渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

海ほたる

2021年05月19日 | open


海ほたるは何度か行ったが、海ほたる
から見る東京湾の夜景は見た事がない。
そのうち行くだよな。
うちのメンツブラザーは、何度も千葉と
神奈川を海底で弾丸してるが、海ほたる
には寄らないらしい。
なんでだろう。
きっと、たぶん、おそらく、メイビー、
海ほたる寄ると、ゆたぁ〜とした気分に
なって寝ちゃうからかも(笑


密封炉

2021年05月19日 | open


これは小林康宏の密封炉。
右のフイゴのさらに右に開放炉の火床
がある。
密封炉は昔はダブル火口(ほぐち)のオバQ
形の炉だったが、現在は四角いカマド型。
これは35年以上使っている。
動力ハンマーは3基。
スプリングハンマー1基にドイツ製のエア
ハンマーが2基だ。
両者では叩き方が違って来るみたい。
勿論、基本的な横座と相鎚の人力鍛錬も
行なう。
刀剣会の合宿の時、相鎚講座をやっても
らった。鎚は正確に振り下ろすのは勿論
だが、まず適切な動作で上に上げるのが
何より難しい。
1丁8kgの大鎚です。

藤安刀匠のお弟子さんで独立した中西刀匠
の相鎚は、日本刀研磨師の町井勲先生の
まだ歳若いお子さんが務めるが、かなり
上手い。
電話で息子さんと直に話したことあるけ
ど、真面目な好青年です。
若い力って、いいね♪

回転水砥石

2021年05月19日 | open


何が欲しいって、この業務用動力回転水
が欲しいや。
熊本の谷川盛吉刀匠宅に谷川さんのいとこ
の弁護士と一緒に遊びに行った時、鍛冶場
にこれがあっただよな。
沸かしの炉は密封炉だった。横座は掘り
込み式。

新作拵

2021年05月19日 | open











友人のお子さんが新作拵を作った。
二口の上のほうの半太刀拵は元々着てい
た幕末の時代拵。
そのイメージを崩さないように、英信流
で使うように外装を現代職人に作っても
らったそうだ。
刀身は古刀。
金具は全て自分で集めた時代物本歌。
目貫は金無垢。
品よくまとまっている。
自分なりにいろいろ研究して、先輩たちか
らアドバイスも貰って製作指針を出したら
しい。

刀に対して前向きですね。
まだ歳若い初段。
これからに期待がかかる。

映画『夏海のホタル』(2016)

2021年05月19日 | open
映画『夏海のホタル』(2016年)
 
そこはかとなく、静かに、良い映画。

2015年。
写真家を志す学生夏海は、自分が目指す
夢が実現する事の困難さを知り思い悩ん
でいた。
恋人の部屋を飛び出した夏海は、亡き父
が残したバイクに乗って、幼い頃父が
ホタルを見に連れて行ってくれた千葉の
奥地に一人走り出す。
山村の萬屋で休んだ時、「地蔵さん」と
近所で呼ばれているそこの壮年の主人と
老いた母の親子に歓迎され、人の心の
温もりを久しぶりに感じるのだった。
そして、いつしか、その萬屋「たけ屋」
に夏海は住みつき、近所に住む気難しい
仏師や近隣の子どもたちと交流するの
だった。






そんな中、大学の恋人が夏海を追い
かけてこの里にやってくる。
恋人も一緒に宿泊させて貰えること
になった夏海だが、なかなか父と昔
見たホタルの姿を見る事ができない
ままだった。
ある日突然、地蔵さんが倒れた。
救急車で病院に入院させたが、医師
によると覚悟はしておくようにとの
ことだ。
地蔵さんの離婚した妻と子どもに
連絡して面会に来てもらうかどうか
で地蔵さんと母と夏海たちの意見が
割れる。地蔵さんたちは子どもはもう
別なお父さんがいるのだから、会いに
来ないように伝えてくれと言う。
だが、地蔵さんの元妻と高校生になっ
た息子は、地蔵さんに会いに来る。

