知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~
まあ、なんてのか、「作業場」にはこれは
要るよね。
「飲むほどに酔うほどに、かつて奪った命の記憶が
甦る」——最強と謳われ怖れられた、新選組三番隊
長・斎藤一(さいとう・はじめ)。明治を隔て大正
の世まで生き延びた“一刀斎”が近衛師団の若き中尉
に夜ごと語る、過ぎにし幕末の動乱、新選組の辿っ
た運命、そして剣の奥義。慟哭の結末に向け香り
たつ生死の哲学が深い感動を呼ぶ。
(GoogleBooksから)
めちゃくちゃ面白い。
司馬遼太郎のように清廉潔白吉川英治臭
も漂わず、かといって、峰隆一郎のよう
なドラスティックなエグい必要以上の血
生臭いリアルさも伴わず、程よい描写。
しかし、ぐいぐいと引っ張って、読者を
斉藤一の語りの世界に引きずり込む。
一つだけ齟齬というか作者の大誤謬があ
る。
それは、実戦抜刀術の使い手として斎藤
一を描いているが、その斎藤が新選組の
市村鉄之介にイアイを教えるシーンがあ
る。
それが大デタラメ。
「初発刀」なるものを教える。はあ?だ。
土佐流儀を?
そして、正座から横一文字に抜きつけて、
左膝を右足まで送ってから踏み込んで真っ
向から斬り下ろす、これが基本だとしてい
る。
えーと。
存在しません。
戦後昭和30年代までは、イアイでそのよう
な動きはこの世に存在しません。
それはある流派が独自に新たに作ったもの
であり、江戸時代には土佐流派だけでなく
どの流派にも存在しません。
そもそも、よけられたから二刀目でとどめ
の二太刀目をなどという流派は武士の流派
には存在しません。
土佐英信流にも「とどめ」の思想も存在し
ない。二太刀目があるのはとどめではなく
追撃。そして、正座の前では膝送りなどは
しない。斬られた相手はのけぞらない。
必ず前に俯く。なので膝送りなどは無く
その場で真っ向を斬れば敵の頭部をかち
割れる。これは物理的な理だ。
銃でも腹を撃たれて俯かずにのけぞって
吹っ飛ぶのは映画やチープなドラマの中
だけの話で、実戦銃撃では腹に被弾した
ら俯く。
刀槍でのけぞるのは背中を斬られた時だけだ。
土佐英信流の二刀目で追い込みをしない
のは、初太刀で相手がよけるようなぬるい
抜刀斬撃などは術の訓練に組み入れては
いないからだ。想定がない。
正座業での膝送りは、昭和大戦後に新た
に誕生した新興の新流派によって夢想さ
れて創作されたものだ。江戸期の武士の
所作には膝送りはない。
浅田次郎さんは、日本の刀術武技の歴史
をよく調べずに、現行モノが時代モノと
見誤って先走って書いてしまったのだろ
う。
あれが、幕府旗本御家人が学んだ小刀を
使った靖武流あたりの抜刀術であったな
らば、かなりリアルであったろうに、こと
もあろうに戦後昭和創作イアイを斎藤一が
使ったなどというのは、荒唐無稽が過ぎ
る。
映画で眠狂四郎と対決した中国人の拳法
家(若山富三郎)が「貴殿の円月殺法と俺
の少林寺拳法、どちらが勝つか、勝負
だ!」と言っていたが、それ位に荒唐無稽
です、浅田先生。
少林寺拳法は昭和に誕生した新武術であ
るように、浅田先生が書いたイアイのシー
ンは昭和戦後新派の創作動作なのだから。
「勝安房守は、刻限を確認すべく、その
時懐からスマートフォンを出した」と書い
ているようなもんで、100%全方位的に
❌です。
まあ、時代劇では大刀の下緒を前垂らしの
右前袴紐結束をしたりするバカバカしい
あり得ない事もごく最近では平気でやられ
たりする。
将軍吉宗の背後に江戸城天守があったりと
か。(しかもそれは姫路城で江戸城天守とは
似ても似つかぬ)
江戸時代の侍が「オッケー!バッチ
グー!」とか言ってしまうような事を無知
ゆえか浅田次郎氏は作品内でやらかしてし
まった。
時代ものの表現描写においては、時代考証
は正確に。
アメリカの南北戦争でコルトSAAが出て
きたらおかしいんですってば。西部劇で
携帯電話が出て来たりとか。
日本の時代物もそうです。
戦国物語に江戸幕末の突兵拵が出てきた
り、源平合戦でまだ存在しない槍が登場
したりするのもおかしい事であるし、そう
