Power Pool with Jim "King James"
Rempe and Loree Jon Jones (1988 Billiards VHS)
22才の頃のローリー・ジョン・
ジョーンズ(1965-)がかわいい(笑)
まあ、今50代半ばのおばちゃん
になっても別嬪はんなんですけ
どね(笑)
1988年に本人を目の前で見た
時にはドッシェーという程に
かわいかった。
典型的な美人さんはエワ・マタヤ
だったが、ローリーはとにかく
かわいかった。気は強そうだが。
物をはっきりと言う人。
一度引退したのに、50代になって
またプレーヤーとして復活して
大会で優勝したりしている。
10代から神童と呼ばれていた
プレーヤーだ。
実見すると、「丁寧に撞く」人。
撞き急がず、ペースを崩さず、落ち
着いている。年齢よりもずっと年上
に見える。
ちなみに動画の中でのローリーの
このジャンプショットは有効だが、
"キング" ジム・レンピがやっている
この手玉の下を撞いてのすくい上げ
ジャンプはファールだ。
1988年。
この世にまだジャンプキューは
存在しなかった。
できる者はプレーキューで手玉を
ジャンプさせたが、下をすくって
の手玉飛ばしはこの88年時点でも
ファール。
私はグランドマッセのフォームで
プレーキューでダーツショットの
ような撞き方で手玉を上から撞いて
手玉単独ジャンプをさせていた。
精度はあまり無かった。手玉を飛ば
して的玉を入れるのが精一杯。手玉
をネクストに自在にポジションさせ
るまではできなかった。
この後、88年以降にシャフトのみで
手玉が台の中にあろうとも単独ジャ
ンプさせる事が流行ったが、プレー
中にキューを分解する事がルールで
禁止され、さらにキューの最低長さ
が決められた。
それによりジャンプキューが考案
されて登場した。
だが、その後、ブレイクキューを
分解して短くしてジャンプキュー
にする方式のキューが考案されて
「プレー中に分解禁止」は廃止
されたようだ。
1987年段階では、ブレイク専用の
キューさえ存在していなかった。
そのため、ハードショットでの
ブレイクをするナインボールが
流行してからは、シャフトの先角
破損が発生するようになった。
それまでの主流の14.1ラックで
はハードブレイクは存在しなか
ったのでプレーキューのみでも
競技ができたのだが、ドッカーン
ブレイクをするナインボールが
テレビ放送用に主流となってから
は、キューがよく壊れるように
なった。
そのため、ブレイク専用のキュー
(日本語の俗語ではしばきキュー
=シバキュー)が米国で登場し、
それが日本にも伝来した。
だが、ブレイク専用設計のキュー
は最初は存在せず、使い古した
キューやハウスキューをシバキュー
として使っていた。
それが、ブレイク専用設計のキュー
が登場して普及するのは1990年代
に入ってからだった。
90年代には短いジャンプ専用キュー
も登場し、それまで高等テクニック
だったジャンプショットが、誰でも
上から手玉をゴンと撞けば手玉が
飛ぶようになった。
ただ飛ばすのは簡単だが、手玉を
飛ばして的玉を入れて、さらに
手玉を任意の位置に正確に出すのは、
ジャンプキューを使っても今でも
難しい。飛ばすのは簡単。問題は
精度と制御。簡単なショットでは
ない。
この動画を観ているとアメリカと
日本の概念の違いが分かる。
撞点(どうてん)の事をティップ・
ポジションと言っている。
日本語をそのまま英訳したように
ポーク・ポイントやポーク・ポジ
ションとは言わない。
米国式は手玉の撞く点を指さず、
キュー先のティップが行く位置を
言い表す事で概念化している。
これはかなりリアリティがある
合理的な思考法だと思える。
ちなみにあくまで私見だが、日本
語のタップという単語が指すキュー
の先の革部分は、本来は tip である
ので発音は「ティップ」だ。
タップとは英語ではコンコン叩く
という意味。
そのあたりの和製英語「タップ」の
語源は、初期の語彙の誤認から
和製英語「タップ」が発生したの
ではなかろうか。
もっとひどいのあるけどね(笑)
日本語のビリヤード業界用語では
手玉を次の位置に移動させるポジ
ションプレーの時に next の事を
「ネキスト」と言う。ネクストと
正確な英語発音をすると通じない。
日本撞球界ではネキストだ。
略して「ネキ」。「ネキ甘いね」と
いうように使う。
まあ、デズニーランドみたいなも
