ケン坊のこんな感じ。
キーボーディスト、川村ケンのブログです。




今日はとっても暖かな一日でした。

暖か、っていうか、あれ?夏?ってくらいでしたね。

ついクセで持ってでた皮のジャケットは、・・・一度も着ることなく、ただただ持ち歩いて帰ってまいりました(笑)。

 

夕方から、YEBISU、じゃない、それはビールだ、恵比寿に住む友人の家での、ホームパーティにお呼ばれされてきました。

風通しの良いお宅でいただく、M夫妻の手料理。今日のメインは、旦那さんのTくんの作るアジアン料理。

そのあまりの美味しさに、僕は心を新たにいたしました。いつか、この域にまで達してみたい。ココナッツミルクや香菜、ナンプラーを、いつかここまで自在に使いこなしやるぞ、と。そのためにも、

 

・・・南国に行きたいなー。いやいや(笑)、まぁ言い訳はともかく、本当に海が恋しくなるくらい暑かったですね

 

しかしほんと、お腹一杯。とっても美味しくて、楽しい時間でした

 

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あ、・・・ちょっとテレビを、NHKを。

 

 

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・・・。

 

高校生の時、バンドのボーカルのヤツが「今度のライブ、RCの『よォーこそ』から始まりたいんだよ。」って言い出だして。僕ら、コピーしたんですよね。そんで僕も「よーこそー!」って、一緒に、歌った。うん。覚えてます。・・・覚えてました

 

リビングに、普通のよりもずっと小さな鍵盤のついた、小さなキーボードが置いてあります。いわゆるカシオトーンってやつです。普段はちょっと音を確認したりする用にしてるんですが、

「よォーこそ」が流れちゃったものだから、もうそれを膝の上に乗せてね、結局ずっと一緒に弾きながら見てました、ってか、うん、僭越ながら、一緒に乗せさせてもらっていたいうか。・・・勿論、「あれっ?違った」とか、随分間違ったりしながらですけど。

 

でも、とっても楽しかった。

 

小さなキーボードの音は、もう古いやつだし、ピー、とかプー、って感じで、ぜんぜんショボショボなんだけどね、でも、いいじゃない

 

「あぁ、『トランジスタ・ラジオ』は、やっぱりD♭でした。「うわー、難しいキーだなぁ」って思った覚えは記憶違いじゃありませんでした。「なんで半音下げてCか、上げてDにしないなんだよぉー」って、勝手なことを言った覚えもあります。

 

次々と流れてくる、懐かしいナンバーたち。どれもこれも、ゴキゲン。ほんと、ゴキゲン。ゴキゲンに、・・・なるんですよ、自然と。

 

ロックンロール、そしてブルース。日本で、日本語で、こんなにもカッコよくロックした人は、キングは、間違いなく清志郎さんでしょう。

 

 

そして、初めて聴いたときに泣いてしまった、大好きな、『JUMP』。

厚見さんのあのハモンドC-3の音と一緒に、僕も・・・プー。

ほんと、楽しかった。番組が始まって、最初はウルっと来たんですけど、「よォーこそ」が始まって、キーボードのスイッチを入れてからは、もうほんとずっと楽しくて、たぶん傍から見てたら、むしろニヤニヤしてたんじゃないか、ってくらい

 

 

・・・最後に、遺影の写真が出てくるまでは。

 

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でも、ほんとうに、何度も何度ももしつこいようですが、

 

素晴らしい音楽を残してくれて、そして「本物のロックかくあるべき」、という生き様を見せてくれて、本当にありがとうございました。

 

 

「願いは世界の平和」だった、という清志郎さん。

 今夜、清志郎さんの追悼番組の直前まで、NHK教育テレビで「ガザ なぜ悲劇は繰り返えされるのか」が放送されていました。

番組の中で、一人の親が言いました。

「子どもに食べさせるものがない、でも、大人に仕事もない」

戦争のせいです。

「おれの人生は、こんな人生のはずじゃなかった。いったい誰のせいなんだ。」

 

 

清志郎さんは、あるコンサートで、こう言いました。

「・・・全然、世界は平和になんないじゃないか。戦争がずっと続いてる。21世紀になったのに。21世紀になったら、世界が平和になると思ったのに。ますます酷くなってる。」

そして、この歌を歌いました。

IMAGINE

 

今日お邪魔したM夫妻の間には、もうすぐ新しい命が生まれます。

 

僕たちだっていやだけれど、とにかく・・・何の罪もない子どもたちのために、世界が一日も早く平和になりますよう、清志郎さんのシャウトと共に、改めて祈りたいと思います。

 

では。 



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