1月8日(日)☼
友人からの情報です。旧満洲・千振開拓団を描いたドラマ「開拓者たち」が日曜の22時からNHKBSプレミアムで放送されているそうです。
千振開拓団の引揚者が再入植した栃木県那須の千振を「きいちご移動教室」で訪ねたことがあります。今回の連続ドラマ(全4回)ではこの再入植後のあゆみも描かれているということです。
私たちが訪ねる直前に明仁天皇一家が千振を訪問されて悲劇の歴史をこどもたちとともに学ぶ姿が話題となりました。
出典●http://blogs.yahoo.co.jp/yumeproj8864/53132224.html
命日を同じくする人の名が何人も刻まれた墓碑にお参りしました。集団自決の家族の墓でした。天皇一家のみならずこの国に生きるすべての家族が学んでおかなければならない歴史です。
若い友人たちに是非見て欲しい番組です。
と、いっても我が家にはTVを見る装置はなく、出来栄えは?なのです。録画した方がいたら見せてくださいね。
<関連記事>私たちが那須・千振でお会いした星さんの近況が載っている記事です。
2012-01-05 10:21:08
那須・千振のいま/3 奪われた年月もう返らない 残留孤児の「苦難奔波」
テーマ:残留孤児
2012/01/04 毎日新聞/栃木
◇父と暮らす夢かなわず
「あなたは本当は日本人なの」。1975年夏。星益英さん(69)は中国北東部の自宅で、末期がんの母から出生の秘密を聞かされた。約30年間、中国人の父母の下、実子として育てられた。日本人の父や母、きょうだいの記憶も日本語も覚えてはいない。信じられないし、実感もわかなかった。
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旧満州(現中国北東部)での過酷な出来事は星さんの姉省子さん(73)=宇都宮市大和2=がよく記憶している。満州千振(ちふり)開拓団の一員だった父盛(さかり)さんは終戦前に動員され、母と生まれたばかりの弟は戦渦の中、銃弾に倒れた。当時3歳だった星さんは省子さんと2歳上の兄瑞男(みずお)さん、2歳の妹との避難生活を強いられた。「足手まとい」の妹は、周りの大人たちから毒薬入りの水を飲まされ殺された。
野宿また野宿の逃避行の最中、養父となる中国人男性が現れた。避難していた日本人経営の旅館を訪れ、一番下の星さんを養子に選んだ。省子さんは強く反対した。「『ご飯を食べさせてまた連れてくる』と言ったのに、二度と戻ってこなかった」と振り返る。省子さんと瑞男さんはその後、別の中国人夫婦に引き取られた。
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星さんの養父母は、5人の実の子と分け隔てなく育ててくれた。感謝してもしきれない。一方で、祖国と、生きて会えるかもしれない実父への思いも。時は72年の日中国交正常化以来の友好ムードにあった。養父は「お前が帰りたいなら、そうしなさい」と背中を押してくれた。
81年夏。政府の肉親捜し事業で訪日し、那須・千振に入植していた盛さんと再会した。星さんは「私にそっくり。すぐ分かった」。父も星さんの背中のほくろで実の子と確信した。固く手を握りあった。40年ぶりのぬくもりが伝わってきた。
中国で結婚した妻と、3人の子を説得し、永住帰国を決めた。半年以上にわたる煩雑な手続きを済ませてようやく82年3月8日、念願の祖国へ向かう。だが、北京への汽車に乗るその朝、自宅に一通の電報が。盛さん急逝の知らせだった。
星さんは今、盛さんの残してくれた土地で妻と暮らす。3人の子は独立した。別の養父の下で育った省子さんも85年に星さんと再会。落ち着いた暮らしを手にしたが、幼いころ生き別れた父と暮らす夢はかなわなかった。奪われた年月はもう返らない。2人は口をそろえた。「『苦難奔波(クーナンベンボゥ)』。本当に苦難に翻弄(ほんろう)された人生ですよ」【吉村周平】=つづく
■写真説明 帰国直前に亡くなった父の墓に手を合わせる星さん夫婦=那須町豊原丙で
「開拓者たち」●http://tv.yahoo.co.jp/program/50862877/