北海道池田町の片桐さんから連絡があり、10月18・19日の川越祭りの頃、来てくださるとのことです。片桐さんにお世話になった始まりは1962年のことですから半世紀近く付き合っていただいたことになります。
池田町は十勝平野のど真ん中、利別川が十勝川に合流するあたりにあります。学生時代に世話になったのを思い出して1973年から3年間毎夏、池袋商業高校の生徒達と大森という地区の農家に泊めて貰って農村の生活を体験したのです。その世話をしてくださったのが当時は商工課長をされていた片桐さんです。生まれて半年の息子も連れての旅で我が家の家族一同も片桐ご夫妻を始め池田のみなさんの世話になったのです。
大森地区 池北線高島駅と勇足駅の中間の利別川の畔です。
http://www16.plala.or.jp/Liberalism8/tokatikannai%206.html
78年には同じ十勝の広尾にある三親牧場に世話になりました。こうした体験が子どもたちの成育にどんな影響を与えたのかよくは解りませんが、ぼくにとっては大きな意味を持ちました。農村に兄貴分の友達を持つことが出来たのです。何がどうというわけではありませんが東京の友人達とはまた違った交流があって心強いのです。娘が帯広の地で大学生活を送ることになったのも何かの縁でしょう。
池田町は丸谷金保町長の下、その後「十勝ワイン」のまちとして有名になり、片桐さんは教育長として尽力されました。今で言う村おこしの先駆けだったのです。
丸谷金保さんhttp://blog.hokkaido-np.co.jp/ikeda/2007/10/post_91.html
ぼくは自分の人生を振り返るとき、片桐さんという方の存在の大きさを感じずにはおれません。かつて世話をしたことがあるとはいえ、公安から「過激派」という情報がもたらされていたというぼくの願いをいともあっさり受けとめてくれ、「東京の高校生の農村生活体験」を町の事業としてくれたのです。ぼくはこの体験から生徒たちに「人にはすすんで世話になれ」と話すようになりました。自分が自分になろうとする過程で「世話になった」体験は人生の宝です。人間に対する信頼と感謝の心を知らず知らずのうちに育てるのです。
02年にぼくが退職して大森に伺ったとき、片桐さんも来てくださって祝杯をあげてくれました。今回はいとこ会を箱根でやったあと川越を訪ねてくださるということです。ありがたく嬉しい報せです。
池田町は十勝平野のど真ん中、利別川が十勝川に合流するあたりにあります。学生時代に世話になったのを思い出して1973年から3年間毎夏、池袋商業高校の生徒達と大森という地区の農家に泊めて貰って農村の生活を体験したのです。その世話をしてくださったのが当時は商工課長をされていた片桐さんです。生まれて半年の息子も連れての旅で我が家の家族一同も片桐ご夫妻を始め池田のみなさんの世話になったのです。
大森地区 池北線高島駅と勇足駅の中間の利別川の畔です。
http://www16.plala.or.jp/Liberalism8/tokatikannai%206.html
78年には同じ十勝の広尾にある三親牧場に世話になりました。こうした体験が子どもたちの成育にどんな影響を与えたのかよくは解りませんが、ぼくにとっては大きな意味を持ちました。農村に兄貴分の友達を持つことが出来たのです。何がどうというわけではありませんが東京の友人達とはまた違った交流があって心強いのです。娘が帯広の地で大学生活を送ることになったのも何かの縁でしょう。
池田町は丸谷金保町長の下、その後「十勝ワイン」のまちとして有名になり、片桐さんは教育長として尽力されました。今で言う村おこしの先駆けだったのです。
丸谷金保さんhttp://blog.hokkaido-np.co.jp/ikeda/2007/10/post_91.html
ぼくは自分の人生を振り返るとき、片桐さんという方の存在の大きさを感じずにはおれません。かつて世話をしたことがあるとはいえ、公安から「過激派」という情報がもたらされていたというぼくの願いをいともあっさり受けとめてくれ、「東京の高校生の農村生活体験」を町の事業としてくれたのです。ぼくはこの体験から生徒たちに「人にはすすんで世話になれ」と話すようになりました。自分が自分になろうとする過程で「世話になった」体験は人生の宝です。人間に対する信頼と感謝の心を知らず知らずのうちに育てるのです。
02年にぼくが退職して大森に伺ったとき、片桐さんも来てくださって祝杯をあげてくれました。今回はいとこ会を箱根でやったあと川越を訪ねてくださるということです。ありがたく嬉しい報せです。