先日、キング牧師の演説『Ihave a dream』を紹介しましたが読んでいただけたでしょうか。ぼくは声を出して読んでいるうちに気分が鼓舞されて一日、元気を貰った感じです。KKKなどの脅威をうけながら、公民権運動に立ち上がっていったひとびとに限りない激励と希望を与えたことでしょう。その故に彼は凶弾に倒れてしまうわけですが。
公民権運動といえばwe shall overcomeを忘れることは出来ません。この歌を広めたピートシーガーやあの高い澄んだ声のジョーンバエズを思い起こす方も居られることでしょう。
ぼくは1965年頃からはじまった、小田実さんたちの「ヴェトナムに平和を!市民連合」の集会やデモで知ったのではないかと思います。教員になって授業でも紹介するようになります。1988年にNHKが『世界を変えた歌 we shall overcome』を放送してからは毎年VTRを上映します。
We shall overcome, we shall overcome
我ら打ち勝たん 我ら打ち勝たん
We shall overcome some day
我ら打ち勝たん いつの日か
Oh deep in my heart, I do believe
心に深く 我は信ずる
That we shall overcome some day
いつの日か 我ら打ち勝たんことを
次の青い文字をクリックしてください。メロディが流れ、NHK番組の解説文が出てきます。よろしかったら口ずさみながら読んでみてください。
http://www5b.biglobe.ne.jp/~chfujimi/hymn-2nd-164.htm
人権の確立を目指す闘いがあるところには思想があり、歌があるようです。日本でも「宣言」があり、「解放歌」(嗚呼、解放の旗高く)がありました。宣言が発せられたのは1922年のことですが、いじめに苦しむ今の高校生にも勇気と力を与えます。
we shall overcome もそんな力を持っているように思います。敵にうち勝つためには自分にうち勝つ必要があります。overcome という言葉に込められた思いはそういうものでしょう。抑圧され、差別を受けてきたものこそ「人間をいたわることがなんであるかをよく知っている」。そんな自分たちが自分に誇りを持って立ち上がるときだ。の心と通ずるものがあります。
この社会に生まれ育ちながら、選挙権も公務員就任権も否定されている43万人の在日コリアンのひとびとが何故その不条理に立ち向い、現代の公民権運動に立ち上がらないのか。何故、私たちの運動に「そうだ」と共鳴しないのか。そんな思いがもういっぽうに渦巻いています。
公民権運動といえばwe shall overcomeを忘れることは出来ません。この歌を広めたピートシーガーやあの高い澄んだ声のジョーンバエズを思い起こす方も居られることでしょう。
ぼくは1965年頃からはじまった、小田実さんたちの「ヴェトナムに平和を!市民連合」の集会やデモで知ったのではないかと思います。教員になって授業でも紹介するようになります。1988年にNHKが『世界を変えた歌 we shall overcome』を放送してからは毎年VTRを上映します。
We shall overcome, we shall overcome
我ら打ち勝たん 我ら打ち勝たん
We shall overcome some day
我ら打ち勝たん いつの日か
Oh deep in my heart, I do believe
心に深く 我は信ずる
That we shall overcome some day
いつの日か 我ら打ち勝たんことを
次の青い文字をクリックしてください。メロディが流れ、NHK番組の解説文が出てきます。よろしかったら口ずさみながら読んでみてください。
http://www5b.biglobe.ne.jp/~chfujimi/hymn-2nd-164.htm
人権の確立を目指す闘いがあるところには思想があり、歌があるようです。日本でも「宣言」があり、「解放歌」(嗚呼、解放の旗高く)がありました。宣言が発せられたのは1922年のことですが、いじめに苦しむ今の高校生にも勇気と力を与えます。
we shall overcome もそんな力を持っているように思います。敵にうち勝つためには自分にうち勝つ必要があります。overcome という言葉に込められた思いはそういうものでしょう。抑圧され、差別を受けてきたものこそ「人間をいたわることがなんであるかをよく知っている」。そんな自分たちが自分に誇りを持って立ち上がるときだ。の心と通ずるものがあります。
この社会に生まれ育ちながら、選挙権も公務員就任権も否定されている43万人の在日コリアンのひとびとが何故その不条理に立ち向い、現代の公民権運動に立ち上がらないのか。何故、私たちの運動に「そうだ」と共鳴しないのか。そんな思いがもういっぽうに渦巻いています。