【公式】ど根性ガエル 第1回
「ピョン吉誕生の巻」
「平面ガエルはつらいよの巻」(1972)
舞台は東京練馬。
練馬の人間がこんな伝法な東京
下町浅草界隈の言葉をしゃべって
いたのかは疑問だが、この空き地
という風景は昭和40年代の都内
郊外ではよくみられた光景だ。
こういった空き地で子どもたち
はメンコしたり草野球をやって
遊んでいた。
住宅地が広がるにつれて、空き地
と土管の消滅により、子どもたち
は遊び場を失った。
もっとも、早くから空き地が消滅
して行った都心部下町などでは、
路地裏で子どもたちはベーゴマ
などで遊んでいた。
平面になったカエルさえもがド根性
があった昭和時代の一風景。
上の動画は歴史的名作、藤子不二雄
の作品群の後に人気を博した『ド根性
ガエル』(1972年~)のシリーズの
第一話だ。
1981年からリバイバルシリーズが
アニメ放送で始まった。
原作漫画(1970年~)では舞台は
練馬区だった。
だが、アニメの第二作で、空き地で
缶蹴りサッカーをやるシーンでは
東京都荒川区西日暮里五丁目界隈
の電話番号が出て来る。
舞台は東京郊外練馬から東京下町
の金八先生エリアに移ってしまった。
そのためか、練馬のまっ平ら地形
ではなく、住宅の路地の向こうに
高速道路が見えたりしている。
ひろしとピョン吉の物語は、魔法
使いサリーちゃんもいた都内23区
の西の外れの練馬区ではなく、下町
の荒川区西日暮里に1981年版では
舞台が移ったのだった。
「しだりしたしねり」のあたりね(笑)。
日比谷公園が渋谷公園になっちゃう
東京下町エリア。
【公式】新・ど根性ガエル 第1回
「名コンビ ひろしピョン吉の巻」
「ひろしの兄弟 1ダースの巻」(1981)
それにしても、ひろしは中2にしては
幼すぎる(笑)。
現実の1970年代~80年代の中2は
もっとすれっからしでグレてた。
ひろしのようなのは現実では小4の
あたりの感じだ。
しかし、このひろしやピョン吉や
寿司屋の梅さんの話し方は懐かしい。
これだよ、東京はこれ。
実はピョン吉とゴリライモのしゃべり
方は東京ぽくないが。無理に台詞
という感が払拭できない。
ひろしの野沢雅子さんなんざは、
もろに東京下町のネイティブ感が
ある台詞回しだ。東京口調は台詞が
ポンポンとおっ立つのよね。
例えば「~しちゃったんだよ」という
セリフでも「~しちゃ、ったんだよっ」
てな具合で。
「~と言ってるだろ」が短く詰まって
「~っつってんだろ」なんてのは典型
的な東京下町言葉。
かあちゃんに締め出されて宝寿司に
行ったひろしと梅さんの会話がモロ
に東京ネイティブ弁だ。
「おい。まだ鞄を持ってるってえ
ところをみるってぇと・・・ははぁ、
親子喧嘩か」
「それがわかんねぇんだよ。
ちょっと帰りが遅くなっただけ
なんだけど」
この時のひろしの「遅くなっただけ
なんだけど」の言い方がモロに純
東京ネイティブ弁の言い方。
言葉がとっとこと、と立つのだ。
こういう地方独特の言い回しは、
ネイティブ人には簡単だが、俳優や
声優でもかなりきっちり勉強しないと
なりきりの言いこなしは難しい。
『仁義なき戦い』やその後の広島を
舞台とした映画で、まともな広島弁
を聴いたことがないのはよくある話。
渡瀬恒彦さんが京都弁がうまいなぁ
とか思っていたら、彼、京都の人だっ
たりしたりする。ネイティブだから
できる技なのだが、俳優や声優は
地方の方言を話す時には徹底的に
研究しないとプロ仕事は難しい。
ドラマの『仁 -JIN-』では、坂本龍馬
役の内藤聖陽さんは、個人的に高知
に何度も通って、一般人の振りして
居酒屋等に行って地元言葉習得に努め
たという。
それほど、方言言葉に執着して役を
自分のものにしようと努力していた
ようだ。
役者のプロだと思う。