渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

これが本当の最終対決 1984年ケニーvsフレディ

2024年12月26日 | open




幻の1984年グランプリ。
1983年世界チャンピオン
のホンダのフレディ・ス
ペンサーがゼッケン1を着
け、83年に惜しくも2位だ
ったヤマハのケニー・ロバ
ーツがゼッケン2を着ける
マッチレース。
夢のドリームレースがこの
英国で1984年に開催された
レースだった。

これは1984年にイギリスで
開催された全英選手と全米
選手でのエキシビジョン・
レースだが、本来1984年度
のグランプリでもこの姿が
描かれる筈だった。
だが、1983年に敗れた偉大
な王者ケニーは世界グラン
プリというレースからは、
1983年度を限りに引退した。
1983年度はグランプリ史上
で唯一特筆的な年で、全レ
ースを通して優勝したのは
ケニーとフレディしかいな
かった。まさに両雄の対決
のシーズンが1983年だった。

この1984年の英国でのイベ
ントレースは、あくまでも
ファン向けの興行レースだ
が、引退していたケニーも
奮闘し、世界チャンピオン
に「なる筈だったライダー」
としての実力を見せつけた。
1978~1980の3年連続の世界
チャンピオンの偉業は、人を
して彼を「キング」と呼ばし
めた。
そして、二輪の走行について
世界一深く理解していた男が
ケニーだった。
フレディなどは速くともなぜ
速いのか自分でも理解できず、
感覚で乗る人だった。
たぶん長嶋茂雄のような感じ
がフレディ・スペンサーだっ
たのだろう。
「ここをギュっとするとパー
ンと来るからそこでギューン
とやる」というような表現で
しかセットアップも伝えられ
ない、というような。

走りを科学し、走りを徹底的
に具体的かつ物理的に解析し、
走りを再
適正化させて実現し
ていた
ライダーはケニー・ロ
バーツ
が唯一だった。
ケニー・ロバーツ、本物の中
の本物。
現代でも引き継がれているセ

オリーとなったハングフォー
ムを歴史上完成させた男。
後輪を外に出して回頭させる

ジオメトリー偏差の走法も実
行して科学的な説明によるセ
ットアップをしたのも彼が初
めてだ。

この角度からだと、その技法
が如実に見て取れる。
判らぬ者は解らない。


 


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