ウィキぺディアフリー百科事典で「赤城宗徳(あかぎむねのり)」を検索すると
1959年(昭和34年)に主務大臣である防衛庁長官に就任する。
安保をめぐり争乱が起こる中、岸首相に自衛隊の治安出動を打診されるが、「自衛隊が国民の敵になりかねない」と反対したことで知られる(「どうしてもやれと言うなら、国民に対し責任を取る意味で発令と共に辞表を出します」と答えたという)。
また、元防衛庁官房長の竹岡勝美氏は、
「自衛隊は左翼といえども国民を敵に回してはならない」。60年安保当時の赤城宗徳防衛庁長官が語った言葉だ。私はこの時、警察と防衛庁の連絡役。国会に突入しようとするデモ隊に手を焼いていた岸信介首相周辺からは、自衛隊の治安出動を望む意向が伝えられた。しかし、赤城氏は断固としてこれを拒絶した、と聞く。
と、毎日新聞の「自衛隊・情報収集問題」記事のインタビューの中で述べておられる。
今の赤城農林水産大臣のおじいさんのことだ。
骨のある筋の通った政治家だったのだろうと感じる。
その孫はといえば、事務所費問題で、親や後援会長まで巻き込んで、見苦しい言い訳をしているようにみえる。
そして、その任命権者である安倍首相(岸信介の孫)は、それを擁護するような発言をくり返している。
仲良しごっこの「政治屋」という名の商売をしている人たちというふうに私は感じている。
隔世遺伝という言葉があるが、残念ながら赤城農林水産大臣は、そのようにはならなかったようだ。
地盤、看板付きで育ったのだから無理も無い事かもしれないが。
ふたりとも、おじいさんの代の「政治家」のありようを見習うべきではなかろうか。
豊田かずき
1959年(昭和34年)に主務大臣である防衛庁長官に就任する。
安保をめぐり争乱が起こる中、岸首相に自衛隊の治安出動を打診されるが、「自衛隊が国民の敵になりかねない」と反対したことで知られる(「どうしてもやれと言うなら、国民に対し責任を取る意味で発令と共に辞表を出します」と答えたという)。
また、元防衛庁官房長の竹岡勝美氏は、
「自衛隊は左翼といえども国民を敵に回してはならない」。60年安保当時の赤城宗徳防衛庁長官が語った言葉だ。私はこの時、警察と防衛庁の連絡役。国会に突入しようとするデモ隊に手を焼いていた岸信介首相周辺からは、自衛隊の治安出動を望む意向が伝えられた。しかし、赤城氏は断固としてこれを拒絶した、と聞く。
と、毎日新聞の「自衛隊・情報収集問題」記事のインタビューの中で述べておられる。
今の赤城農林水産大臣のおじいさんのことだ。
骨のある筋の通った政治家だったのだろうと感じる。
その孫はといえば、事務所費問題で、親や後援会長まで巻き込んで、見苦しい言い訳をしているようにみえる。
そして、その任命権者である安倍首相(岸信介の孫)は、それを擁護するような発言をくり返している。
仲良しごっこの「政治屋」という名の商売をしている人たちというふうに私は感じている。
隔世遺伝という言葉があるが、残念ながら赤城農林水産大臣は、そのようにはならなかったようだ。
地盤、看板付きで育ったのだから無理も無い事かもしれないが。
ふたりとも、おじいさんの代の「政治家」のありようを見習うべきではなかろうか。
豊田かずき