堤の作りは伝わっていないようでした、せっかくのこと何らかの形で伝え続けていったらと思ったことでした。
今日の天気( 梅雨が終わったような晴間でした)