最後の種明かしは必要なのかと
いう問題がある。
よく出来た作品だが、良質な映
画というのは「説明をしない」
という質性を必ず持っている。
この作品はその鉄則を崩してい
る。
だが、本作にもその鉄則らしき
伏線描写はあるにはある。
最後の説明には隠し描写の含み
がある。
それは、「対抗組織の互助会」
などではなく、それのバックに
は強大な権力がいるだろうと
いう事。
対抗組織の「プロ」たちの動き
方は特殊訓練を経た者であり、
また、背広で監視していた男
たちの立ち方と歩き方は、ある
職業経験者である事を示してい
る。
この描写は単なる偶然ではない
だろう。
なお、街中で教え子と称して
主人公に接近した「馬鹿女」は
登場時から「別組織の女」であ
るのは見えていた。
それと渋谷スクランブル交差点
での事故で主人公の婚約者に命
を助けられた子どもも、次に登
場した時にすぐにその子である
と判った。
実体は、これは描かれた絵であ
る、と。
それは、横浜の住宅街の家が出
て来た時から見えていた。
この家は作戦上の物件だ、と。
そして、謎。
「飛び入り」として暗殺に介入
した「鯨」と「蝉」の二人の殺
し屋の存在は何だったのか。
ある仮説を立てる事は可能だが、
その伏線は物語上では描写され
てはいない。
単なる「グラスホッパー」の変
異種とするには、多少存在感が
無い。殺し屋というキャラのみ
で登場させるには存在の線が細
い。
また、人の心の闇の象徴とする
には陳腐だ。
だが、その不確かな存在を登場
させる意味こそがこの映画の主
たるテーマとなっている。
各描写に映像的齟齬は無い。
丁寧に撮られている。
ただし、殺し屋「鯨」が住む
廃車置き場で迷子になっていた
黒猫と、その場に来た殺し屋
「蝉」に駆け寄る迷い猫と、
幽霊となった二人が鯨の住居
でもあるキャンピングカーで
出発したあとに道を横切る黒
猫は同一ではない。最後の黒
猫はCGかも知れない。
役者猫は少なくとも2匹が使
われている。
死者の象徴なのでそこに黒猫
が出て来てもおかしくはない
が、二人が旅立ったあとの道
に残された黒猫は生者の意味
も持つ。
そして、飼い主のところに迷
い猫のタマは殺し屋「蝉」に
よって届けられているので、
生存しているだろう事も示す。
そこで、この二人の殺し屋が
常に悩んでいた「生と死」へ
の疑問とテーマがリンクする。
黒猫は単なる迷い猫ではなく、
とても重要な役目を持ってい
る。