今、スーパーでコロナ6本買うと
コロナビールにはコロナ缶(笑
二輪に乗る人は下車時に帽子を
被る事が多い。
いろいろな理由があるが、殆ど
の人たちが被る。
この流れは1980年代のレーシング
キャップからの流れだろう。
1980年代前半の峠族は革ツナギ
や革ジャンの中の腹にキャップ
を平にして入れていて、峠で二
輪から下りたた時にはキャップ
を被った。
ほぼレース関連メーカーのロゴ
入りレーシングキャップやアポ
ロキャップやメンクラキャップ
だった。
峠にて。昔の乗り屋は真夏でも
革を着ていた。(1982年8月)
その後、峠族ではなくとも二輪
乗りは帽子を着用する事が今世
紀に入ってから一般化した。
だが、ハットの人はほぼ見かけ
ない。
キャンプを兼ねたツーリング旅
などではハットは便利かと思え
る。
ツーリングにキャンプに色んなシーン
で活用したいバイク乗りのための
ハット! -
【公式】BikeJIN(培倶人|バイクジン)
私などはキャンプツーリングで
あってもキャップなのだけどさ。
キャップはお手軽で便利。
キャンプだけならハットが何か
といいぜ。
ただ、二輪での道行きはハット
はかさばるのが難点。
こういうのだといいかも。折り
畳める。
これ、白布からミシンで自作。
迷彩染めも自分でやった。
TADのブランズウィック・タイト
リスト・コンバージョン。
1960年代作品。
TADに限らず、バラブシュカや
パーマーなどのキューに多く見ら
れたシンセマティックな素材と
いうのは、1960年代の時代の中
で一つの流行だったのかもしれ
ない。米ソの宇宙開発が激戦時代
においては。
透明人口樹脂チューブなども多く
キューの素材に使われた。
デルリンが好んで使われたのも、
当時最新最先端の工業樹脂素材
だったからだろう。
その後のTAD。シンセティックな素
材はデルリンとシルバーリングのみ
で、木工細工でエンブロイダリーの
リングを表現するようになる。
1960年代末期~1970年代初期のTAD
にはこの輪っかステッチのリングが
多い。
そして、21世紀の現代にまで続く
TADスタイルのオリジナルデザイン
のベースは、1978年にTADロゴを
刻印するようになってから定着し
て行く。初期の刻印ロゴは大きな
文字で刃物で彫刻したようなもの
だったが、ごく初期から以降は刻
印スタンプでのロゴになっている。
この個体は1980年代初期かと思わ
れる。刻印押印と共にシリアル
ナンバーがバットエンドの木部
に打刻されるようになった。
あぁ、これはとてもオールドの
あの作者の作品だな、と思われる
個体のキューが破格値で今ネット
競売に出されているが、誰も製作
者が誰かは気づいていないようだ。
無銘なので判らないのかも知れ
ない。
下世話な言い方をすれば、今お宝
が埋もれている。
この上掲のTADにしても、TADで
あると紹介されなければ、ただの
古いキューとしか思われないのか
も知れない。無銘であるし。
ただ、銘を買うのか作を買うのか
というところでの無意識の線引き
がなされている人たちには、無銘
の日本刀やキューは興味が薄いの
かもしれない。
それらの層の共通項は、金銭交換
価値を価値判断の基準としている
点で、根底には銭金勘定での価値
判断しかない。お宝鑑定団の金額
に一喜一憂したり、世の中のあら
ゆる芸術作品を金額でしか見よう
としない、というような。
しかし、そうした層は目が曇って
いるので、作品の本質は永遠に見
えない。
極端な例が、「投資として」美術
品を扱う者たちで、その作品の
芸術的価値などには一切興味が
ない。どれくらいの金額で転売
できるか、あるいは資産価値が
あるかにしか興味がない。
日本刀もビリヤードのキューも、
無銘に偽物無し。
しかし、真実は、作を視れば無銘
だろうと作者は判る。
作を見ず肩書だけを買い求めよう
とする人たちにはずっと見えない。
見えるものが見えてこない。
日本刀とキューは全く同じ位相
として存在している。
コロナビールがおいしい。
よくライムやレモンをカットして
中に落とし込んで飲むのが多いが、
そのままでもかなりいける。
なんというか清涼飲料水のような
ライトな感覚。
学生時代に横浜の元町あたりでよく
飲んだが、本格的ビールという感覚
が薄いのも面白い。
こういうのもアリだね、というよう
な。