渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

今昔物語

2024年06月06日 | open




数年前、若い世代の女性(と
いっても30代)と話していて、
「俺が学生の頃の中国は、ほ
ぼ全員が人民服着て自転車に
乗っていた」と言ったら「嘘
だぁ。信じられない」と言った。
ほんとなんだよ~。歴史を知れ
よな~。

1988年でさえこれ。


中国が近代化されて先進資本
主義国のようになってからの
中華人民共和国しか知らない
人たちは、
ちょい前の中国の
様子を全く想像できない
ようだ。
というか、それって、単なる
社会的な事や歴史に興味ない
無知のようにも思える。


もっとガツンと来るやつ教え
ようか。三原の若者よ。
これは1960年代の広島県三原
市内西部だ。現三原市宮浦。
宮浦という名の通り、三原八

幡宮の鼻の先。浦という通り
江戸時代には海だった場所だ。
明治以降に浅瀬の海のデルタ
地帯が穀倉地帯田園エリア

新開(しんがい)として開拓

された。







だが、私が大学時代の1980年
代であっても、三原市内西部
の現在びっしりと住宅が建ち
並ぶエリアは、まだこんな感
じだったのだ。まじで。

昭和50年代の航空写真。
赤枠の中が上掲白黒写真の
エリア。田んぼしかない。
このエリアに住宅が建ち並ぶ
のは1986年以降の事だ。


牛が機械のトラクターに替わっ
ただけで、私が大学の時も三原
に行ったらこういう感じだった
のだから。いや、本当に。
こんな感じで田んぼに入って

農家の人たちは田植えとかして
いた。

三里塚でやった事あるので、体
験で私も三原でもやらせてもら
った事がある。手で植える田植
えは難しい。ド素人がやると、
まっつぐ列にならないのよね。

なんと、1990年代末期に東京

から引っ越して来た時も、宮
浦の住宅街の中には牛舎があ
って牛さんがいた。
いや、ほんとに。

2018年現在の同地。


この三原市街地西部での住宅
建設以外の大きな変化と
して
は、市内住宅地を貫通し
てい
たJR山陽本線が撤去され、

陽新幹線と並走する高架線

なった。鉄道跡地は住宅地に。

また、JR呉線も市街地エリアは
高架線化された。
かつての田園だった場所は全
て住宅街となり、田んぼは一
つも無い。畑はまだ点在する。
ここらあたりはJR三原駅から
歩いて20分位の場所。
三原駅=三原城界隈の旧城下
町は建物が近代化された程度
で、江戸幕末~明治とさして
変化はない。江戸期から市街。
かといって、武家屋敷は一軒
も残っていない。
明治になりすべて屋敷は取り
壊して市街化を進めたからだ。
三原は戦国時代末期に海上に
新たに作られた城郭都市で、
地面が狭いので鉄道は城の本
丸の真上を通す事で線路を確
保した。
城の真上が鉄道駅。
これは日本全国ここだけ。

明治36年の三原の城内地域。

城内にあった我が家の跡地も
写っている。そこには屋敷
立ち退き後に公的
機関の建物
が建っている様子が見て取れ
る。
後に一帯エリアは民間に
払い
下げ。なりふり構わぬ
住宅建設により住宅密集地帯
となったが、1950年の建築基

準法成立以前の乱立住宅なの
で、自動車も消防車も救急車
も入れない路地が出来て住宅
が密集している。法律上再建
築さえできない物件が現在は
密集しているのが旧城内の
西之築出エリアだ。現在の港
町、旧町名は御作事町。
崩れかけた古民家の取り壊し
さえできず、現在は廃墟のま
ま放置された住宅が多くある
場所となった。三原市は放置。
火事が起きたら大変な地区だ。
江戸期の武家屋敷街だった頃
は、道も広く、屋敷敷地も広
く取っていた。エリア内には
広場も設け、被災の際の待避

所としていた。
それは城郭というのは計画的
に造られた防火都市でもあっ
たからだ。
明治以降の政治的手法がいか
に出鱈目のその場しのぎが多
かったかという事
を、一つの
城郭都市の一部
旧城内地区の
明治以降の状況(現
在まで続く)
を見ても看取で
きる。

明治36年写真の下側の広い敷
地の建物は高
等女子師範学校
(現広島大学附
属幼小中)。一部
右側(西側)は
切り取られて、一
般住宅街と
現三原市立小学校
の敷地の一
部となった。
ここらの住宅街は整備されて
建設され、乱立物件ではない。

(三原小の裏門に「三原東小
学校」の石碑があるが、これ
については地元の人もよく知
らず、詳細不明)
右下には三原城中門である後
東門の北側にまだ江戸期の城
の濠が見られる。
現在は埋め立てられて住宅が
密集している。
沖に見えるのは塩田の新開。

人が暮らす街に今昔あり。
人が営む国にも今昔あり。
愚者は経験に学び、賢者は
歴史に学ぶ。
歴史を知らずして、人の社会
の未来は創れない。


 


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