怪しい中年だったテニスクラブ

いつも半分酔っ払っていながらテニスをするという不健康なテニスクラブの活動日誌

清原達郎「わが投資術」

2025-02-13 18:47:55 | 

以前は国税庁から毎年長者番付というのが発表され、大企業のオーナーだったり土地成金などが名を連ねていた。

ところが2005年は約100億稼いだ一介のサラリーマン投資運用者(肩書としてはタワー投資顧問運用部長)が日本一となる。それがこの本の著者の清原達郎さん。因みに長者番付はこの年を最後に発表されなくなったので、余計印象が残っている。

その清原さんは咽頭癌により声帯を失い、ヘッジファンドを運用するためには膨大なエネルギーとどん欲さが必要なのですが、もはやその限界を感じて2023年にファンドマネージャーを引退してしまった。

この本は清原さんが自身の半生と投資のやり方を成功例だけでなく失敗体験も含めてこんなに書いていいのかと思うほど書いたものです。かなり高度な投資手法も開陳されていますが、ほとんど投資経験もない素人でちょっと運用の世界をのぞいてみようかという人にも有意義な箴言が沢山出てきて、これから株式投資を始めようと言う人にも最適な指南書になっています。

因みにこれから始めようと言う個人投資家は、余裕資金の範囲内で信用取引に手を出さず現物投資のみ、半分はTOPIXか日経平均のインデックスなりETFに投資し、半分はスタンダード市場の小型成長株を長く持つこと。マザーズ市場の高PER株は何をやっているか分からないので手を出さない。金融機関の手数料には注意して頻繁に売買しない。情報収集にお金をかける必要はなくて、四季報だけで十分、そんな金があるのなら投資に回しなさい。実際清原さんもあまりお金をかけていないみたいです。

清原さんは東京大学卒業後、最初野村証券に入社していますが、当時の証券会社というのはお客を儲けさせようと言うよりは頻繁な売買を繰り返させて手数料を稼ぐと言う方針。今の野村證券は違うと言いつつ当時のあくどい手口も遠慮なく書いてあります。顧客に損をさせても会社の利益を得ようとするそんな会社の在り様に強烈な違和感を感じるのですが、スタンフォード大学に留学後、野村証券のニューヨーク支店に赴任。その後ゴールドマン・サックスの日本支店に転職します。そこからタワー投資顧問でヘッジファンドを運用するようになります。

清原さんの運用方針は、日本株の割安成長小型株を見つけてロングで投資していくこと。何が割安成長株価をスクリーニングするにはいろいろな指標を吟味する必要がありますが、そこらへんは難しい話もあるので取り合えずスルーしても大丈夫。もちろん勉強したい人には惜しみなく手法を開示し簡明に手ほどきしてあります。大型株はいろいろなアナリストが企業分析しているのですけど小型株まではなかなか手が回らない。結果として割安のまま放置されている企業が沢山ある。

では成長性をどうやって見極めるのか。列挙してあることを書き出すと

1 経営者がその企業を成長させる強い意志を持っているか

2 社長と目標を共有する優秀な部下がいるか

3 同じ業界内の競合に押しつぶされないか

4 その会社の強みは成長とともににさらに強くなっていくか

5 成長によって将来のマーケットを先食いし、潜在的マーケットを縮小させていないか

6 経営者の言動が一致しているかどうか

この中で圧倒的に大事なのが1だそうで、清原さんは投資を決める時には必ず社長と面談していたとか。そう思うと名証株式セミナーで社長が出席して話す会社は見込みありか。実際に会って酷かった会社を実名で出しています。いい会社ではニトリの社長は面談時に証券会社や投資家の接待は絶対受けないと言い何とか千円のスパゲッティを食べたとか。ゼンショーの小川社長はユニークで感心していましたが余り売り物の株がなく投資できなかったとか。大企業と違い中小型株の企業は社長の個性とか良しあしが大きく影響すると言うことでしょう。

