怪しい中年だったテニスクラブ

いつも半分酔っ払っていながらテニスをするという不健康なテニスクラブの活動日誌

青木美希「なぜ日本は原発を止められないのか?」

2024-07-13 09:22:59 | 
その昔、オリンピックを招致したいがために、故安倍首相は福島原発事故はアンダー・ザ・コントロールと高らかに宣言した。
だが未だ福島原発事故の復興は終わっていない。
この本はそんな福島の現状をルポしつつ、原発の歴史、原子力ムラの人々そして原発と核兵器について論じ、原発ゼロで生きる道を探っている。

そもそも福島原発事故はいまだ分かっていないことも多く、2号機が爆発すれば最悪首都圏を含めた東日本壊滅の可能性もあった。なぜ2号機から放射性物質が大量に放出され圧力が下がったかは不明だがそれによって原子炉そのものの爆発は免れている。事故は不運の連鎖もあって誰にも止められず転げ落ちて行ったのだが、幸運にも首の皮一枚でとまって最悪の事態は免れている。それは想定された安全装置が働いたわけではなく人知を離れた偶然の賜物。4号機の保管プールの水が干上がってしまわなかったのも幸運な予想外の展開。原子炉内の詳細な状況も分からないまま、放出された放射性物質の除染作業は遅々として進まず土は中間処理施設に溜まり続け最終処分場は決まらない。汚染水はどんどん貯まり、処理したとされているけど、どれだけ処理しきれているのか分からないまま、海洋放出されている。故郷に戻ることが出来ない人々、風評被害に苦しむ漁業者、多分安部元首相にとっては、そんな見たくない現実は見えずに既に終わったこととなっていたのだろう。
ある意味福島の現況、それでも原子力に回帰しようとする政府、原発力ムラの政官学財の強固な結びつきと原発ゼロが何故できないかについてはいろいろな人がいろいろ論じていて、改めてまとめて読んでみると現状には唖然とするけど、まあ、そんなもんなのかと思っていた。
でも、この本で一番ショックを感じたのは、「おわりに」に書いてあること。
著者の青木さんは北海タイムス、北海道新聞から大手全国紙に移り記者をしている。おそらく朝日新聞社だと思うけど、略歴には社名は書いていない。
実は2020年に記者職を外され新聞媒体に書くことが出来なくなっていたのですが、勤務時間外に会社の記者としてではなく個人のジャーナリストと説明しながら調べてきたそうです。まとまったものを文芸春秋から出版しようと会社に「社外出版手続き」に従い出版申請書を提出した。
これまでこれが拒否される事例は聞いたことがなかったそうですが、職務活動で取得した知識・情報をベースとするので職務であり、編集部門の取材活動と競合し、妨害、阻害する恐れがあると、出版が認められなかったのです。文芸春秋社の編集者が面会を申し出ても所属長からは断られる。上司の執行役員に直談判してもだめ。
どうやら他にも社内で書けない事例もあるみたいで、退社した例もある。言論の自由を守ろうと普段から訴えている報道機関で、言論統制があると言うこと。
ネット媒体に原稿を発表し、原稿を全面的に書き直しつつ出版の最終準備を進めていると会社側は突如「社外活動に関するガイドライン」を改定、報道機関の取材領域に関わる取材・執筆・出版等に網がかかり、編集部門の確認を受けることともなった。
窮余の策として社名・肩書を表示せず、個人として行ってきたことで私益営利を目的としなければ会社に言う必要がないと言うことで、出版している。
間接的にでも会社を批判する部分があったり、会社の方針とあわなければ退社を覚悟しなければ出版が出来ない。まさに報道機関による言論統制!
それにしても政官学業マスコミが深く絡まっている「原子力ムラ」は隠然たる勢力を保ち、大きな力をもって社会を動かしている。ここまで浸透しているのかと言うことには慄然とする。
廃炉への行程も定かではなく遅れに遅れて試行錯誤の日々みたいで、問題は山積み。まったくアンダーザコントロールではない。
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7月7日千代田橋緑地テニスコート

