ケン坊のこんな感じ。
キーボーディスト、川村ケンのブログです。




ハロウィーンって、キリスト教でいうお盆みたいなもの。ならば・・・とそれで気づいたと言うわけでもないんですが(笑)。

天気があまりにも良かったので、ドライブと、むくみ取りも兼ねた散歩がてら(笑)、お墓参りに。

この季節、さぞかし落ち葉で掃除が大変だろーなと思って覚悟して行ったら、たまたまちょうど植木屋さんが入ったばかりだったようで、まるで散髪後のように、実にこざっぱりとしておりました。ちょっと中の人に、「フフフ。はずれー。」と、肩透かしを食らったような感じ

 

お参りの後は、ちょっと境内を散歩。 陽の当たる回廊。少し坂になっている部分には、滑り止めがあるんですね。毎日よく磨かれて、さぞかしツルツルなんでしょう。

 

薄暗くてひんやりとした広い大本堂、抜ける風も、ちょうど心地良くて。

 

宝物殿を見学。でも、中は撮影禁止でしたので、こちら、外で修行中のお地蔵さん。

「うわ、そういうことなのかー。知らなかったよ」と、お寺などで仏像などを見るときに役に立つ(たぶんね)、とても勉強になったことがありました。言って見れば、「仏様の分類法」、とでも言いましょうか。書いておきましょう、せっかくですから。

・「如来(にょらい)」・・・仏教において、修行を完成し、悟りを開いた人。「仏」「仏陀(ぶっだ)」は同じ意味。服装の特徴として、衣一枚しか身に着けない。もう内面から徳が滲み出しているので、余計なものはいらないのだそうです。(ただし「大日如来」だけは唯一の例外で、装身具を身に着けているんだそうです)

・「菩薩(ぼさつ)」・・・まだ悟りを求めている(まだ開いていない)、修行の段階の方々。つまり、「如来を目指している」わけですね。如来に対して、こちらは腕輪、冠などの装身具を色々と身に着けているのが見分け方。俗世の我々に近い格好をして、親しみやすくしているんだそうです。

・「明王(みょうおう)」・・・諸説あるようですが、ここでは「如来」(=仏)の変化したもの、という説を。如来の化身、つまりもはや人間ではないので、手が沢山あったり、顔が何面もあったりと、象徴的な姿しているのだそうです。言葉による教えだけでは解らない人間達や、教えに背く悪い人間達、また日々仮の快楽に心浮かれている(僕のような(汗))人間たちに対して、「こら、そんな事ではいかんだろう!」と、半ば力わざによる教化を目的としている、と。なのでご存知のように、みんな怖い顔(「憤怒の相」)をしています。

・「天(てん)」・・・大黒天とか、弁天とか、毘沙門天とか、そう、あの方々。「天部」とも言うんですが、仏教の守護神、護法神である、と覚えておいていいと思います。また、お金とか、勝負事、健康とかの現世利益を求める方々の信仰の対象として存在しているんですね。

「羅漢(らかん)」・・・尊敬される価値のある修行僧、という意味です。なので、弟子たちの中でも、特に優秀なお弟子さんたちを言います。例えば、お釈迦様の直属の弟子である十六羅漢、最初の経典の編集に携わった人たちである五百羅漢など。中に、必ず自分に似た人がいるとも言われているそうです。

はい、僕のへたくそな説明でお分かりいただけたでしょうか?お詳しい方、もし僕の解釈が間違っていたら、簡単に補足をしていただけたりしたら、嬉しいです。

ちなみに・・・お地蔵さんは「地蔵菩薩」といって、菩薩さまなのです。本来なら冠などの装身具を身に着けてるはずですが、それだと衆生(普通の人間)が近寄りがたく感じてしまうので、地蔵菩薩自ら、皆に親しみやすいお坊さんの頭をして我々の前に現れているんだそうです

 

ハトにピントを合わせたら、シャッターを押す直前にスタスタスター(笑)。しかし僕の指はもう止まりません。無駄な一枚になるか、と思いきや。・・・そのピントの薄いポイントに、突然滑り込むように、一羽のスズメがサーッと。おわかりになります?思わぬ一枚となりました。スズメさんの頑張り記念に。ありがとう。

 

ほんと、今日のお天気、年に数日のベストデイでした。そしてこんな日にお墓参りできると、ちょっと心がスッキリします。いくらハロウィーンだクリスマスだって言っても、それは楽しいだけで、別に心はスッキリしませんものね。スッキリするのはお財布だけだったりね(←うまいこと言ったか(笑))。うん、ここらへんやっぱり、「カミさまホトケさまー。」の日本人ってことですかね。いや、日本にもいろんな信仰はあるにしても。

・・・かくいう僕も昔、子供の頃、教会にミサに通ってた時期もあるんだけどなー(ちょっとした不可抗力でだったんですが)。またその話はいつか(笑)。

ではー。



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