ん(笑)。
ボディの事をボデーと言ったり、
トゥーショットをツーショットと
言ったり、CDをシーデーと言ったり
する類。Cも「スィー」ではなく
「シー」と日本人は言う。she と同じ
発音で。
「タップ」という言い方もその類
のお仲間かと思う。
Mike Sigel vs Loree Jon Jones
$150,000 Final Match First Set
マイク・シーゲル対ローリー・ジョン・
ジョーンズのエイトボール対戦。
賞金額15万ドル。
現在日本円レートで1,950万円。
撞球に男女差は無い。性別年齢を
問わず対等に対戦できる稀有な
スポーツがビリヤードだ。
マイクのキューもローリーの
キューも、とてもよい音がして
いる。
EPIC 14.1: Mike SIGEL vs Earl STRICKLAND -
2017 LIVING LEGENDS STRAIGHT POOL
CHALLENGE
キャプテンフックこと帝王マイク・
シーゲルとパールことアール・スト
リックランドのストレートプールの
試合。
熟年になった全米トッププロ同士の
対戦だ。
日本一古いビリヤード場。
東京都杉並区西荻窪駅前にある
ビリヤード山崎。創業98年。
ネット情報だと「臨時休業」とある
が、どうなったのかとても気になる。
おばちゃん、元気なのだろうか。
西荻という町はとてもいい町。
住みたくなる町。
花谷勝さん。
全米トッププロを招待した1973年全日本
選手権大会において、マシンガンの異名
をとるルー・ビューテラーをストレート
プールで破った伝説の男。
この写真はその当時のものである。
プールにおいてアメリカ人トップクラス
のプレーヤーを公式戦で下した日本人は
花谷プロが歴史上初めてではなかろうか。
その後、花谷プロは藤間プロと世界最大
のビッグタイトルであるU.Sオープンに
出場した。
日本の撞球界の世界的先駆者は戦前に
何人もいて、渡米してスリークッショ
ンや三つ球で名を馳せたが、ポケット・
ビリヤードが日本において知られるよう
になったのは1970年代からだった。
ポケット自体は戦前から存在はしたが、
四つ球の添え物的な時間待ちのお遊び台
と考えられていて、ビリヤードといえば
主流はキャロムのことだった。
ポケットは1960年代に国内ではいち
早く京都のプレーヤーが競技種目と
して広めたが、ポケット・ビリヤード
のことは「ローテーション」「ロ式」
と呼ばれており、米語であるポケット・
ビリヤードという言葉さえ多くの日本
人にはさほど知られていなかった。
戦前から東京にも「米式ポケット」と
いう呼称でプールはあったが、東京
市内でも数えるほどしか無かった。
そのため、1961年の映画『ハスラー』
公開による日本における1960年代
初期の大ビリヤードブームにおい
ても、日本人は日本が明治時代に
輸入して大正時代に大流行した四つ
玉に夢中になっていた。
1974年発行の藤間一男氏(日本の
ポケット・ビリヤードのプロ1号)
の著書の『ポケット・ビリヤード
入門』には、ポケット・ビリヤード
という聞きなれない言葉が、実は
台に穴のあるビリヤードであること
を紹介している。普段ローテーショ
ンと呼ばれるそのビリヤードが
「ポケット・ビリヤード」という
新しい言葉で呼ぶことを働きかけ
たのは、藤間氏や花谷氏の日本の
ポケット・ビリヤード第1期生
たちだったのである。
こうした正しい歴史は、競技者と
してはきちんと知っておく必要が
ある。パイオニアである先人たち
に敬意を払わないという競技者は、
スポーツマンシップにおいても、
日本の伝統的な社会人としての慣習
や資質にそぐわないからである。
そして、その藤間氏たちが広めた
ポケット・ビリヤードという
ビリヤードの一種目が「プール」と
いう米語で呼ばれるのがアメリカ
では標準であることを日本人が初め
て知ったのは1986年に公開された
映画『ハスラー2』によってだった。
また建設会社が黒字減らしのために
新方式のバーを考案して登録商標で
登録して直営店をオープンし、映画
公開とともに空前絶後の大ブーム
となったことも、ポケット・ビリヤ
ード=プールである認識を広めた。
その新様式のバー名称は「プール・
バー」といった。
1987年には、一般ビリヤード場も
プール・バーも、テーブルの空き
待ちは5時間待ちというのも当たり
前だった。また、東京赤坂などの
都心では、1時間1000円のプレー代
