


自作小柄小刀。康清作。




以康宏鍛錬鋼康清作之

以備中水田国重鋼康清作之

抜剣道(私の造語。まだ国内では



50年以上前のアメリカンニュー
シネマの傑作『イージー・ライ
ダー』(1970)はアメリカの
闇を描いた映画だった。
ラストシーンは、バイク乗りを
邪魔者のよそ者だとする野良
仕事帰りの百姓に「おどかして
やれ」とピックアップトラック
からショットガンを発砲される。
ハーレーに乗る仲間が肩と腹に
被弾して転倒。
なんてことするんだ、と追い
かけたら今度は主人公はバイク
ごとショットガンで吹っ飛ばさ
れて即死して終わる作品。
実際にそんな社会がアメリカ合
衆国だったし、実質のところは
今もそうかも。
よそ者や目障りな奴は殺してし
まえ、というような。
映画『カラー・オブ・ハート』
(1998)はファンタジーだが、
アメリカの排外主義と単純に
「不愉快な奴は殺せ」という
ようなUSAの構造をえぐり出し
た作品だった。
現実は今でもアメリカはあれ
なのだろう。
ごく最近のネット記事でこんなの
があった。
これ、ワイルドワイルドウエスト
に行った場合に、バーでビリヤー
ドをやりたい時の注意をさらりと
書いているが、かなり危険だ。
下手したらスボコでは済まなくて、
銃で撃たれて埋められたりする
かもしれない。
大いにありうる事だ。
中米、南米、フィリピンなどでは
そうした事は日常茶飯事だが、
合衆国も中身は似たようなもんだ。
他にもいろいろ書いてあるが、
まあ、額面通り文字通りに読む
その先の状況推察というものが
ある。
いまだに、ハウスキューでやる
ほうが無難で安全というのは、
それは危険地帯である事を示す。
まかり間違っても数千ドルの
カスタムキューなどは持って行
かないように、という事だ。
そもそも、対戦ゲームをやるのに
場代は負け持ちで賭けてやってい
るのが日本とは違う。
アメリカは何でも金金金だ。
人様の家に行った時に、酒を出さ
れそうになっても「金がない」と
言って辞退しようとするのは
映画『ハスラー』でも出てきたが、
そんな60年以上前の話でなくとも、
今でもアメリカは何でも金だ。
金に換算して物事の価値を判断
したり、人々の善意を量ろうと
する。
そういう価値観の国なので、日本
のようにそれが「汚い事」という
感覚は一切ない。
尤も、最近では日本も金こそが
全ての判断基準になりつつある。
「勝ち組、負け組」の汚い思想
や、それを遂行する子を持つ親
たちの煤汚れた心。
日本も今完璧に変質しつつある。
そして、政治屋たちは今でも
賄賂が大好物だ。違法であって
もそれをやる。
なんたって、次期検事総長候補
が賭け麻雀強制参加のパワハラ
をやっていても何の罪にも問わ
れないという司法までもが汚れ
た国になってしまっている。
まるで、バクチと賄賂と横領
横行の発展途上国みたいだ。
ただ、ビリヤードの世界では光
がここ10数年程から射して来た。
それは、かつてほんの20年程
前までは国内では金を賭けない
(違法賭博)と相撞きをして
もらえなかった。
つまり、違法犯罪者にならない
と相手にしてもらえない、とい
う世界だった。
今は一切の賭けなくして相撞き
ができるし、それが一般化した。
今でも賭け5-9リングゲームや
他の賭け玉をしようとしている
プロやアマもいるが、最低人だ
といえる。
彼らは撞球がやりたいのでは
なく、撞球を利用して小銭を
稼ぎたいだけだからだ。
今でも、協会に隠れて賭け玉を
しているプロは結構いる。
ばれたら除名処分対象案件なの
だが、今に至ってもやっている。
愚かだ。人間の中身が。
いくら玉突き玉入れが上手くと
も、スカはスカだ。
ちなみに、法解釈としては、勝負
して勝ったほうがごはんおごると
か飲み物一本をおごるというのは
「賭博行為」には該当しないとい
う判例が出ている。
ゼニカネ賭けてのバクチが違法な
のだ。
そして、法制度がどうであれ、
バクチは人の心を荒ませる。
バクチはバクチだ。
人と家族を滅ぼす毒なのだ。
ベリーオールドTADキュー
1963年からキュー作りを始めた
TADも、初期にはハーベイ・マー
ティンやバラブシュカと同じ
ようなエンドの構造だった。
さらにこれより先、ゴム無し
のランボウスタイルのキューも
作っている。ブランズウィック
タイトリストを使ったコンバー
ジョンカスタムはそれだった。
TADスタイルが確立して以降の
構造。これはロングデルリンで
はないタイプで、マーティン風
なテイストとTAD独自の構造を
融合させた作だ。
TADのロゴマークは1978年から
入れるようになった。
デルリンにネジ切りでキュー本
体にネジ締め固定するタイプ。
ウエイトボルトは使用していな
い。ゴムは木ネジでキュー本体
にネジ固定される。