自分の親子関係についてそれぞれ思い
を持つ地蔵さんと夏海と恋人男子。
本当の親子の愛情とは何なのかに気づ
かされた恋人男子は、写真家になる
夢を捨てて実家の造り酒屋を継ぐ事
を決心して、夏海に別れを告げる。
彼が乗ったディーゼル車を涙ながらに
バイクで追いかける夏海。
恋人は、夏海が撮る写真が大好きだ
から、造り酒屋を継ぐ自分とは一緒
にならず写真家になってほしいと、
別れを告げたのだった。




だが、無情にも、燃料切れでバイクは
止まってしまう。涙が止まらない夏海。
そして、地蔵さんは動脈りゅう破裂で
病院で死亡するのだった。
地蔵さんは死ぬ間際に夏海に言う。
実は夏海の父親が死ぬ前に、そのバイク
でふらりと来たことがあるという。
そして、仲間がレースで死に、自分が
オートバイレーサーのプロを続けよう
かどうか悩んでいると打ち明けた、と。
夏海はずっとどうして父がレースを
やめたのか知りたがっていたが、父は
何も言わないまま、病気で死んで行った
のだった。
そして、地蔵さんが亡くなってから
三年後・・・。

というお話。
良作です。5年ぶりに観た。
キャメラがロングで引いた時のバイク
(ヤマハSR400改)の映像は吹替の
女性が運転していますが、アップの
時や発進停止は有村架純さん本人が
バイクを運転しています。
この映画作品のために二輪免許を取っ
たらしい。
主題曲はUruのメジャーデビュー曲
『星の中の君』。
Uruは2013年のYoutube登場の時から
良いうたうたいだなぁと注目して
いました。実にいい。友人の紹介で
観て即ファンになりました。
動画サイトで100動画程うたをアップ
し、そして3年後にこの映画の主題曲
でデビュー。この人、「うたうたい」
です。
この映画の空気感にも実に添っている。
映画は映画で、何一つ盛り上がりも
無い作ですが、これはあえてです。
淡々とむせぶ心の静かな慟哭を抑える
ようなそんな作品。良い。

有村架純の主演映画
「夏美のホタル」予告編
主題歌は新人歌手のUru
 

日本橋にハクビシン

2021年05月19日 | open


戸塚のニシキヘビが見つかってほしい。

悪意

2021年05月19日 | open



うちに来たあとに必ず5ちゃんねるに悪意
ある投稿が何者かによって為されるという
行為と常に連動して動いている人(笑

そして、直後には何者かによる当サイトの
管理画面侵入を試みる行為が必ず始ま
る。
これらは3点セットとして毎回連鎖して
現出する。



東京五輪

2021年05月19日 | open




選手の事を思うと断固開催してほしいが、
人々の事を思うと絶対に中止してほしい。
むつかしい。

ネット犯罪者

2021年05月19日 | open


ネット掲示板5ちゃんねる嗜好者やTwitter
などのSNS偏愛者の態度、人間性などは
こんなもん。
これは一部ではない。
かなりの数でこういう犯罪者が見られる。
しかも、野放し状態。

花形満 『巨人の星』

2021年05月19日 | open



歴史的名作『巨人の星』では、主人公
星飛雄馬の
永遠のライバルとして日本
を代表する自動車メーカー「花形モー
ターズ」の御曹司の花形満が登場する。

中学生の頃から自家用車を乗り回して
いる。
1960年代といえども、明らかに無免許
運転ですね(笑)。

しかも、乗車定員オーバー、法律無視。


わらってんじゃねえよ、この不良!
とか思うのだが、台詞の笑い方さえ
すでにスター的な映画チックな笑い。
「ふっふふ ふふ・・・・」である。
梶原一騎先生と川崎のぼる先生も
芸が細かい。


