10月 6日
こないだ深川江戸資料館でした。その2
昨日の続き。八百屋から米屋へ。
米屋では40歳代ぐらいの女性が男性ガイドさんに説明を受けて
いました。
「江戸時代は米をたくさん食べていました」とオジサンガイド。
「どのくらい食べていたんですか?」と女性。
「1日に成年男子で5合といわれています。しかしそこまでは食べて
いなかったようです」とガイドさん。
「米が少し黒いというか白くないですね」と女性。
「現代のような精米はできませんから、籾を搗いていました。その
ため薄皮や胚芽などは残ったままなので、茶色っぽい」とガイドさん。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/32/9599e62468fe52d10fe098d01b6fba29.jpg)
米屋の天井近くに鶏2羽
「鶏がいますね。どうしてですか?」と横からアタイ。
「米に虫がつくので、それを食べていた。とか、米ぬかやクズ米を
エサにして育てていたといわれています。江戸時代でも鳥や卵は食べて
ましたから」とガイドさん。
こんな話をしてくれたし、このガイドさんの説明が分かり易かった
ので、いっしょについていくことにしました。
「町木戸です。四ツ時に閉めます。それより遅くなったときは
木戸番に理由を言って開けてもらいます。産婆と医者はいつでも通れ
ました」
木戸の横に小さな布が。
「ここにある布きれは干してあるものじゃなく、端切れとして
売り歩いていたものです」とガイドさん。
「棒手振り(ぼてぶり)ですね」とアタイ。
「そうです。長い棒の両端に売り物を下げて町を歩くんですね」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/55/d8/859703b11a0917bd331f57e039d30bee.png)
この模様が人気だった
そうです。
「ここが堀です。江戸は水路が発達していたので、荷物の運搬や
人の移動には船(舟)がよく使われていました。ここに舫ってある
のは猪牙舟(ちょきぶね)です」とガイドさん。
「猪牙舟にしては大きいですね」とアタイ。
「そうですね。これは10人ぐらい乗れそうですが、小ぶりな舟だと
3~5人ですね。まぁ水上タクシーですよね。これで深川から吉原へ
繰り込んだりすると、運び賃は今の値段で3000円ぐらいといわれて
います」とガイドさん。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/45/531b4e10b90db10fc9d5363e1860c507.jpg)
ちゃんと水が張ってあって
舟は浮かんでいました。
「水が汽水(海水が混ざっている水)のほうが舟の保存にはいい
そうです。それに屋内展示なので雨が降りません」とガイドさん(笑)
「どうして雨が降ったほうがいいんですか?」と女性。
「舟は木造ですから、乾燥すると木材が縮んでしまい、隙間が
できるんです」とガイドさん。
次は長屋です。いろいろな商売をしている人たちが狭い長屋に
肩寄せ合って暮らしていました。
生活に余裕がある人もいましたが、そうでない人もたくさんいた
そうです。
ということで、長屋のことなどは明日へつづく。(^_^)/
こないだ深川江戸資料館でした。その2
昨日の続き。八百屋から米屋へ。
米屋では40歳代ぐらいの女性が男性ガイドさんに説明を受けて
いました。
「江戸時代は米をたくさん食べていました」とオジサンガイド。
「どのくらい食べていたんですか?」と女性。
「1日に成年男子で5合といわれています。しかしそこまでは食べて
いなかったようです」とガイドさん。
「米が少し黒いというか白くないですね」と女性。
「現代のような精米はできませんから、籾を搗いていました。その
ため薄皮や胚芽などは残ったままなので、茶色っぽい」とガイドさん。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/32/9599e62468fe52d10fe098d01b6fba29.jpg)
米屋の天井近くに鶏2羽
「鶏がいますね。どうしてですか?」と横からアタイ。
「米に虫がつくので、それを食べていた。とか、米ぬかやクズ米を
エサにして育てていたといわれています。江戸時代でも鳥や卵は食べて
ましたから」とガイドさん。
こんな話をしてくれたし、このガイドさんの説明が分かり易かった
ので、いっしょについていくことにしました。
「町木戸です。四ツ時に閉めます。それより遅くなったときは
木戸番に理由を言って開けてもらいます。産婆と医者はいつでも通れ
ました」
木戸の横に小さな布が。
「ここにある布きれは干してあるものじゃなく、端切れとして
売り歩いていたものです」とガイドさん。
「棒手振り(ぼてぶり)ですね」とアタイ。
「そうです。長い棒の両端に売り物を下げて町を歩くんですね」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/55/d8/859703b11a0917bd331f57e039d30bee.png)
この模様が人気だった
そうです。
「ここが堀です。江戸は水路が発達していたので、荷物の運搬や
人の移動には船(舟)がよく使われていました。ここに舫ってある
のは猪牙舟(ちょきぶね)です」とガイドさん。
「猪牙舟にしては大きいですね」とアタイ。
「そうですね。これは10人ぐらい乗れそうですが、小ぶりな舟だと
3~5人ですね。まぁ水上タクシーですよね。これで深川から吉原へ
繰り込んだりすると、運び賃は今の値段で3000円ぐらいといわれて
います」とガイドさん。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/45/531b4e10b90db10fc9d5363e1860c507.jpg)
ちゃんと水が張ってあって
舟は浮かんでいました。
「水が汽水(海水が混ざっている水)のほうが舟の保存にはいい
そうです。それに屋内展示なので雨が降りません」とガイドさん(笑)
「どうして雨が降ったほうがいいんですか?」と女性。
「舟は木造ですから、乾燥すると木材が縮んでしまい、隙間が
できるんです」とガイドさん。
次は長屋です。いろいろな商売をしている人たちが狭い長屋に
肩寄せ合って暮らしていました。
生活に余裕がある人もいましたが、そうでない人もたくさんいた
そうです。
ということで、長屋のことなどは明日へつづく。(^_^)/