日々雑感「点ノ記」

備忘録(心の軌跡)

窓から見える風景の変化

2009年07月04日 | インポート
作業場の南側の窓から見える風景が今年は違う。

例年ならば窓の外一面の水田に水が張られ、その上に、早苗が整然と顔を出しているのが今頃の風景だった。

しかし、今年はそれらの水田の区域の一部には水は張られておらず、雑草が生い茂っている。

愛野交差点の交通渋滞緩和のためにということで、愛野森山バイパス建設のための用地として買収されたのであろう水田は、田植えをせずに放置されている。

通称、古新田(ふるしんでん)と呼ばれている区域の一部だが、かなり初期の頃の干拓によって創出された水田で、この辺の水田としては優良な立地条件の水田と言える。

先祖から引き継いだ良田を、交通渋滞緩和のための道路建設のためにはどうしても必要だといわれ、1反当り500万円程度の金額を提示されれば、いまの社会情勢下では手放さない人は少数ではあろうと思う。

農業従事者も高齢化し、農業後継者もほとんどいなくなりつつある現状では、条件のよい農地買収の話があればほとんどの土地所有者は農地を手放すのではなかろうか。

その結果としての窓外の風景の変化だが、そのような買収をされたのであろうと思われる区域の中に、1枚だけ例年と同じように田植えがされている水田がある

どのような理由でそのようになっているのかの詳細を知る由もないが、本来ならば水田である場所に普通に田植えがしてある風景を見るとなんとなく落ち着ける。

農地は売ってしまえばまとまったお金は手に入るだろうが、その土地が道路に変わってしまえば、私たちの胃袋を満たすための作物の生産はできない。

1反当り500万円というお金は、仮にその農地で米作をしたとして、その農地から生産される米の40~50年分の生産量に匹敵する金額に近い。

だから農地の所有者が、渡りに船という感じで買収に応じるということも理解できる。

しかし、農地が農地のままで存続して、農作物の生産が続けられるとすれば100年でも200年でも、未来永劫私たちの胃袋を満たしてくれる作物を供給してくれる。

戦争を体験された世代の方々はそのような事を身にしみて感じておられるだろうが、戦後生まれの豊かな時代の体験しかない世代には理解されにくいことなのかもしれない。

窓から見える風景の変化が、食糧自給率40パーセント以下という我が国のあきれるような農政を象徴しているようで哀れですらある。


豊田かずき