日本の基幹産業が製鉄、製糸、鉄鋼業、
造船船舶、自動車と移って来て、自動車
が急激に伸びていた時代の作品です。
自動車こそが日本の産業の花形でした。
なので学卒就職先も自動車メーカーが
大人気だった時代。
その後は、自動車から電子電機メーカー
が大人気となる時代が来て、その後に
は通信会社、そしてその次にIT企業と
いう感じでしょうか。
さて、次は何でしょう。
全体的には鉄鋼・造船・自動車産業の
波はとうに
過去の物になっています。
IT産業も、もうしばらくすると飽和状態
でしょう。電気製品はアジア周辺諸国
に追い抜かれて日本産業はがた落ち
どころか、世界をけん引したメーカー
さえ消滅してしまっています。
ここ四半世紀で銀行までも倒産する時代
が来てから、日本の主軸産業は大きく
崩れて来ています。
鉄も紙も船も車も家電も、もう駄目。
ITにしても、ハード面では日本はすで
に蚊帳の外。
この先、どうなるんだろ。


キャンプ

2021年05月19日 | open


最近のキャンプブームは様々な社会問題
も起こしているが、それは別問題として、
昨今のキャンプ人気では個人的に嬉しい
事もある。
それは、ナイフを使う機会に多くの人が
触れる事が増えている、という事実だ。
これは、個人的にはとても嬉しい。
それまでナイフどころか包丁さえ持った
事がないような人たちも、キャンプに行け
ば否応なしに刃物を使えるようにならな
ければならなくなる。
そして、現実には、今、キャンプ用品の
一つとしてナイフが売れ始めている。
北欧のモーラとフランスのオピネルの存在
が大きいが、最近の傾向としては、薪を
叩き割れる頑丈なフィクスドナイフへの
注目度が高まっている。
とにかく、ナイフを「使う」事を多くの
人がキャンプへの参加という中で始めよ
うとしている。
これは、刃物好きからするととても嬉しく
感じるのだ。

日本刀についてはそうは思わない。
ブームなど無いほうが日本刀の世界の健全
さを保全できる。
日本刀は、刀の事を理解して、刀を愛する
人たちだけの物であればいいと思ってい
る。日本の遺産なのだし。

ナイフの場合は異なる。
完全に「道具」だ。時に「用具」ともな
る。日本刀とは同じ刃物でも位相がまるで
異なる。
そして、日本刀は本来の目的には絶対に
使ってはならないが、ナイフは思う存分
に本来の目的に使える。
(私は思うところあり、合法刃長でもダガー
とバタフライナイフとククリは所有しませ
ん。本来の目的には使えないからです)
ナイフが本来の目的に使えないとなると、
私にとっては魅力が半減するし、なんだ
かそれを持つのはただのコレクションの
ような感じがして、気が進まない。

キャンプシーンでは、ナイフは存分な活躍
をしてくれる。
ナイフを見ていると、物を言わない鋼の
物体なのに、なんだかいきいきして喜んで
いるように見えてくる。
みなさんも、キャンプに行かれる方は、
どうぞ、ナイフを持って行って、存分に
使ってあげてください。
そして、自分で手入れをする。
最初はうまくいかなくても、工夫すれば
必ず誰でもうまく研げるようになります。
コツは上手に研ごうとせず、正確に丁寧に
研ぐ事。思い込み独断を捨てる事。
刃物研ぎは自分を研ぐ事と薄らと見える
ようになると、その時には研ぎは物理的
にかなりの研ぎになっている筈です。

使って手入れして、また使う。
どんどん刃物のブレードは痩せていきま
が、それは貴方と共に歩いた年月の証
です。
どうぞ、ナイフに親しんでください。
そして、自分ができるようになったら、
どんな些細な事でも、子どもたちの世代
教え伝えてあげてください。
ナイフの安全な使い方と、それと、刃物
は人々に笑顔をもたらす幸せの道具だと
いう事を。

ソラマメ

2021年05月19日 | open

地元の方から庭先で採れたソラマメを頂い
た。感謝。バイク乗りの先輩の方。

ゆがして食べたら殊の外おいしい。
改めて感謝。まじうめえ。

ソラマメといえば空豆タロウだ。


ドクタースランプが大人気だった頃、私が
見知るクリームソーダの店長誠一郎さん
がタロウに見えてしかたなかった。タロさ
ね。
というか空豆タロウを見たら、あ、店長
だ、という感じがしていた。