した表現はやってはならないのです。
時代物は、徹底的に間違いのないように
事前に調べてあげて文芸と成さなければ、
作品自体が一気にドボンとなります。
とみ新蔵先生も作品の中で、柳生の若に
畳表巻きを切らせていましたが、江戸期に
は畳表巻き切りは存在しません。
なぜなら、畳表巻き切りは、昭和50年代
に斬鉄剣小林康宏刀の試刀家であった小幡
氏がそれまで長く慣例だった巻藁の代用品
として適切な物を思案を重ねた上に発案し
たのですから。それが日本の現代試斬の
正確な歴史です。
それまでは、江戸期を通じて明治から昭和
50年代までは、死体以外の試斬はずっと
巻藁です。中に竹を仕込んで。一晩水に
浸けて。
なぜ巻藁をやめたかというと、時代と共に
藁(イネ)の入手が困難になって来た事と、
後始末の利便性を勘案しての事です。
藁は藁で束ね方があります。ただ単にまと
めて丸めただけでは適切な試斬用巻藁とは
ならない。
こうしたことがちゃんと伝承されて来たの
は、1980年代に試斬をやっていた私の世代
が最後なのではないでしょうか。
1993年あたりまでは、まだ巻藁と畳表が
半々でしたが、95年頃からはほぼ畳表が
主流になりました。
それでも、伝統の中にいた人たちは、きち
んと畳表のことを畳表と呼んでいました。
畳表のことをマキワラなどと適当にデタラ
メな呼び方を平気でするようになったの
は、本物の巻藁を知らず、また、研究心も
探究心も全く無い、温故知新を知らぬ者
たちがやり始めた事です。それはまるで、
鹿を見て馬だ馬だ、と言っているような
もので、物事の識別も区別もできていな
い、武芸者にとっては致命的な「見当識
不全」を形成しています。できない。遣え
ない。武術の術者としては空振りですね。
とみ先生でさえやらかしてしまってます。
南北戦争に機関銃が出て来てしまうような
表現を。
畳表巻きの事を巻藁と呼ぶ現代人の不明
さ(2006年頃から蔓延)は、自転車を自動車
と呼ぶようなもので、話にならない論外で
す。畳表はイグサであり、イネ科のワラで
はないのですから。床を天井と呼んでいな
がら「何が悪いのか?」と言ってるような
識別力の無さ。論外な訳です。
1990年代まではきちんと識別区別して
斬り士たちは呼んでましたが、ネットが
普及して素人がドワッと増えてからワラと
イグサの区別もつかない、つけない見当識
不全の態が大きな顔をしてはびこっている
訳です。
中には、藁も切らずに畳表しか切らない
のに藁斬り何とかとか自称しているこっ
ぱずかしいのまででかい面して登場する
始末。広告つけて金稼ぎ動画を出すという
凡そ士分にはあるまじき仕儀に御座る。
もっとも士ではないから、そうした行為が
できるのでしょうが。
なんというか、めちゃくちゃですね、今の
時代は。
時代小説、映画、演劇等では、使う言葉
は現代語で仕方ありませんが、こと物品
や仕草や所作等は時代考証は正確に。
サムアップでグー!しても江戸時代の人
には通じませんし。
これまで幾多となく時代劇の中では沖田
総司が作り手によってそれぞれ描かれて
来た。
実際の新選組の沖田総司については、二番
隊組長永倉新八の回顧録や、明治以降に
新選組屯所の大家の子どもだった八木家の
者に取材した子母澤寛の著作に沖田総司
の実像が記されている。
それをまとめると以下だ。
・痩せていて背は高く肩も張るが猫背
・色は浅黒い
・顔がヒラメ顔
・無邪気だが超短気
・剣術稽古では短気すぎて皆が敬遠
・子ども好きで近所の童と遊ぶ
・京の町医者の娘と恋仲になるも近藤土方
によって別れさせられた。普段涙を見せな
い沖田はこの時ばかりは泣いた
・沖田総司、内縁の妻あり説あり。新選組
関係者の墓所に「沖田家縁者」との女性の
墓銘と書面記録あり。これは町医者の娘と
実は隠れ所帯を持っていたのではないか、
あるいは夫婦のけちやくを交わした相手
ではないかとの推測あり。
こうした例は坂本龍馬と北辰一刀流の娘
千葉さなことの間にもある。
さなこは明治になっても「わたくしは
坂本龍馬の妻です」と公言し、龍馬がその
証に渡した片袖を大事に持っていた。生涯
