・・・自分が彼女だったら、同じことが、できるだろうか。
こんなにも甘っちょろくて、ぬるい自分にも、その時になれば、できるのだろうか。いや、理想的にでなく、いたって客観的に、シビアに自分を見れば見るほど、おそらく・・・僕なぞには。
映画、「白バラの祈り~ゾフィー・ショル 最後の日々」を、観ました。
第二次世界大戦下のドイツ。「白いバラ抵抗運動」という反ナチス、反ヒトラー(=つまり反国家)を標榜した、非暴力運動組織の唯一の女性メンバー、ゾフィー・ショルの逮捕から処刑されるまでの5日間を追った、実話を元にした映画です。
処刑された時、彼女は、21歳。
全員が「右向け、右!」としている中で、「これはおかしい!間違っている!」と声を上げます。そして、「捕まれば、死」なのを解った上で、他の多くの騙されている、または騙されたふりをして、自分を殺している若者達、国民達に対して、国の現実、自分達の将来の為に、知らなければいけないことを教えようと行動を起こします。
不運にもある時、グループの行動がばれ、彼女らは捕り、長く厳しい取調べを受け、間も無く裁判に掛けられます。裁判と言っても、弁護士までもが国側の人間で、一言の弁護もしない、という不当極まりない裁判。まるっきり国の手先であり、公平な価値観などこれっぽっちも持たない裁判官、ローランド・フライスラーも、悪名高き、実在の人物です(2295人もの人々をまったく不当な裁判で処刑室送りにしたのです)。被告席のゾフィーは、彼を見据えて、毅然と、静かにこう言い放ちます。
「今にあなたが、ここへ立つわ。」
(史実では、残念ながら彼は最後まで裁かれる側に廻ることは無く、しかし間も無く、裁判所で爆撃に遇い、死にます。)
ゾフィーの処刑執行の日の彼女が、あまりにも美しい。連行されながら、彼女が放つ一言に、一瞬だけ彼女を照らす太陽の光に、ズシンと胸を打たれます。そして映画では、処刑される瞬間まで、人前ではずっと毅然としていたように見えます。実際は・・・解りませんが、おそらくそういう人だったのでしょう。
映画では流れかなった、実際のゾフィーの言葉が残されています。
幸運にも処刑の直前、一緒に捕まった兄らと面会のチャンスを得ます。そこには差し入れられた甘いものがありました。とはいえ、これから・・・処刑です。兄は断りますが、ゾフィーは嬉しそうに、
「あらそう、いただくわ、私はまだお昼を全然食べてないのよ。」
と言って食べたそうです。
映画では、このセリフ自体は使われませんでしたが、やはりこの最後の兄弟の面会のシーンはとても悲しくも、凛として美しく描かれておりました。家族、友、信念、ほんのひと時の温もり、一本のタバコ、そして・・・。間違いなく、名シーンだと思います。
最後には処刑されてしまうことは、わかっていました。それは史実ですから。でも、映画が終わってしばらく、悔しくて、くやしくて・・・「ちくしょう、どうにかならないのか」、という涙を、僕は止めることができませんでした。
写真は生前の、実際のゾフィー・ショル。21歳で国の為に、国民の未来の為に死んだ彼女は、今やドイツ人なら誰もが知っている、平和の象徴的人物です。
先日ご紹介した「ヒトラー 最後の12日間」、その後観た、ベルリンの壁崩壊直前の東ドイツを切り取った「善き人のためのソナタ」(これも、とーっても素晴らしい作品でした)、こういう自国の暗い歴史をまっすぐ見据えた映画を撮る若手の映画監督を育み、国民自らもそれを歓迎するドイツ。最近のドイツ映画の質は、相当高いらしいです。もっと色々と観てみたくなりました。残念ながら、日本とは戦後の歩み方が、ちょっと・・・違うのでしょうね。映画作り一つからでも、学ぶべき所は沢山あるのんではー、などと思ったりもしますが。
日本は、残念ながら、映画に対する認識がいまひとつ低い国ですからねー。でも、映画から学べることって、結構多いと思うんですよー。テレビの(多くの)ドラマなどとは桁違いに時間と労力とお金をかけて、一生懸命作ってますからねー。
ではー。