心から楽しめたポップな作品が『ドクター
スランプ』だった。
作品の題名の人ではなく脇役が主人公
なってしまったのは『天才バカボン』以来。
本来はアラレちゃんではなく、則巻博士
が主人公。


ドクタースランプ連載・放送の頃のピンク
ドラゴン/クリームソーダの高橋誠一郎
さん。




安全運転

2021年05月19日 | open


安全運転。
難しいですよね。何が安全運転なのか。
取り敢えず、道交法を厳守して運行すれば
安全には近づく事は確かだ。
しかし、道交法厳重=安全運転ではない。
例えば、速度規制が70キロの道路で、
大量の車の流れが平均80キロである場合、
ほとんどの人がその速度で流しているのに
自分は法定速度60キロで走るというのを
実行したら危険が発生する場合もある。
これは、法の遵守が即完全に安全確保には
なっていない定理を代弁する。
つまり、遵法と安全運転はまんまイコール
ではないケースも状況により出てくる、と
いう事。
このあたりの折り合いが難しい。
とにかく法を守る事は最大限実行すべきで
あるのだが、それと真の安全運転は別次元
の事として存在するのは確かだ。

真の安全運転は、「適切な運転」でしょう
ね。
運転の仕方(車両の操作のやり方や運行の
させ方)などは法律で具体的に規定などさ
れていない。各自任せだ。
左右確認では、首を90度まで曲げて確認
せよ、みたいな事は記載されてない。
しかし、チラ見では安全確認を怠る場合
が多いので首を振るように左右を見て確認
する事を多くの人は実行する。
そうしないと法律で決められている安全
確認が担保できないからというのがメイン
だ。決まり事だからやるのではない。中身
の問題。
そこの意識と実行が安全運転の核心なの
ではないかなあ。
例えば法律で決められてないちょっと前
までは煽り運転などはそこらで蔓延して
いたよね。法で規定している危険運転ギリ
ギリの。
法律と安全確認は連動していない事実が
それでもよく分かる。事実上。

法律の決め事以上によく考えて行動する
のが安全運転につながるのではないかな
あ。
それと、道路は自分一人の占有コースでは
ない、という自覚だろうなあ。
俺みたいなのが偉そうな事はまったく以っ
て言えないのだけどさ。どの口が言う、
とか自分でも感じるし。
ただ、どうしたら事故を起こさないか、
というのは常に考えてる。
四輪車では、音楽を聴いたり、べらべら
しゃべりながらとかでは、私個人は運転
するのさえ嫌だ。二輪ももちろん。
なんというのか、スポーツの試合中のよう
に運転に集中するようにしています。

私は二輪車では二人乗りもするけど、友人
には絶対に二人乗りをしないという主義の
人も多くいる。
それはそれで、とてもよくわかる。
運転がとても上手い人たちでもそれだ。
基本的に馬は一人乗りだものね。
馬のあれは何故か、というのと通じるの
かも知れない。
一つの安全運転としての意識が動員されて
いるのかも。
私の場合は16歳の高校時代から2ケツ大好
きだったからよく二人乗りしたけどね。
今でも必要に応じて時々するけど。
速度控えめも大切だけど、速度以上に気を
使う。制動距離やフロントとリヤの挙動が
一人乗りと異なるから。
第一、キャスター角が変わるじゃない。
すると、運動特性がまるで別物になるの
で、2ケツではそれはそれなりに見合った
運転するようにしています。
「馬なり」てやつ。


ラムネ

2021年05月19日 | open


幕末の1865年、長崎で売られ始め、明治
5年の1872年に大々的に国産化が開始され
た日本固有の清涼飲料水ラムネ。
何度か絶滅の危機に瀕したが、このコロナ
禍で、いよいよ本当に絶滅しかけている。
特に圧着率から日持ちが良いビン詰めラム
ネが風前の灯となった。
先ごろ撤退が相次ぎ、現在国内でビンの
ラムネは一社のみ。
需要激減により、再利用のビンが回収で
きなくなったのでやむなく廃業との事だ。
下手したら、地球上から、ビー玉シュポン
のビンラムネは完全消滅する。
それどころか、樹脂ケースのラムネさえも
危うい。
かといって、私一人がラムネを血糖値崩壊
まで死ぬほど飲み続けても事態は変わら
ない。