基本的には中小型株のロングで運用していたのですが、明らかに割安と思われる時には大型株のショート(空売り)もやっていたのですが、ITバブル崩壊とかライブドアショック、リーマンショックとかには大きな損失を出しています。特にリーマンショック時にはファンドの危機に陥り自己資金をほぼ全財産(約30億‼)投入しなんとかしのいだそうです。

それやこれやで自分の投資の成功例、失敗例を第6章、第7章に具体的な企業名を挙げて出しています。オリンパス、プレサンスコーポレーション、ユニクロ、ファナック、イオン、ブラザーなどなどよく知っている企業も取り上げられていて、投資するつもりはなくても企業分析は違う観点からの視点で面白い。

最後にこれからの日本株市場の見通しを書いてありますけど、破滅的リスクもあるけれど日本株ショーテッジ(供給が絞られ買い手の需要を満たせない状態)時代が到来するとある意味楽観的です。

投資に興味がなくても清原さんの生きざまは読みごたえがあり経済のことを知ろうとする人にはお勧め本です。

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今野敏「トランパー」

2025-02-08 11:28:57 | 

今野敏の「ハマの用心棒」シリーズです。ご存じ横浜みなとみらい署暴対係長の諸橋夏男が主人公。バディは陽気でラテン系の係長補佐の城島雄一。

シリーズとしてもう何冊か出ているのですが、どこまで読んだのか定かでなく、図書館でこれは読んでいないかなと思って借りると三分の一ぐらい読んでやっとこれは前に読んだと気が付く始末。どうも主な登場人物は同じなので混乱してしまうのです。加えて今野敏の別の人気シリーズ湾岸署安積班とも重なってますます訳が分からなくなる。警視庁と横浜県警と違っても港を抱えた湾岸署とみなとみらい署ですし、安積班には交通機動隊の速水副隊長というバディがいる。最初の頃の諸橋はハマの用心棒らしく暴力団に対して目には目をと厳しく対峙して、いつも監察官の笹本に目をつけられていたのですが、最近ではどことなく落ち着いてきて安積班長と似てきたような。

兎に角今回はちょっと管轄違いなのですが捜査二課から依頼されての取り込み詐欺の捜査。そこに暴力団が絡んでいるかもと応援を要請される。ところが情報が洩れて捜査が失敗。どうやら暴力団対策課の刑事が内通していたみたいなのだが、その刑事は殺されてしまう。いつもながら神風会の神野組長に情報をえながら探っていくのだが、今回は中国公安部が絡んでくるので、捜査は最初の捜査第二課から殺人事件担当の捜査第一課、おなじみの笹本監察官さらには公安を担当する外事二課も出て来て、話はどう転がっていくのか。それにしても諸橋の直属の上司であるみなとみらい署の所長とか課長が出てこないのは如何なものか。県警本部直接の協力要請にしても上司は絡むでしょう。

中国公安部のカクとの人物像には不気味さがいっぱいなのだが、最後は諸橋と気を通じて犯人自白へと追い込むのですが、日本国内には中国公安部がかなり入り込んでいろいろ工作しているのはかなり確率高そうなのだけに、ありそうで恐ろしい。

今回も一気に読み通せました。

もう1冊は有川浩さんの「高知案内」

「県庁おもてなし課」で高知の魅力を発信しようとする高知県職員の奮闘を描いていたのですけど、これは、観光大使有川浩さんが実際に高知県の観光名所を巡って案内するもの。と言ってもタクシーを雇って県内広域の魅力があるところを巡るので、当然ながら結構範囲広い。私にとっては高知市内ぐらいだけを深掘りで丁度いいのですけどね。