千葉さなこは独身を通した。
沖田総司のイメージを世に広く印象づけた
のは1965年のドラマ『燃えよ剣』の島田
順司さんだろう。あれは司馬遼太郎が描く
沖田総司のイメージそのものだった。
土方歳三については栗塚旭さんが印象を 決定づけた。
この栗塚歳三を超える歳三らしさは、1989
年の正月ドラマ『燃えよ剣』での役所広司
さん登場まで待たねば出なかった。
名作である1965年版の『新選組血風録』 では、左右田一平さんが斎藤一の役をやっ
ていたが、実年齢は斎藤一は沖田総司より
二つ下、藤堂平助と同い年なので、一平
さんではちょいと無理があった。
カラーが一般的であった時代にあえてモノ
クロで撮影された。
この後の1970年の『燃えよ剣』もモノクロ
で作られた。
こちら1970年版では左右田一平さんは 一言居士のような医師役での登場だった。
1966年版の最初の司馬遼太郎作品のドラマ
化での『燃えよ剣』では若き杉良太郎が
沖田総司の役をやっていた。
沖田総司役は多くの役者が演じたが、島田
総司のイメージを崩したのは1974年の草刈
正雄さんによる沖田総司だった。
この映画『沖田総司』(1974)はアメリカン
ニューシネマの流れというよりも、まるで
シュールレアリズムの延長にあるような
作品だった。ATGの『龍馬暗殺』(1974)
のような。
草刈総司は、後年の尾崎豊の曲で歌われ
たような闇雲に突っ走る若者像としての
沖田総司を好演していた。
草刈正雄さんの素のキャラに一番近いの
はドラマ『プロハンター』(1981)での
小倉弁丸出しのとぼけた私立探偵だった
ことだろう。「本人はギャグキャラなの
に二枚目役ばかりなので不本意だった」
と草刈正雄さんは対談で語っていた。
映画『汚れた英雄』(1982)などは典型的
な二枚目草刈ならではの役どころだった
ことだろう。
しかし、映画マジック。
これが映画の中では、全く一つも取って
付けたようなキザさを感じさせなかった。
イケメンマジックではない。
演出と演技がしっかりしているからだ。
これぞ銀幕、映画の世界。
非日常であっても、観る者に違和感を一切
感じさせないのは、作品として上出来だか
らである。
たけしなどは、自分が出演さえしなければ
上出来になるのに、ど素人のくっそド下手
くそが俳優の真似事ででしゃばるから作品
を台無しにしてしまっている。
黒澤明や大島渚の映画は素晴らしいが、
彼らが役者として出てしまったらどうな
る、すべてがぶちこわしだろうが、という
物事の道理をたけしは理解していない。
たけしは、でしゃばらずにすっこんでいて
徹底的に監督として撮り屋に徹すればいい
のだ。
映像作品での坂本龍馬像も司馬遼太郎が
描く龍馬像が多くは踏襲されていて金太郎
飴になっている。
しかし、映画『幕末純情伝』(1991)では
原作のつかこうへいの龍馬像を大幅にデ
フォルメさせて渡辺謙が怪演をした。
あれは強烈だった。
実は沖田総司は女だった、とするつかこう
へいの小説だ。
それが1988年に戯曲化され舞台公演が
されて人気を博し、映画化となった。
沖田総司役の10代の牧瀬里穂が、めちゃ
くちゃ可愛かった。
この作品はエンターテイメントなのだが、
つか作品としては学生運動を扱った『飛
龍伝』より出来が面白い。
映画版はとにかく役者の演技が各人弾けて
いて、かなり面白い。
こんなのをやられたら、その後の舞台など
は結構きついのではなかろうか。91年の
映画が突き抜けていたので。
坂本龍馬については、1987年『龍馬を
斬った男』では根津甚八さんが龍馬を
演じた。
映画紹介では「これまでにはないユニーク
な龍馬像を演じている」などと評されて
いたが、たわけを申すなと思った。
根津龍馬はそれまでの司馬遼太郎の龍馬
風味であるだけだ。
ただ、根津さん自身は獨協大全共闘で学内
に潜入していた公安警察をぶっとばした
頃の目のギラギラ感が出ていて、悪くは
なかった。
龍馬というよりも、人斬りのような眼光
だった。この作品は会津人の早乙女貢の
原作が素晴らしい。
ただ、演技としては、『幕末純情伝』(91)
での渡辺謙の坂本龍馬が飛びきりだ。