ラムネがこの世から消えるのはとても寂し
い。

貨幣価値の遷移と実勢金銭実相の乖離について

2021年05月19日 | open
 
過去の時代と現代の貨幣価値の比較を
推し量る方法の一つに物価指数の推移
を用いる場合がある。
それを用いると、過去の貨幣価値のぼん
やりとした姿は見えるが、単純に特定の
指数を投入しただけでは真実の実体は見
えてこない。
例えば、60年前の10円は今の100円に
なるある指数計算があるとする。
それは、ある特定の事物についての事では
なく、単純に数字上の比較としての数値で
しかない。
実際には、その数値で出す時代に、ある
物が100円だったら今の1000円相当なの
か、あるいは逆に今の1万円はその時の
10万円相当なのかというと、これは物に
よって異なってくる現象が存在する。
事物により昔の100円が今の1000円相当
ではなくなるケースが出てくる。
換言すると、数字上は当時の100万円は
今の1000万円かというと、1000万円以上
の存在として機能していたという実相が
介在する事がある、という事。
単純比較で昔の百万円は今の一千万だと
する計算ができないケースが発生するの
だ。その時代には一千万円以上の価値と
なる事例が現実には出てきたりする。
卵は金額比較でいくと昔といまではこう
だけど、実際には卵はなかなか買えなかっ
た、とかの事例が発生する事がある。
金員の額面の問題だけでなく。
金額の数値的な一つの指数だけでは測れ
ない要素が時代の中には介在して影響して
くるのである。
計算式の指数は、あくまで数字的な目安
としての物価指数等であり、貨幣価値は
一つの計算方法ではなく、総合的な世相
を判断基準に加味しながらでないと実相
は掴めない。
ある時代の100万円はある計算では現在
の1000万円になるが、実際には1000万
円以上の価値がその時代にはあった、と
いう現象が発生するのだ。
それゆえ、時代が異なる経済をある特定
の計算方法を単純投入して数値を出し、
それを全てであるとするのは危険な事な
である。
これは経済を知る人にとっては、よく
「単純比較はできないが」とか「物価指数
では」と前提を述べる事の意味を斟酌する
ことにも繋がる。
その過去の時点での国民総生産や国民所得
との関連も算入しなければならないし、
他にもいろいろな要素が入り込んで来て
実態解明は複雑になる。
 
要するに、ある過去の時代の100万円は
ある計算方法では現在の1000万円になる
が、では昔のその当時の1000万円の実相
としてその事物があったかというと、大抵
は「はるかに1000万円以上」という実態
となる事が対価を払う対象物により発生
していた、という現象がいろんな事物で
見られるのである。
 
ただ一つ、不動の定理はある。
貨幣だけを見ると、貨幣価値は時代により
変動する。
ある年の1両は今の12万円という計算の
弾き出しができたとして、それが江戸期
の特定時代の何年か後には1両が今の3万円
まで貨幣価値が下がるという事が起きて
いる。これは貨幣価値として。
ただ、1両は1両なのだが、時代と共に貨幣
としての価値が変わるのだ。
しかし、金額の数値としてのみの比較以上
の要素がその時代毎に加わるという問題が
ある。
米相場本位制の時代の米の価格と今の再建
金本位制崩壊以降の時代の米の価格の比較
などは典型例で、両時代の米の価値を単純
に貨幣の価値変動と同一視でスライド指数
とはできないのである。
 
特定計算式や計算方法だけを用いると過去
の時代の実態は解明できない。
特定計算式での貨幣価値の比較として出た
ある年の100万円が今の1000万円になる
として、ではその時の1000万の感覚なの
かというと、事物全体にはあてはまらな
い現象が発生するのだ。
特定計算方法や物価指数のみで過去の経済
の実相を見ようとするのは、実相の真実を
見る事からかけ離れる事がえてして多い。
陥りやすい落とし穴なので注意を要する。
 