でも数時間待ちという状態だった。
それほど、戦後第二次ビリヤード・
ブームは爆発的なブームだったので
ある。
日本人は1986年に「プール」という
呼び名を初めて知ったのである。
また、現在においては、14.1ラック・
コンティニュアスという種目の正式
名称もそれを通称「ストレートプール」
と呼ぶことを日本国内のビリヤード
をやる人間たちでさえよく知らない
とう現状がある。
14.1の呼び方を「フォーティワン」
などと日本人は間違って平気で呼ぶ。
大きな間違い。14の事を41と呼んで
いる。
ポケット・ビリヤードのプロでさえ
そのように呼ぶし、テレビ番組の
司会者や解説者さえフォーティワン
と間違って呼んでいたりする。
プロのプレーヤーはただ玉を入れれ
ばそれで良いということではない。
きちんとした文化、正しい呼称や
形態をちゃんと伝承させ世に広める
ことを視界の普及と発展の言動を
花谷さんの時代のプロはやっていた。
今はどうか。
14.1ラックは略称でも、きちんと
「フォーティーンワン」と音声では
呼ぶべきであるし、常識的な語学
としても14を41などと呼ぶマズさは
関係者の方々は曝さないでほしいと
切に願う。
そして、ストレートプールという
俗称でアメリカでは広く呼ばれる
ことも広く多くの人々に知ってほ
しい。
ポケット・ビリヤードという米語の
正式名称が、プールという俗称で
多くは呼ばれるのがアメリカを始め
とする世界標準であるように、14.1
ラック・コンティニュアスもスト
レートプールと呼ばれている事を
きちんと知ってほしいと願う。
現在の花谷プロ。
日本のビリヤード業界というのは
褒められたもんじゃない種族が
多く棲息している。
実体験としてこんなひどい話が
語られている。
店主が実行したビリヤード場のちょっと変わった経営方法について①
続編の「閉店までの顛末」もぜひ
ご一読いただきたい。
人の所有物だろうと平気で転売
してしまう。遵法意識不在どころ
か、人の道に反することを平気で
する。
その手の輩が非常に多くいるの
が日本のビリヤード界だ。
正真の詐欺にまで関与している
ようなのがいたりもする。
えてして、日本のビリヤード界は
ろくでもない人種が非常に多い。
品性下劣どころではなく、ごく
フツーに人からムシったり、たか
ったり、盗んだり詐欺で金員を
詐取する連中がとんでもなく多い
のである。これ事実。
日本のビリヤードが今でも健全な
スポーツとして存立するのが難し
いのは、ひとえに業界人の人的
資質、人格の内容の低俗さに起因
している。
人品卑しき族がとんでもない率
で多くいるのがビリヤード界な
のだ。
私の経験としてはいろいろある
が、東京在住時代、ある日私の
職場にかつてそこそこ通ってい
たビリヤード場の店主から連絡
があった事がある。
金の無心である。
曰く「うちには、ほら、100万
くらいするキューが何本もある
から」
との事だ。50万ほど貸してくれ
ないかと言う。
それ、客の預かりキューだろうに。
「それを担保に金貸してもらえ
ないかなぁ」とその店主は言う。
名前はHとしておこう。
言下に断ったが、私がシバキュー
以外大切なキューを店に置き
キューしなかった理由は、多くの
店でそのようなカスやクズがビリ
ヤード場のオヤジだった事を知っ
ていたからだ。
その中でも勿論、とてもまともな
経営者たちも何人もいる。
だが、日本のビリヤード界はプロ
選手までもが夜の賭博玉で稼い
だり、日常的に5-9というバクチ
玉で小銭をムシったりする事を
やって喜んでいる世界なので、
プレーヤーに社会的な人格的な
ものを期待するほうが無理だ。
玉屋が鉄火場になっているのは、
残念ながら現在でもそういうシ
ーンをいたる所で実見する。賭
博場なのだ。店主が玉台も掃除
せずに違法麻雀を堂々とやって
たりとかね。
まあ、玉突き人たちはカス揃いと
思っていたほうが無難だ。
まともな人はほんのごく一部の人
たちだけで、それはよくよく考え
ると、一般社会としては至極
まともなのでもなく、普通の
常識的な人たちでしかない。
その普通の人たちが「物凄く素晴
らしい人格者」であるかのように
錯覚してしまうのが日本のビリヤー
ド業界の疑うことなき事実なのだ。
ほら。
「新商品」とかの販売戦略見てい
ても判るでしょう?
ボッタくれる時にかっぱいどけ、
というような売り方。
まともなアキンドでさえない。
日本のビリヤード界なんて、そんな
もん。