ここ、行ってみたいなぁ。
この大昔のダートトラック
レースの写真、私の居合の
先輩(東京滝野川→埼玉県。
故人)が写っていたりして(笑
まだ、日本のバイクレース
が競馬場などのオーバルダ
ートコースで行われていた
頃、先輩は全国を転戦して
いた。
広島でも福山でも走ったと
の事だった。
まだオートレースとロード
レースが完全分化される前
の時代。浅間火山や富士登
山レースの前後の頃。
広島県のレース関係者につ
いては「すげえいい奴らば
かりだったよ。とても世話
になった」とかも言ってた。
たぶん当時の広島県のモー
ターサイクリストは首都圏
の選手の来訪を温かく歓待
したのだろう。
今から60数年以上前の事だ
けどさ(笑
広告にはこうある。
「かつて、東京、大阪につい
でモーターサイクルレースが
盛んだった広島
残された痕跡から、今その熱
気がよみがえる」
居合関係では神奈川剣連に
凄い先生がいるよ。高齢者
で。
英国二輪の雄、ノートンの
ワークスライダーだった。
最初、技術者として渡英し
たけど、テストライドして
いたらタイムが異様に良い
のでワークスマシンに乗せ
られてロードレースの選手
権レースを走らされたとの
事。
もしかすると、戦後初めて
の日本人で海外メーカーの
ワークスライダーとして選
手権を走った人かも知れな
い。
公式に残存する日本の二輪
の歴史には出てこない。
探せばあるかも知れないが。
初めて純国産車の自動車を
作った人のように。
私の関与した周囲だけかも
知れないが、真剣刀術研鑽
者には何故かバイク乗りが
異様に多い。
真剣刀術とオートバイは、
何か通じるものがあるのか
も。
私が知る東京都剣連も神奈
川剣連も広島剣連も、真剣
をたばさむ居合人はバイク
乗りだらけだ。
(続報)
埼玉の居合の先輩(故人)の
子息から連絡あり。
上の広告レース画像の3台
目は岡崎さんという方で、
車種はメグロだとの事だ。
父君が乗っていたのは2気
筒のトライアンフだったら
しい。10台ほど家にあった
そうだ。今でもピストンと
バルブが家に残っていると
の事。
画像の先頭を走っているの
はキョクトーで、カムチェ
ーンが独特なタイプとの事。
当時のレースの映像が8ミリ
で沢山残っているらしい。
広島でのレース映像もかな
り多く残っているそうだ。
それは極めて貴重な史料だ
と思う。現在埼玉県に現存。
旧名関東スキルドダートク
ラブ所蔵。
二輪界の為になるならば、
8ミリ映像はすべて然るべき
ミュージアムに寄贈しても
よい、との意向のようだ。
寄贈の運びとなるならば、
マスコミ等の広報含めて報
道として公開されて、二輪
界の歴史史料の保全と、斯
界の発展の為の広報史料に
供したいと願う。ただフィ
ルムを渡すだけではなく。
広島でレースは「のうが高
原」ではとの事だ。
福山の河合さんという方が
広島県内のレース運営で尽
力されていた頃だという。
戦後の国内でレースが盛ん
だった場所は、東京、横浜、
名古屋、大阪、そして広島
だった事だろう。
やがて公営ギャンブルレー
スとしてオートレースとい
う分野が確立されて行くと、
スポーツレースとの分岐が
始まり、同じプロレースで
も現在の流れは公営ギャン
ブルのオートレースと選手
権のロードレースとオフロ
ードレースに分岐した。
オフロードはモトクロス、
ダートトラック、トライア
ル、モタード等に更に分岐
して現在に至っている。
ロードレースにおいては大
別してスプリントレースと
耐久レースに早期に分岐し
た。
日本人は古くからモーター
サイクルに馴染んだ国民だ
った。勝海舟の子がカワサ
キの大元のメグロ誕生の始
祖時代に功績があったよう
に。
戦後高度経済成長期とそれ
以降は、全世界の中で一番
優れたオートバイを作り続
けていたのは日本だった。
日本のモーターサイクルで
なければ世界選手権で勝て
なかった。
そのような時代が40年程続
いた。
今は、違う。
日本製オートバイでは世界
の頂点には立てない。
そうした物しか日本人は作
れなくなってしまった。