だが、『幕末純情伝』では、龍馬が訴える
セリフは、予告編と本編では変更されて
いる。
龍馬が涙ながらに手をついて人に訴える
「誰もやったことない無血革命をやろう
ぜよ!」というセリフは「平和革命」に
変更されていた。
沖田総司役は、別枠では牧瀬里穂さんの
総司が可愛すぎて大好きだが、スーッと
した清涼感を感じたのは、武田真治さん
の映画『御法度』(1999)での総司だった。
ベースは作品が司馬遼太郎の『新選組血風
録』の中の二話を重ねた物なので、沖田
総司も司馬遼太郎が描く総司なのだが、
武田さんの演技はとてもよかった。
細かい複雑なことは好きではない司馬遼太
郎の総司をよく演じ切っていた。巧い。
武田真治さん、なかなかいい。
沖田総司が持つ人斬りとしての毒毒しさ
を好演したのが映画『壬生義士伝』(1999)
での堺雅人さんだった。
これは、沖田の底意地の悪さ、良い人ぶっ
ていても残虐な新選組の歯車の一つでしか
ない沖田総司を能く演じ切っていた。
堺雅人さんも半沢直樹で定番役を得たが、 この性悪の沖田総司役は見応えがあった。
目つき一つで腹の底に潜む幕末警察の毒を
見事に演じていた。
これが素顔かな。
役者はどれが素顔か分からないけどな(笑)
奥さんの菅野美穂さんとは今でも仲が
良い。
演劇界、映画界、歌手、等々、芸能関係
は離婚率が異常に高いので、仲良し夫婦
を見ると他人様とはいえ気が休まる。
人様のことでも、幸せそうな人たちを見る
のがいい。いがみ合う人たちを見るより
も。
仲良し夫婦は演技ではないことを願う。
中国地区においては鱒族がいるエリアには
全域クマが棲息する。私もこれまで4度遭
遇、2度は遭遇前に気配を感じて同行者と
共に意思疎通して源流域から撤収したこと
がある。完全にフライフィッシャーエリア
とクマさんエリアは競合している。
農家が多い里川にも中国地区はクマが多く
出る。
クマが存在しない九州の人間たちはその
実態を想像だに出来ない事だろう。クマ
がいるのは奥深い山だけとか事実を認識
できずに妄想で思い込んでいるかも知れ
ない。事実、そうしたフシが愚の最たる
偏執狂の巣窟の匿名ネット民には見られ
る。渓流なんてクズだ、源流に行って熊
と縄張り争いで戦ってこそ男、渓流とか
言ってる渓流詩人などはクズだ、とか
不特定多数の誰もが見られる場所で、
違法な犯罪書き込みをしている。
無論自分が犯罪者であるという自覚も無
い。
クマのいないエリアから出たことがなく、
ボタ山のみが山かと思ってるとこうなる。
それは世間の現実をあまりにも知らなすぎ
るし、新聞やニュースにも目を通していな
い世界知らずなのだろう。
渓流とは源流を含むことも、里川の中流
域にもクマが多く出るということにも無知
で、世の中の実態に疎いままその無知を
曝け出すと、自分は危険認知度がどれほど
低いかを晒すことになるし、事実なってい
る。
そうした脳内産物は、現実世界と決定的
に乖離しているという点で非常に危険だ。
見当識不全の者が脳内妄想で好き勝手に
書き込むデタラメを真実かと思い込む時点
で脳が危険なことになっている。その危険
を危険と自覚できる人は踏みとどまり引き
返せるが、それができない者たちは脳が
やられた同類が巣食う肥溜めに自ら浸かり
込んで行く。
てか、なんで自分はクマのいない場所の
人間ですよと自ら暴露してるのだろう。
頭が弱過ぎ。
時事と現実に疎いと、人間社会でも自然
の中でも命を縮めるという現実を知る事
と程遠い有様になってしまう。明らかに
どこに行っても弱者だ、それは。
中国地区では、ウサギ追いしの渓流より
下流の里川エリアでもクマはばんばん出
る。むしろ実体としては源流域の深山部
よりも出没例は多いかも知れない。食料
事情によるものだろう。中国地区だけで
なく、九州以外では日本全国渓流釣りに
はクマ遭遇の危険が伴う。これは日本の
ごく当たり前の常識だ。クマの出ない場所
などは九州全県と沖縄と千葉県くらいな
ものだ。東京都でさえ奥多摩では里山でも
クマが出る。
九州のみは全くクマとは無縁の土地で、
それゆえ、くまモンのようなゆるキャラ
が誕生するのだろう。
