川越だより

妻と二人あちこちに出かけであった自然や人々のこと。日々の生活の中で嬉しかったこと・感じたこと。

『お兄ちゃん』 倍賞千恵子著

2012-01-26 09:10:23 | 映画  音楽 美術など

1月25日(水)晴れ

昼前風もなく日差しもあったので久しぶりに市街に。ベーグルを買ったあと丸広に寄ってお弁当などをゲット。たったこれだけのお使いなのにすっかり疲れてしまった。寒さで閉じこもる日が続いたので体がなまっているのだろう。

 午後は日差しのあるベッドで『お兄ちゃん』(倍賞千恵子著、廣済堂出版)を読む。娘がインターネットで取り寄せてくれた古本。渥美清がなくなった翌年・1997年の刊行だ。

       お兄ちゃん 倍賞千恵子

渥美清の思い出に触れながら自分の半生を語る‥そんな本である。一気に読んだ。

第2章が「滝野川から『下町の太陽』へ」。

 僕にとっても懐かしい滝野川での一家の生活が彷彿としてくる。階段の途中に並んでとった5人姉弟の写真がいい。1950年代半ば、千恵子さんは中学生か?

お姉さんの節子さんは中学を出ると万年筆会社で働きながら定時制に通った人だ。池商はまだなかったから、北園高校かな?

あるとき突然「ブラジルに行きます」と言って一家を大騒動に巻き込んだらしい。妙なことだがこの辺が一番印象に残った。

著者はこう書いている。

「ただやさしいだけじゃなくて、人には見せびらかさないけど、心の中にはいろいろドラマを持っていて、でもわがままを通さずに、周りの人たちのためを考えているような、そんなさくらさんを演じられればなあと、節ちゃんを見ていて思ったものでした。」

寅さんの台本とともに「さくら」役が降ってきたときに倍賞さんは節子姉さんの姿を観察して「さくらになーれ」と呪文を唱えたという。

寅さんの葛飾・柴又は倍賞さんにとって「滝野川でなじんだ世界」「知り尽くしている世界」だった。

 

「あー、こんな人たちにまた会えるんだ、こんな人たちが住んでいるところが映画の舞台になるんだ」感激して、声をだして滝野川の人たちに伝えたいほどでした。

 

自分のなじんだ世界で自分の大好きな「節っちゃん」を思い浮かべながら役作りをするのですから心強く嬉しい映画づくりだったろう。

倍賞さんに「さくら」役が回ってきたのは69年5月頃だったという。

僕が滝野川の池袋商業に転勤したのは69年4月のことだ。八木茂夫さん一家をはじめこの地域で世話になった方々も「寅さん」に出てきて少しも違和感のない人たちだ。そんなことも思った。

八木さんはガリ版と鉄筆で製版(蝋原紙)する筆耕を仕事とする方だった。