知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~
毛鉤釣人だれもが心の中にカーティス
クリークを持っているように、旅走人
の方々も、心にはカーティスロードを
ぜひ。
自分一人でも良し。
友と共走りできれば、なおまた良し。
福岡人からカキもろた。あんがと。
うまし!!不思議な匂いに興味シンシンの猫。 黒ピーは「今年もだね」みたいな感じだ
が、春生まれの子猫は磯の香り初体験だ。
うちの猫は、キャットフードオンリー。
神奈川県の突端は城ヶ島向かいの三崎だ が、広島県の突端はここ音戸(おんど)だ。
音戸のの瀬戸。川みたいだが海だ。
軍艦も通る。
穏やかに見えても流れは急流、怖い海。 それが瀬戸内。
ツーリングマップルは便利だねい。 このマップルにはいろいろ書き込みをして
いる。走ったルートはマーカーで引き、
注釈等を書き込んでいる。
原付以外では、基本的に、走った道は全て
記録に録っている。これは1970年代から
ずっと。
どこかに行くことが目的ではなく、私の
場合、その道を走ること自体が目的だか
らだ。
1960年代中期までのモーターサイクルの ロードレース用ヘルメットはこれであっ
た。
これ以前は、世界グランプリであっても
お碗ヘルメットだ。いわゆる半キャップ。
1960年代末期にフルフェイスヘルメット
がこの世に誕生するまでは、顔面は剥き
出しだった。
転倒するととんでもないことになる。
顔面が路面と接触すると、大根おろしの
おろし金を顔に当てて力ずくでこするより
もひどいことになる。下手したら顔面は
消失する。
ビートたけしなどは生きていたのが不思議
な程の事故だった。
むしろ、400年前の日本の鎧兜のほうが
顔面保護の防備が整っていたように思え
る。
面には面頬(めんぼお)と呼ばれるガード
を装着する。完全に防具だ。
甲冑を着て面頬を着け、太刀を佩いて 脇差を差した武士。
脇差の下緒が下緒本来の用法が何である
のかを示している。
甲冑武者を斬り伏せることは難しい。
太刀にて兜をぶっ叩いて脳震盪を起こさ
せ、然るのち、組み打ちにて引き倒して
から右手(めて)差しの鎧通しで首を掻く
のである。
時代劇のように鎧武者をバッサバッサと
斬り倒す事などは、荒唐無稽のファンタ
ジーだ。刀剣で斬られない為に甲冑があ
るのだから、斬れる道理は無い。
斬るとするなら、甲冑の隙間を狙う。
戦国期からの古流剣術が隙間を狙う刀法
が多いのはその為だ。
土佐の英信流においても、己の着用した
甲冑さばきの所作が形骸化しながらも多く
残っているし、また、刀法でも隙間を狙う
えぐり技の操刀法なども残存している。
さらに英信流の基本刀法である「叩きつ
け」なども、戦国期の林崎流刀法からの
流れの特徴の一つだろう。土佐流儀には
押したり引いたりの切りは少ない。ほぼ
全域は慣性を利用した「叩きつけ」であ
る。存外、細かい芸はなく、朴訥とした
古風な大雑把さがある。
そのあたり、新陰流系とは異なるが、英信
流においても小笠原(伊勢)流と新陰流を
参考にした時期から、刀法にも自ずと術理
に変化がみられた事だろう。
基本はぶっ叩きだが、えぐりなどの細かい
芸を要する技も奥伝には多い。
さらに奥に行くと、もう完全に取っ組み
合いの体術そのもの、体術の中で短剣を
使う、というような体系になってくる。
オートバイにはフルフェイスヘルメット。
これが一番安全だ。
勿論、ノーヘルは30km/hでも電柱に直撃
すれば即死する。
最近、ただひたすら食うだけのドラマが
矢鱈めったら滅法多い。べらぼーに多い。
この画像『野武士のグルメ』もそうで、
60歳で定年を迎えた気弱な真面目な男が、
仕事以外は何の趣味も無かったのに外で
ごく普通の定食や弁当に至福の時を覚え、
それを堪能する、という小市民的ドラマ
だ。
そこで、新たな体験に踏み出す際に男は
必ず逡巡し、必ず妄想映像として野武士
なる男が出てきて、周りの風景や人物も
時代は戦国時代へとトリップする。
私は野武士なる者が大嫌いだ。
間違いなく、野盗、野伏せり、暴漢、切り
取り強盗の類だからだ。
歴史用語での「悪党」などもそれの類系と
なる。
殊更に蛮威を以って傍若無人に振る舞う。
そして、それがあたかも勇者であるかの
ような自己恍惚感を振りまいて自画自賛
する。見た目は汚い。食事も立ち居振る
舞いにも作法も礼儀も無い。
私が一番嫌いな類の種族だ。
現代では(といっても半世紀程前)、バン
カラなどというものがそれに当たるだろ
う。
江戸期のカブキ者はまだ洒脱を旨とする
粋さがあった。
野武士を無骨として評価する向きの神経も
私は嫌いである。
もみあげを伸ばして髭を生やしているの
だけで不潔不衛生で嫌いだ。こきたない。