2024-07-11 08:22:22 | テニス
梅雨の中休みといいつつ猛烈な暑さの日々。
名古屋の最高気温は連日35度を超え、熱中症警戒アラートは発出。

こんな時にテニスをやるとは自殺行為!しかもこの日は午後の区分なので13時から16時30分。
どう考えても体に悪いので私は15時からにしますとLINEすると、いくらなんでも遅いだろうとみんな14時から始めると言う。
それにしてもこの日も最高気温予想は38度。体温より高い!

お昼を食べて部屋で涼んでいるとなかなか出かける気分にならない。
それでも一応15時までには行くと書いたので、水と飲み物を保冷バックに入れて13時40分には家を出て西高蔵駅へ歩き出します。暑さで駅に着くまでに大汗をかいてしまいました。
大汗をかきながら14時40分には千代田橋緑地テニスコートに到着。
コートにははげ親父、えみちゃん、ちょっと見小野ヤスシさん、1059さんといて、もう1試合済ませたみたいです。
それでは私も早速試合に入れてもらいます。暑さ対策でネッククーラー(この名前でいいのか?)をつけます。

最初の試合はカバちゃんと組んではげ親父、えみちゃん組と対戦。コートの上は日影もなくて立っているだけで汗が噴き出てきます。それでも私はまだ最初の試合なので体力は余っているのか、相手よりは余裕があったみたい。結果4:0で完封勝ち。
こんな天気で暑さで倒れても誰からも同情されずに非難されるだけ。
みんな間に休みを入れてクルーダウン。
えみちゃんはいつもながら家庭菜園で取れた野菜を持ってきていてみんなに配ってくれます。

私はピーマンとしし唐となすを頂きます。
次の試合はもう一度かばちゃんと組んで1059、ちょっと見小野ヤスシさん組と対戦。この試合でも暑さ疲れの差とかばちゃんの若さが威力を発揮して4:0で完封勝ち。
ここで一休みではなくて二休み。顔を洗って手を洗い、水分を補給して、手ぬぐいを濡らして保冷剤を包んで首に巻く。
さすがにこんな天気なのではげ親父も缶ビールを一本ちびちび飲んでいるだけ。

次の試合は1059さんと組んではげ親父、カバちゃん組と対戦。
もうこの頃には暑さでエネルギーを使い果たして何時もながら肝心なところでミスを重ねて0:4での完封負け。本来の実力発揮?
一応これで3試合やったので本日は無事予定終了。
試合中には出しそびれていたはげ親父持参の500缶ビールを二人でちびちび飲んで空けました。
隣のコートは15時には終了していたし、我々も16時で終了しました。
これからいつもながら飲みに行こうかという話もあったのですが、汗まみれで飲みに行くのも躊躇われてこの日は直帰することにしました。
まあ、倒れずに無事テニスをできてよかったとしておきます。
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信州旅行その3黒部ダム

2024-07-09 18:30:12 | Weblog
翌朝は曇って細かい雨が降っていたのですが、程なくやんで晴れてきた。
梅雨時なので悩ましかったのですが、雨は降っていなければ黒部ダムへ行こうと思っていました。
でも天気が悪るければ眺望も何もなくて肌寒いだけ。プランBとしては長野へ行くか、諏訪へ行くかぐらいだったのですが、最悪はチェックアウト時間まで目いっぱいいて直帰する…
でも山の中はともかく天気は回復基調、これは行くべし。
タクシーを呼んで扇沢まで片側1車線の細い山道をひた走ります。
20分ほどで扇沢駅に到着。