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酒井順子「女人京都」

2025-01-08 15:43:21 | 
京都という街に惚れてしまった酒井さん。古い都なのですが、新旧いろいろな顔を持っていて、極端に異なる層が隣接して街のあちこちに顔を出している。
平安時代から明治時代に至るまで、都の文化を支えてきた女性たちも活躍しており、その人に関わる名所旧跡も多々ある。
今回は酒井さんがそんな京都の女性たちの姿を街の中に探して案内してくれます。
勿論京都の歴史に残るスターとしては、平安王朝文化最盛期の頃の紫式部とか清少納言、和泉式部になるのですけど、最初に登場するのは光明皇后に高野新笠です。うん?高野新笠は桓武天皇の母親だからわかるけど、光明皇后は奈良時代の聖武天皇の御后、京都と何の関係がある?実は清水寺境内にある子安塔が目指す場所。光明皇后が安産祈願したとの言い伝えがある。へ~、奈良時代の頃から清水寺のあった場所は清らかな湧き水湧く地として信仰の対象だったんだ。
ここから時代順に京都に足跡を残した女性の姿を追っていくのですが、次は斎王として神に仕えた女性たち。と言っても私が知っているのは警固の武士と割りない中になった済氏女王ぐらいか。それなりにスキャンダラスな事件で春画の題材にもなっているので知っていると言うのはどうも志が低い。
もっとも平安時代の男女関係はかなり奔放で女性も貞操を守るなどと言うこととは無縁みたいでした。小野小町とか薬子・高子・伊勢などはもてたのでしょうけど様々な男女の機微を知りつくし、それを芸の道に昇華させて優れた和歌を残しています。
さていよいよ中宮彰子と紫式部の登場。当然御所の中心にいたのでしょうけど、今の京都御所は当時とは場所が違っていたとか。でも京都御苑は美しい自然が堪能でき静かで趣があって平安の世を偲ぶには最適。私が小学校の修学旅行で行った記憶では、やたら広い砂利道を歩かされて疲れてしまい何の感慨もなかったのですが、そこから60年近く生きてきた今行けば感じることができるかな。
道長は彰子のサロンを魅力あふれるものにするため紫式部を教養・文芸担当のエースとしてスカウトし当時貴重だった紙を与えて源氏物語を書かせ、さらには紫式部日記を書かせています。どうやら紫式部日記は道長に公開を前提で書くように言われていたみたいで、それならば清少納言とかへの悪口雑言は分かります。
対する清少納言は皇后定子のサロンの教養文芸担当として活躍するのですが、定子は道長によって没落していくことに。そんな中清少納言は定子とそのサロンがどんなに素晴らしかったかを枕草子で縷々述べています。政治の世界の暗闘がすぐれた文学を生み出したのでしょうか。
この後平安女流文学のスターたち、藤原道綱母、和泉式部、菅原孝標女が登場、そのゆかりの地を訪ねていくのですが、みんな石山寺に参籠しています。石山寺は昨年比叡山の帰りに参拝していますが、平安時代だと徒歩しかないし都と比べればかなり鄙びているので大変だったのでは。
ここから平安時代を終え院政の時代に移るのですが、以後の女性はよく知らない人が多くなる。
ところでこの本は連載記事をまとめたものですが、この辺りからコロナ禍が忍び寄ってくる。外出も自粛で旅行などもってのほか。実際に京都の名所旧跡を訪ねることが難しくなる。地図を見つつ脳内散歩という次第。今は便利なものでストリートヴューもあるのですけど、現場の空気に触れないと物足りない。
そんな自粛生活の間に、平安時代の女性にとっての「憧れる」とか「籠る」とか「日記を書く意味と思い」等をコロナ禍の状況に引き付けて思考を飛ばしています。
やっと旅行ができるようになると時代は鎌倉、室町、江戸へと移っていきます。日野富子、北政所、淀君とかは知っていますが、なじみのないメンバーが多くなってきます。詳しくは読んでみてください。
やっぱり京都千年の都で名を成した女性は平安時代が頂点だったですかね。
京都に何度も行ったことのある人は、この本片手にあまり知らなかった足跡を巡ってみるのもいいのでは。




