渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

本日の感染者 全国で7,000人超え

2021年05月08日 | open
 
東京との人口比率でいくと広島と岡山は
とんでもないことになってる。
きょうは、3ヶ月ぶりに全国感染者数が
7,000人を超えた。
コロナ第4波爆発が猛威を奮っている。
 
日本だけ、なんでこんなに何波も来るの
か。
馬鹿なの?日本。
実は「他人事」が大好きな日本人は、この
ような危機的パンデミックに対しては
世界
最弱レベルの国民だったりして。

武用刀の点検と手入れ

2021年05月08日 | open



後輩は、ぬかり無きよう、刀の点検と
手入れをした。
鍔周り、柄前に緩みが無いか、目釘は
どうか。
金具が緩んで鍔鳴りがしたりするのは、
大抵は目釘に問題を抱えているケース
が多い。
あるいは、鍔の穴が刀身と合っていない
か等々。

自分の差料は自分で点検、手入れをする
のは当たり前。
問題が出た場合には自分で直すのは当た
り前。
柄巻きや責金合わせなどは腕の確かな専門
職に。



試斬

2021年05月08日 | open



道場の後輩三人は45本巻いた。
備後の二重なのでやや太い。一枚が実質
二畳巻きになる。
あまり太いのは稽古にはよくない。刀試
し、腕試しとか切断屋みたいになって、
剣術遣いの切り稽古にはならないから。
そもそも、畳表などが切断できたかどう
かのみに視点がいくのは目が大曇りな訳
であって。
刀法の中で刃筋確認と身体の動きと運刀
を稽古する事に斬術稽古の意味がある。
静止した据え物の畳表が切断できたかどう
かなどにポイントを置くなどというのは
論外。前に出て、足を止めて、腕だけで
刀を振って、気剣体の一致を捨象して行
なう物切りなどはモグラ叩きごっこと一緒
だ。刀術として全く意味がない。
畳表の切断などは小学生の女の子でさえ
できる。手筋が正しければ刃引き刀でも
切断できる。

一畳巻き畳表を置いたのみで切断。
刃引き刀使用。1992年、剣連二段時。


抜刀抜き打ち切り、斬術としての切り、
剣術としての切りから離れた物切りは、
単なる「作業」でしかない。
薪割りじゃないんだから。
日本刀で試し切りする人たちは、考えた
ほうがいい。
何を試すのか?と。
畳表などが切断できたかどうかのみに視点
が行ったままやるのは意味がない。
くそくだらぬ自己満足を得るだけで、己の
精神的修養の為にも阻害要因にしかなら
ない。空気を切って、切れてもいないのに
切れた切れたと喜んでいる目が曇った連中
同じになってしまう。

何のために行ない、何のためにやるのか、
また、その行為の結果は何であり、そこ
に何を見て何を得られたのか。
この自覚的反復と厳しい自己総括の発展
がなくば、切り試しなどは自己満足の空気
切り以上に無意味どころか弊害を呼ぶの
である。確かな視座と識別と認識の存在。
たんに刀を振る凡夫となるか剣士となる
かの境目はそこにこそある。
極める、というのはそれ。
極めるためにやらず、ただ闇雲にやれば
物事が上昇上達発達するという事は人の
世には存在しない。