ここから電気バスでトンネル道を通って15分ほどで黒部ダムへ。往復のバス代は3200円と高いのですが、途中には破砕帯もあるところを通るのですから仕方ない。

因みに過去このトンネル道では中島みゆきが紅白で「地上の星」を歌っています。
バスの駅は地下にあって、展望台までは階段を220段上がらなくてはいけません。地下は気温が低くて20度を下回っている。半袖では寒いくらいでした。
展望台へ出るととにかく風が強い。帽子を飛ばされないように押さえていましたが追いつかず結局手に持つしかない。 
展望台はさすが階段を上がってきた高い場所なので展望が素晴らしい。


残念ながら立山の上は雲に隠れていましたけどね。

晴れてはいても風に吹かれていると寒いくらいなので黒部ダム駅に早々に戻って今度はダムの上を歩くことに。
駅からは下りの階段で60段ほど。

堰堤の上を歩いて対岸へ。
下を覗けばダムの高さを実感できますが、観光放水がないのがくれぐれも残念。
堰堤を渡り切りケーブルカーの黒部湖駅まで行きます。

さらに湖畔を歩いて遊覧船乗り場を過ぎ、つり橋を渡って帰りました。


タクシーの運転手さん曰くダムの堰堤の上は最近はここは日本かというくらい外国語が行きかっていると言うのですが、この日は中国人か韓国人がちらほらでそんなことはありませんでした。
一歩きしたのでレストハウスで休憩。名物のダムカレーを食べるべきだったのですが、朝食はがっちり食べて空腹感はなかったのでパス。
ここからダムの断崖に張り付いた階段を歩いて新展望広場とかもう一度ダム展望台へ行く道があるのですが、ほとんどが階段で吹き曝し。もはや水平移動しかやる気なしでおとなしくレストハウスで休憩して帰路につきます。
因みに監視カメラの画像では室堂はガスっていて視界ほとんどなし。日本海側は天気はいまいちみたいでした。
扇沢駅ではちょうどバスが10分ほどの待ち時間で発車だったので、帰りはバスで帰ります。乗車時間は運転手さんは35分と言っていましたが信濃大町駅には30分かからずに到着。上手く列車に接続できて松本へ。これは間に合わなければ50分待ちだったので助かりました。
松本からはしなの18号で18時7分に帰名。長野始発なので結構混んでいて自由席では右往左往しなければいけなかったかも。
それにしても大糸線は単線なので信濃大町から1時間以上かかり硬い座席でお尻が痛くなります。若かりし頃はスキーに行くなるとうれしくてそんなことはあまり感じなかったのですが、この歳ではやはり遠いことを身体が訴えています。
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7月3日4日信州旅行その2大町温泉郷

2024-07-07 11:40:18 | Weblog
この日の泊りは「界アルプス」

界は基本送迎はやっていなくて、信濃大町からはバスの本数も少なくまたもタクシーで3400円。大町温泉郷のバス停からは歩いて10分ほどかかりますので、またも贅沢しました。
タクシーの運転手さん(女性)は界アルプスは一番の宿とべた褒めでしたが、温泉郷自体がうら寂れているからね。
敷地に入る門のところに従業員さんが待機していて、タクシーを降りるとすぐにフロントへ案内してくれます。
部屋は結構広くてベッド。畳と座卓もあって寛げます。

ただし大浴場があるので部屋にお風呂はなくてシャワーだけ。わざわざ部屋のお風呂に入ることもないので、それで十分なのですけどね。
施設内は作務衣に着替えてドkでもいけます。でもこの作務衣なんだか着にくくポケットがないのが不便。鍵も入れるところがないのでポシェットを持って行かないといけない。
一休みして早速お風呂に行きますが、大浴場は宿泊棟と道を隔てている。雨が降ると傘をさす必要があります。

お風呂には2階に上がります。エレベーターはなかったと思う(隠れてあったかもしれません)のでバリアフリーとは言い難い。
大浴場というほどは大きくないのですが、露天風呂もあって、たまたまほとんど人がいなくてゆっくりお湯につかって、長湯します。