深刻な北海道で可愛くおどけるヒグマ君
みたいなゆるキャラがあるだろうか。
クマのキャラはあるにはあるが、くまモン
のように可愛くはなく、北海道のクマキャ
ラは見たら子どもが泣き出しそうなリアル
な現実を伝えるキャラとなっている。
しかしこれは・・・。
ナマハゲと同じ効果狙いなのか。
中国地区の最大の特徴は山岳地域がなだ
らかであり、高い山でも1,600m級程度で
あることだ。
そのため、深山に進むにも車で天辺近く
まで行ける。
それが何をもたらすかというと、氷河期
に陸封されたエラが未発達の原始的な魚、
鱒族の宝庫にアプローチしやすい、とい
う事になるのである。
鱒は酸素量の多い河川の上流域にしか棲息
できない。標高でいうと約600m以上の
地区だ。里川であろうと渓流であろうと
渓流の支流の源流であろうと、イワナ・
ヤマメ・アマゴが生きる流域は水が綺麗
で、酸性度も低く酸素量が多い。
広島から島根県に抜ける道は上掲写真の
ような道路だ。これでも国道なのだ。
すぐ脇は川が流れている。
しかし、車を駐車できる場所がほぼ無い。
また、見ての通り、四輪車は離合できな
い。車1台分の幅員しかないのだ。
もし対向車が来たら、ウルトラ技術でくね
くね道をバックして離合退避エリアのある
場所までどちらかが後退しないとならな
い。
横の渓流は鱒族ウハウハなのだが、車を
停められないので、駐車ベースから相当
距離があるためなかなか竿出しができな
い。そこまで運んで下ろしてもらって釣る
と、魚影が濃くて「なんじゃこりゃー!」
なのである。
思うに、駐車ベースまでマウンテンバイク
などの自転車を積んで行って、車を置いた
場所からはチャリでポイントまで移動すれ
ば交通の邪魔にならずに自転車を道脇に置
いて川に入れるのではなかろうか。
それをやっている人を見たことないが、
四輪車+自転車というアプローチ方法は、
山岳渓流釣りの幅を広げるのではなかろう
か。
広島県から島根県にかけての山岳のイワナ
は、地球上で最西南端に生息するイワナの
場所となっている。世界でそこが終わりで
そこが始まり。
そこにいるイワナは金色のイワナでゴギと
いう名称だ。
なぜ魚体が金色かというと、鉄分が多い川
にいるため、魚体が保護色になったのだ。
ゴギ。幼体はヤマメと同じく小判型のパー
マークがある。蒙古斑のようなものだ。
やがて消える。
広島県の天然記念物のゴギだが、渓流魚
マニアによる無秩序な乱放流により、生
態系が崩れつつある。
明治大正時代にゴギのいない水系にゴギ
を入植させたのは、それは食物に乏しい
山岳地域の人々の貴重なタンパク源確保
のためだった。
しかし、その後、流通が発達して山岳地区
でも食料品が確保されるようになってから
は、積極的な水系を跨ぐ放流はされなく
なっていた。
しかし、ここ四半世紀くらいの空前の釣り
ブームにより、マニアたちがめちゃくちゃ
な違法隠れ放流をして生態系を崩してい
る。バス釣りが流行り出した頃に渓流でも
それがやられだした。大抵はルアー釣りの
層がそれをする。
釣り場で出会っても、ルアー釣りの層は
野外渓流でのマナー最悪のエサマンたち
よりも柄が悪い。
それでも水は澄んでいる。
汚すのは人間だ。
汚れた人間たちが渓流を汚し、魚の世界
を乱す。
清らかな山岳渓流のほとりに第二の居を
構えた友人がいる。
薪を割り、それで暖を取る。
私とは1990年代末期からの付き合いで、
共にフライフィッシャーだ。毛鉤釣り専
門。また、互いに流派は違えど刀術者で
もある。二人とも神奈川育ち。
彼が乗る二輪はアドベンチャータイプで、
地球の果てまで走れるよと言っている(笑)。
それで山岳ルート共走りしたら、フット
サイドを路面でこすってるのだから、傾け
過ぎだすよ。危ない。
彼の薪小屋での泊まりの仲間内の合宿開催
を誘われている。
コロナが明けたら、みんなでおじゃまんべ
したいと思う。
冬は四輪車が屋根まで埋まる程の豪雪地帯
だ。
こりゃ、リアルブッシュクラフトのすげー
版だよなあ。
けだし、江戸の大名屋敷というのは、御
府内の市中にありながら、こうした森を
人為的に設えた人工森林庭園だったので
はなかろうか。