薪での引っ叩きOKなようにタングの背部
フルタングとある。
タングの半分はコンシールドされている
動画サイトでのレポートをした人は、抜け
落ちやすいと言ってましたがそんなことは
ない。カチリと固定できる最後まで押し
込んでいなかったのでしょう。適切に
最後まで納刀すれば、逆さにして振っても
全く抜け落ちたりはしません。
抜く時には鯉口切りと同じ動作をしないと
テンションが強くて危ない程ですから。
携帯性は良い。
多くの人が見逃すであろう刃先の刃付け。
理想的なウルトラマイクロベベルが付いて
角度を変えて光の反射を変えないと見え
石川鷹彦 22才の別れ
これはかぐや姫の伊勢正三さんの曲だが、
1975年デビューの「風」の曲ではない。
「かぐや姫」の曲だ。
1974年のアルバム「三階建ての詩」の中
に収録されていた。
それをかぐや姫解散後に伊勢さんと猫の
大久保一久さんのデュオ「風」において
シングルカットしてデビュー曲とした
のだ。
なので、風のアルバムにはこの名曲が
最後までアルバム収録はされなかった。
伊勢さんの中ではこれは「かぐや姫」の
曲だという思いが強かったからだという。
かぐや姫時代から風を通して、南こうせつ
や風のステージやスタジオ録音にはギタ
リスト石川鷹彦さんの編曲とギターが
欠かせなかった。
普段は中野高円寺あたりの居酒屋で飲ん
でるいいおっちゃんの石川さんだが、
ことギターの音色は、聴けばすぐに
「これは鷹彦さんの演奏」と判る音を
奏でていた。
そして、名曲「22才の別れ」である。
伊勢正三さんはハタチそこそこでこの
曲を作った。
バックギターはナッシュビルチューニング
で石川さんがまとめた。
この儚い、ハラハラと粉雪か花弁が散り
落ちるような音色は石川さんなくしては
表現できなかった。
実は「22才の別れ」には返歌がある。
それが「雨の物語」だ。
「22才の別れ」で女の視線から見えた
「鏡に映った貴方」は、「雨の物語」では
「化粧する君」として男の側からの目線
で描かれているのだ。
かぐや姫・風フリークならば誰もが知って
いるエピソードだが、作品においてその
ような関連性をもたせた叙情表現をする
のは、伊勢正三さんならではの描写だ。
伊勢さんが一番好きな詩人は、中原中也
である。
長谷川泰子と小林秀雄の三角関係を抜き
にして、中也の詩の世界は語れない。
汚れちまった悲しみの世界なのだ。
北の海にいるのはあれは人魚ではない、
という世界。
死んでしまう程、人を好きになった人で
ないと、かぐや姫や風や中也の世界は
理解できない。メルヘンチックな「おは
なし」に終わってしまうからだ。
そして、そうなってしまうと、人は、
音楽や詩や写真や絵画や映画に触れて、
死んでしまいたくなったり、生きる希望
を見つけたりすることは無い。
その時、芸術は死滅する。
実は伊勢さんは病気で喉を壊し、往年の
かぐや姫や風の頃の歌い方ができなかった
のが上掲の動画の頃だ。
今世紀に入る頃はそうだった。
本来のかぐや姫から風の頃の伊勢さんの
歌声はこれだ。キーも違う。
スタジオ録音のバックギターは鷹彦さんだ。
原曲のかぐや姫の「22才の別れ」は、
かぐや姫のアルバムに入っている。
これは75年リメイク、風のデビュー曲の
時のバージョンだ。
ドラマ『昨日、悲別で』(1984)のテーマ
ソングとなった。
22才の別れ 風 1975
『昨日、悲別で』(1984)
倉本聰脚本の名作ドラマ。
切なく悲しい物語だった。
静かなる名作だ。ある意味『北の国から』
よりもいい。
石田えりさんがとてつもなく良かった。
今から15年ほど前の韓流ドラマは、この
頃の日本ドラマのテイストをベースにして
いる。
それは紛れもなくピュアテイストだ。