1回は湯上りお休み処になっていて、飲み物(そば茶と酸っぱいジュース)、さらにアイスキャンディはご自由にどうぞ。

こういう時は基本全部確かめてみるのを旨としているので、みんな頂いてきました。
食事は19時30分から。界は基本夕食は17時30分と19時30分の2部制。どちらも早すぎるか遅すぎで中途半端なのですが、18時30分も含めた3部制にするとか工夫の余地はないのでしょうか。この点はお客本位というよりも従業員本位です。とは言いつつ、料理は手が込んでいて美味しく、係の人が専属で運んで説明してくれるので人の配置上仕方ないか。

さすが大町と言うことでわさびが一本ついていて適宜すりおろして使います。

肉料理につけると美味しいですね。



とりあえず生ビールで喉を湿らせて、あっという間に飲むので次は日本酒へ。
3種飲み比べセットにしました。

料理はどんどん出て来て日本酒も進む。



いい気持になっておなかも満腹。
実はここは囲炉裏があって自由に使えます。
17時まではおやきを焼いていて食べることが出来、19時からは日本酒が提供されます。

でも夕食前におやきを食べるのも何だし、あまり酔ってしまってもせっかくの夕食が味わえない。19時に覗いたら17時30分の夕食の人が2次会よりしく沢山たむろしていて入り込む余地なしでした。
夕食後はいい気持で酔っていたので囲炉裏で居座ることなく部屋へ帰りました。
朝食は7時15分。これも先着順で時間帯を選べるみたいで7時か7時15分しか空いていないとか。
朝食も美味しかったのですが、びっくりするようなものは出ていません。みそ汁はキノコと鶏がはいっていてと具だくさんでたっぷり、お替りも出来るのですが、ギブアップ。
朝食後談話ルームではコーヒー、紅茶が無料なのでコーヒーをいただます。

朝食後大町温泉郷を散歩したのですが、うらぶれている感が強い。バス停近辺でもお店は閉まっているものばかりで、食堂が1軒営業中ぐらい。ホテルも閉鎖しているものとか工事中とかもあってお客の姿もなさそう。界アルプスは温泉街の外れなのでかえってよかったかも。
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7月3日4日信州旅行その1大王わさび農園

2024-07-06 20:27:04 | Weblog
梅雨入りしているので雨が降ったらどこへ行くのかと悩みながらの信州旅行。
それでも運よく当日は晴れ。勇んで名古屋駅発10時の特急しなの7号で一路松本へ。

午前中ですが列車に乗ればビールとつまみ。

松本までは2時間余り。
お昼なので松本駅近くのお昼は定食がある居酒屋で昼食。従業員不足で待たせることもありますとの注意書きが入口に貼ってあったのですが、そんなに待つこともなく場所柄蕎麦3種盛りを頂きます。
この日は大王わさび農園へ行く予定です。
松本からは大糸線で穂高へ。大糸線は1時間に1本で単線なので全部普通(まれに東京行きのあずさがあります)のワンマンカー。雪国なのでドアはボタンを押さないと開きません。
学校の下校時間だからか列車はほぼ満員、立っている人もいます。
穂高駅から大王わさび農園までは歩けば2キロほど。歩けないこともなさそうですが、道もよく分からないのでちょっと贅沢にタクシーで行きます。約10分で1500円。
この日名古屋の最高気温は35度。さすがにここまでくると暑さはあまり感じませんが、タクシーの運転手さんによると暑い日となります。
園内は無料なので自由に散策できるのですが、生憎と言うか夏の間はワサビ田の上に日よけの黒いシートがかかっている。

ぐるりと園内を一周するのですが、最後に水車小屋のある所へ。

ここは黒澤明の「夢」の一場面になったところです。
湧水の川と本流が合流するのですが、本流は前日までの雨で濁っていて水量も多い。そのせいでゴムボートでの運航は中止になっていました。