単純金銭価額比較で行くと、1966年私立
高校入学の星飛雄馬の入学金は20万円で、
物価指数4.9を投じると今だと約100万円。
しかし、巨人の星では、お金持ちの層しか
行けない「とんでもない高額入学金の高
校」という当時の実相として描かれてい
る。
今の私立高校の入学金は平均約100万円で
単純に金員額面比較では当時と変わらな
い。
しかし、「お金持ちしか行けない学校」と
して描かれた。
これはなぜか。
当時の20万円は、単純に指数計算で今の
100万円、とはできない社会的な実体が
存在した、という事だ。20万円は100万円
以上の実態として人々にふりかかる金額で
あったという事なのである。
そこを押さえないと、歴史の実相、時代
時代の真実の姿は見えて来ない。

車両の価格の実相が過去のある時期
と現代ではどのような同位性をみる
かという判断は極めて難しい。
例えば1960年の勤め人の月給平均
は賃金センサスによると約1.8万円。
現在では仮に近い数値で10倍とする。
現在500万円の自動車は、単純金銭
の指数計算で行くと、給与をベース
とした場合、1960年では10倍の
5000万円となってしまう。
しかし、実相はその当時の時点で
クラウンが約100万円強が事実。
では、スライド計算で今の1000
万円の価格実相だったのかというと
単純に指数計算では測れない。
「誰もが乗れない車」として存在
した自家用車として当時は自動車
が存在した事の説明がつかなくなる。
また、単純比較では5000万円の
車となるのに実際には100万→1000
万円だ。給与比較の率より安い。
それだけ単純指数スライド方式では
「高額」の給与を得ていた当時の
人々が「誰もが買えない」という
のはどう説明すればよいのか。
これは、ここでは車両については
給与比較での金額比較が該当する
ような現象だったということだ。
給与の額面の指数計算での比較では
当時を1とすると現在は10となる
が、当時の実際の100万円は今の
1000万円の実相なのかというと
そうはならず、矛盾が生じるのだ。
これが給与1.8万→現在の18万以上、
という比率で当てはめると、現行
500万が5000万円となる。
クラウン今のほうが高いの?と
なる。
だが、5000万円とすると、「誰も
がおいそれと買えない金額」という
事とも偶然だがほぼ合致する。
今500万円の車が給与比例計算では
当時は5000万円に相当することに
なるのだが、実際にはクラウンは当時
100万円であり、給与レート比較で
行くと現在の貨幣価値では1000万円
となる。
だが、それは今の感覚での1000万円
の実相としては存在していなかった
という事実がある。
ここに物価指数等だけでは測れない
落とし穴がある。
とりわけ、経済成長の中での特定
事物にそうした現象が発生する。
日本刀の価格などは(刀は相場物
ではあるが)比較的単純指数比較
で数字をはじき出せるが、歴史的な
経済発展、国力および富国政策の
発展段階状態と密接な関係にあった
事物は単純な指数投入での計算は
できない。全社会的な「貧困度」を
みないと実体が見えて来ないのだ。

もっとも今でも1000万円の車は誰
でも買える物ではないが、車は今
ある自動車と当時の自動車では金員
の額面を単純に物価指数等の計算で
測る事以上の要素が加わって、当時は
「誰でも買えない存在」となっていた
のが歴史的事実だ。
当時の100万円は今の1000万円以上
に相当した、という事が車両の場合
には事例として生じて来るのだ。
モーターリゼーションが発達する
前の時代の車両、進学率が低かった
時代の入学金、それら特定事物と
現在の実相とを単純に貨幣価値の
指数導入で推し量ることはできない、
という事実が厳然と存在するので
ある。
これ、ここを見るのは歴史を読み
解く時に結構大切。

私の二輪仲間の証言を紹介しよう。
昭和10年代生まれの私の母も叔母もまっ
たく同じ事を言っていた。
1960年は私が8歳、小学2年生です。
その頃、車を持っている庶民は医者も
めていなかったです。車なんて夢のまた
夢で買えるとは普通の人は思ってもいな
かった時代です。
車が庶民でも買えるようになってきたの
は昭和40年代中頃からだったように記憶
しています。
昭和30年代は100万長者と言われ、貨幣
価値は現代とは感覚的にも大きく異なる
ように感じます」