日々雑感「点ノ記」

備忘録(心の軌跡)

稲刈りのにおい

2014年10月16日 | 日記
通勤の帰宅時の車中に、稲刈りの懐かしいにおいがする。

潟とわらの混じったような、子どもの頃を思い出させるようなにおい。

父母と共に、夕暮れの田んぼで、稲刈りなどの農作業をしていた時の懐かしいにおい。

まだ、バインダー(自動稲刈り機)もコンバインも無かった頃の、のこ鎌を使って手刈りで稲刈りをしていた頃を思い出す。

現在と比べて、稲刈りといえば相当に過酷な肉体労働だった。

旧諌早干拓の、2反間や3反間の田んぼの稲刈りでは、一列が100メートルぐらいあって、その一列を刈り終えるのに何回腰を伸ばしたことか。

5株づつをのこ鎌で刈り倒し、進行方向の右側に並べながら刈り進むのだが、行けども行けどもなかなか田んぼの端が近付かない。

自動で稲刈りをする機械が現れないものだろうかと、子ども心にいつも思っていた。

やがて、そのような機械が普及し、今では、稲刈りから脱穀、さらにはわらの処理まで同時にできるコンバインが普及している。

農作業もずいぶん機械化されて、農家の方々の肉体労働も楽にはなってきてはいるようだが、その裏では、農機具代の支払いという経済的な苦労が負担となっていることもあるようだ。

ともあれ、四季の移ろいの中で、平穏な人々の営みが続いて欲しい。

田は田として、畑は畑として、山は山として存続して欲しい。

敵と称して、多くを破壊し多くを殺した者が評価されるような時代にだけはならないで欲しい。

が、選ぶ人たちを間違えたのか、そのような時代は目の前に迫ってきているようにも思える。


豊田一喜