一休みしてわさびソフトクリームを食べましたが、そんなにわさびの味はしない。まあ、甘いソフトクリームなのであまり辛いのは変ですよね。

山並みを見ると北アルプスの稜線がきれいに見えます。

常念岳か燕岳、爺岳まで、はるかに乗鞍まで霞んでいます。
駅の戻るのですが、次の列車目で30分ほどあったので、暇つぶしに歩いて5分ほどの穂高神社へ散策。


タクシーの車窓から見ただけであまり期待していなかったのですが、思ったよりも立派な神社でした。丁度茅の輪くぐりが出来るようになっていましたので、くぐって参拝。
駅へ戻る途中の商店では店先に各種のかごとか菅笠を売っていました。

これはなかなか名古屋ではお目にかかれないものですね。東急ハンズにあったかな。
列車に乗ってこの日の宿の大町温泉郷の最寄りの駅の信濃大町へ30分ほど。
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酒井順子「無恥の恥」

2024-07-05 11:36:43 | 
一応肩書としてはエッセイストの酒井さん。冒頭ですべてのエッセイは自慢話と断言しています。
エッセイを生業としているのですが、それだけに自慢好きな人間であり、他人の自慢には敏感という。

紫式部が日記の中で清少納言を悪し様に評しているのも、自分が自慢したくて仕方ないからこそ自慢話が鼻についてしまうというのは分かる気がします。
この本の中でもエッセイストの大先輩というべき兼好法師の徒然草が多々取り上げられているのですが、兼好法師自身も自慢が満載。でもあからさまに自慢していることが分かると恥ずかしい。
でも最近は自慢と恥の感覚がかなり違ってきたみたいで、その辺のあれこれを縷々書いているのですが、通読して思うのは男と女の恥の感覚の違い。女性はこんな感覚だったのかと言うことを齢70にして目から鱗では、今更と言うか手遅れなんですけどね。
戦後ルース・ベネディクトが「菊と刀」を著し、日本人の行動規範のもとになっているのは「恥の感覚」と喝破したのだが、その恥の感覚も時代とともに大きく変わってきた。
最近ではSNSによってその感覚が激変したと書いてあるのだが、それについて書いた「中年とSNS」と「若者とSNS」は酒井さんの知らないうちに大変な勢いで拡散して、バズったことになる。それだけなるほどと思った人が多かったのだろうが、酒井さん自身はSNSをやっていないので状況がわからないまま大いに戸惑ったとか。
ここで取り上げられているSNSはフェイスブックなのですが、不特定多数の見えない人に対してエッセイを書くことについては何ら恥しくないのに特定少数にすることは躊躇すると言うか恥しい。ストリッパーが人前で裸になることは仕事なのですが、それは不特定多数の観客に対してのもの。自分の友人知人といった特定少数の前では恥ずかしい。同じようなことは確か井上ひさしもどこかで書いていて、ストリッパーも楽屋で着替える時には恥ずかしいので見られたくないとか。ファイスブックは自分の知り合いに繋がるので、自分の友人知人の前で裸になると同じような行為と思われて恥ずかしいはずなのですが、ファイスブックでは友人知人が色々なことをアップしている。最初のうちは旧交を温めて盛り上がっていたのですが、他人の知らずにいた精神生活を見てしまい恥ずかしさを感じてくる。今まで自慢欲求を封印してきた中年世代がフェイスブックの中で恥ずかしげもなく欲求を解放している。もっとも日本人の恥の感覚は強固で、その自慢バブルもやがて沈静化してきました。
因みに今どきの若者はネット社会で生きていて「見られている」ことを絶えず自意識に持っている。日本人は古来「親しき仲に言葉は不要」という路線で来ていたはずなのに、若者は「言葉にしなければ何事も伝わらない」という認識で、親や友人にやたら感謝の言葉を発表している。昭和世代としては結婚式とか葬式以外の場で子どもがあからさまに親に感謝している姿は恥ずかしい。
ところで私もこんなブログを書いていますし、フェイスブックも適宜アップしています。一応ブログはほとんど分かっている人には分かっているのですが、匿名で登場人物も実名は使っていません。フェイスブックの方は自己紹介で実名も出していますのでそれなりに気を遣っているはずですが、どちらもあまり自慢話をしている自覚はないながら、それっぽいところもあって、ちょっと歪んだ形での自慢話なのでしょうか。どうして書いているのかと言われるとあまり明確な答えがないのですけど、しいて言えば日記代わりの「ボケ防止」と答えています。時折心の片隅でこれはどう書いてアップしようかと考えることは脳トレになるのではと思っているのですけど。それでもフェイスブックでの投稿にいいねがたくさんつくとにんまりしてしまい、今度はもっと受けるように書いてみようとなるので、承認欲求が満たされることを求めているのは確かです。
この他にも恥の感覚をキーワードにして、鋭く今の日本の世情を分析しているのですが、これが面白い。結婚相手では小倉千加子さんの「結婚とは、男のカネと女のカオの交換である」という言葉を引きつつお金持ちと美人の結婚についての必然性を述べていますが、逆の女性のカネに恋するイケメンというパターンは難しい。自由恋愛、自由結婚の世では「よくあんなのを選んで一緒にいるよね」と言われても自己責任。夫婦になると言うことは他人から見たら「恥ずかしい」とされる相手の部分をも、自分の中に取り込んでいくこと。夫婦が似てくるとはそう言うことで、それは総じてうまく行く夫婦…
そう言われると我が身を振り返ってしまいますが、まあ、長くいると価値観が似てくるのは取り込まれてしまったと思いつつ何とか続いている理由か?
死に支度では人は死ぬとひたすら見られる立場になると言うのですが、死ぬ前はあれこれ恥ずかしいことが気になって整理して処分なりしようと思う人が多いのですが、死んだらどんなに恥ずかしいことを知られても蘇ることはないのですから、残されたものが勝手にしてくださいと言うのが今のところ自分の考え。それでも残されたものに迷惑はなることがないようにボケる前には整理しなくてはとも思っていますけど、それこそ自己責任で勝手にしなさいですね。
小林聡美とのボーナス対談もついて300ページにも満たない文庫本ですけどいろいろ考えさせられたのはさすが酒井さん。恥の感覚は形を変えつつ日本人の基底にしっかり残っています。
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6月30日熱田神宮公園