江戸期の武士なら即アウト。軍隊において
も、戦線でも即アウトである。非衛生的だ
からだ。
武士が月代を毎日きちんとあてたように、
軍人でも、現代では髭剃り励行である。
傭兵部隊でも髭剃りは必須で厳しく取り
締まられる。
個人的な好みではあるが、ヒップホップの
ような容貌の顔作りで、背広仕事はでき
ないし、警察も軍隊も務まらない。無論
会社員も務まらない。
どんな姿形でも現代では自由だが、汚い
ものは汚い。
そして、自分の事だけしか愛せない連中は
えてして心はもとより見た目も汚い。
野武士を気取るようなのは、私個人は大嫌
いなのである。細身の華奢と思われるよう
な刀で瞬時に斬り伏せたくなる。細身なが
ら真の実力を備える斬鉄剣で。その青龍刀
のような役立たずのデクの棒の大物得物
を抜く間も与えず。
そういう蛮勇気取りの見た目も薄ら汚い
ドヤ顔マンがそれがしは昔から大嫌いで
あるのだ。『一刀斎夢録』の斎藤一風に
言うならば。
そして、この『野武士のグルメ』では、
その妄想シーンの野武士役の役者が実に
くちゃくちゃペチャペチャ音を立てて極め
て汚い食べ方をする。
それを「ワイルドで好ましい」とする製作
スタッフのセンスと神経を疑う。
匹夫の勇を本物の勇気や勇猛とど勘違いし
ているような手合いが絵を撮ってるような
もんだ。
冴えない定年男がただ物を食うだけの番組
で、中身はゼロだ。『深夜食堂』のような
人間物語もない。
こいつぁ江戸前ではない。
製作者は多分江戸前ではない。
果てしなく江戸前ではない。
感覚がダサい。
長年神奈川県に住んでいながら、まだ全く
走ったことがないロードがある。
それが神奈川県の突端を走る県道215だ。
断崖絶壁から見る太平洋のビューポイント
も多い。
そして、民宿もやってるメシヤだ。うっまそう。 なんか、たまらねえぞ。この三浦半島南端めぐりの旅は、ちょい プチツーリングとして、かなり楽しそう
なルートのように思える。
関東に住んでいたら、ぼっこし何度も行っ て馴染みのルートになりそうなもんだが、
不思議なもんで近すぎてあまり行かない、
というパターンね(笑)。
ほら、東京人では東京タワーに昇った人は
あんましいない、ていうような。
私とて、タワーは記憶では数える程しか
昇ってない。
近いとこって、そんなもんかも。
そのくせ、新宿ゴールデン街は毎晩行くん
だよな(笑)。
(切り餅)
東京もんなんで、餅といえば四角い切り餅
が定番で、それが好きだ。
しるこなどには四角でないといけないし、
イソベ焼きなどでは角餅以外は煎餅みたい
でパッとしない。
ところが、西日本に行くと全部丸餅だ。
これは、餅をついたらそのままひねって
平べったくしただけの餅で、これはこれ
で味がある。
しるこは角餅だが、雑煮などはこの丸餅
のほうがしっくりくる。
食い方によって両方楽しめればよいのだ
が、日本はどうやらそうはなってない。
でも、元来餅は丸餅だったでしょうね。
わざわざ包丁入れて四角に豆腐のように
切る餅ではなく。
ま、西日本では吉備団子のでけえのみたい
な丸餅が定番。
(丸餅)
うちの正月雑煮は味は東京風で餅は西日本
風。家でついた餅だ。毎年12月30日に本家
でつく。以前は親戚ご近所の大人数で餅つ
きをしたが、今はうちら親子とイトコの子の
ちびっ子たちだけで細々やっている。
まるで手術室入るような衛生管理でやるん
だよね(笑)。
かみさんの作る雑煮はかなり美味くて俺 は好きだ。正月だけでなく時々食べる。
かみさん、雑煮のツユとかうどんツユとか
魚の煮物がけっこう上手い。出汁取るのが
手慣れてるんだろうね。化学調味料は使わ
ない。
日本在住20数年の外国人の友人がいるの
だが、日本の雑煮を食った事がないとい
う。そういえばお店では普段あまり見た
事ないよね。
そんなこと聞いたので、「えー?まじか。
ならうちに食べにおいでよ」ってんで正月
に家に呼んだ。
「うっめ!なにこれ!うっめえ」とイスパニア
の友人は流暢な日本語で言いながらおか
わりしてた(笑)。
正月のお雑煮は河原の芋煮と同じで、家庭
料理だったのね。
確かにお店ではあまり並ばないかもなあ。
そういったあまり店には一般的には並ばな
い郷土家庭料理で最高なものに讃岐の「ど
じょう汁」がある。
どじょうが入ったうどんなのだが、殊の外
美味い。各家庭により味が異なる。
私は香川のご家庭のどじょう汁は3軒のお宅
の味しか知らないが、どれも大変美味だっ
た。その中でもある一軒のは頭抜けていた。
あのどじょう汁は、私の中では日本の郷土
料理の最高峰。
市内のパン屋さんを探していたらここを
発見。
よく通る通りなのに気が付かなかった。
このカフェのような洒落た造りの店は
パンドパンというパン屋さん。
今度行ってみよっと。