1月11日(水)☼ 9時半頃から城ヶ崎海岸自然探求路を歩く。蓮着寺から海岸沿いのUP/DOWNの激しい道を6Kmぐらい。伊豆高原の駅に着いたのは12時半ごろ。よたよた、ゆっくり、ゆっくり。普通の人の2倍くらいの時間が掛かったかな。それでも歩き通すことができてよかった。すこし、自信を回復したか?歩きなれた道だが照葉樹林の植生も豊かで興味の尽きない3時間だった。
1月12日(木)☼ 朝湯に入ると周りの木立は雪景色。元気な時だったら雪見酒もいいなと思うかな。どんどん晴れ上がってきたので下田の須崎の遊歩道を歩きに行く。ここもUP/DOWNは激しいが神子元島(みこもとじま)を遠望する景観はなかなか。何年か前に世話になった海上保安部OBの方の別荘によってみたが留守だった。今回はここから裏道を通って須崎港に引き返す。案内板を見たら「恵比須島」とあったので行ってみた。
小さな島だが大いに気に入った。岩の形状が面白い。展望台のそばに若山牧水の歌碑がある。
友が守(も)る 灯台はあはれ わだなかの 蟹めく岩に 白く立ち居り
「若山牧水は大正2年10月28日神子元島の灯台守である大学時代の学友古賀安治を訪ねる為渡島し、1
週間留った。その折の体験は、80首の大作となって歌集「秋風の歌」に収 められ、又小説「灯台守」や小品
「島三題」の一となった。わが郷土が大歌人によって詠まれたことを誇りとし、永遠に敬慕するよすがとしてそ
の中の1首を碑に刻み、この地に建てることにした。染筆は特に嗣子若山旅人に請うたものである。
昭和55年6月1日」
出典●http://members.jcom.home.ne.jp/urawa328/ebisujima.html
僕の枕頭の書『若山牧水 伊豆箱根紀行』(木蓮社・村山道宣編)には小説『灯台守』と歌六首が収められている。この本によれば
牧水が神子元島の灯台を訪ねたのは29歳の時だ。
長男・旅人が生まれたばかりだったが自らの結社の機関誌の資金繰りなどから逃げ出すように東京を後にしたらしい。
『灯台守』を読むと友人に灯台守になることをすすめられて真剣に悩む様子が克明に綴られている。
そうはならなかったが過酷な自然条件のただ中での一週間の生活は牧水の自然観にただならぬ影響を与えたことだろう。
船は五梃櫓 漕ぐにかひなの 張りたれど 濤(なみ)黒くして 進まざるなり
次のうねりは われの帆よりも高々と そびえて黒く うねり寄るなり
これらの歌もこの時の作品。岩礁のおおい難路である。だからこそ神子元島灯台が作られた。いま、恵比須島の牧水歌碑の脇に立ってみても白波の寄る岩礁の向にその灯台は立つ。恵比須島の恵比須さんと神子元島の灯台が地元の漁師たちの心の支えだったとか。納得の行く話である。