2024-07-01 20:35:56 | テニス
梅雨入りは遅かったのですが、梅雨になるとやはり雨の日が多い。
この日も前日の予報では一日雨。
もう天気予報を見て戦闘態勢は解除と言うかお休みモードになっていました。
ところが朝起きてみると曇ってはいるけれど路面は乾いていて雨は降っていない。

降るなら降ってくれないと困るんですけど…
6時50分過ぎの天気予報を見てみると

梅雨前線は日本列島の上に伸びていて、いつ降ってきてもおかしくない。
程なくこの地方も雲が覆うみたいです。
果たして9時過ぎには細かい雨が降ってきました。
ここから大した雨でもないので何とかテニスが出来るみたいと言われても困るのですけど、雲の動きを見ればやっぱり雲に覆われていて今日は雨天中止しかないでしょう。

熱田神宮公園テニスコートはクレーコートなので雨には弱いのでグランド状況不良になっていそう。
段々本降りになってくるような気がしたので、念のため管理事務所へ電話して中の旨を連絡したのですが、これだけ雨が降っているなら向こうから使えませんと言ってきてもいいくらい。
こうなるとぽっかりと時間が空いてしまうのですが、この日は30日でイオンが5%割引の日。雨が本降りになる前に買い出しに行きました。
これから梅雨本番になるのですが、暫くは毎回天気予報を見てイライラする日となりそうです。
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