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本郷和人「承久の乱」

2025-01-03 21:07:30 | 

源平の乱から鎌倉幕府成立から承久の乱までの歴史はほとんど高校日本史レベルの基礎知識も怪しいくらいだった(ちなみに私の受験科目は世界史と政治経済)のですが、NHKの大河ドラマ「鎌倉殿の13人」を見て源平の戦いだけでなく、頼朝が鎌倉に幕府を開いてから承久の乱までの関東武士団内部の血で血を洗う抗争に興味を持ち、図書館で目にすると関係する新書を読んでみるようになってきました。本郷和人さんは中世史が専門なので時流に乗ってかいろいろ本を出していて、そのうち何冊かは読んでいます。でもこの「承久の乱」は「鎌倉殿の13人」の放送前に出版されたもの。

読んでみるとこれが面白い。実録鎌倉幕府仁義なき戦いともいえるもので、まさに権謀術策と剥き出しの武力行使。もともとは伊豆の小さな地方豪族に過ぎなかった北条氏が頼朝に従い時政、義時と実権を握っていく過程は何でもありの血に塗られている抗争の連続です。ドラマを見る前に読んでおけばよかったと後悔しています。

頼朝が鎌倉幕府を開いてからも政治の実態は朝廷と東国武士政権の二元支配体制。将軍はその支持基盤である東国武士団の上にのった神輿のようなもの。平氏との抗争には血統書付きの頼朝が必要だったのですが、平氏が滅亡すれば神輿は軽い方がいい!それが証拠に二代将軍頼家も三代将軍実朝も自分の考えと力で動こうとすれば東国武士団から排除されてしまう。承久の乱で朝廷の力がそがれてしまうと源氏の血統は必要とされずにお飾りの将軍が就任するだけとなってしまう。

承久の乱は日本の在り様を朝廷中心から武士の支配するものに変えるターニングポイントだったのであり、歴史の大きな転換点だったのです。その割にはあまり一般に知られておらず源平の争いの方に注目が集まっている。一つの要因は大きな転回点にもかかわらず承久の乱の戦いがあまりにも関東武士団の圧勝で大きなドラマになるような場もなく短期に終わったからなんでしょうか。
知らなかったのですが、後鳥羽上皇は決して文弱の御簾の中にいるだけの人ではなく、文武両道で経済的にも軍事的にも大きな力を持っていたそうです。
承久3年5月15日に後鳥羽上皇が北条義時追討の命令の出してから、5月22日には幕府軍は東国武士を糾合し京都に向けて進軍。因みにその際北条政子のの大演説があったと言うのは物語の世界で、政子は御家人たちの前に姿を現し話をしていないそうです。
当時の戦力としては本郷さんの推計によれば幕府軍が1万騎ぐらいで、朝廷軍が1700騎ではないかと。大軍に驚いた朝廷軍は早々に木曽川防衛ラインを放棄。関ケ原辺りで迎え撃つのが常道なんでしょうけど6月13日には京都の最終防衛ラインの近江の瀬田と山城の宇治で決戦となる。
幕府軍はこの戦いを制して京都に進軍、占拠。
後鳥羽上皇は6月15日には全面降伏ともとれる院宣をだす。追討令から1月というあまりにもあっけない敗戦なのだが、この院宣により朝廷は今後政務に口を出さず、武力を放棄することを宣言している。武士の統治する世界が名実ともに始まる訳です。
ではなぜ文武両道で大きな力を持っていたはずの後鳥羽上皇はこんなにも簡単に敗れてしまったのか。
後鳥羽上皇の敗因は第8章で分析されているのですが、動員できる武士はたまたま京都にいる武士だけで守護の支配国の武士たちを根こそぎ動員することは出来なかった。さらに上皇と武士の身分が違いすぎて、武士たちは軍事的な作戦についても上皇に直接話をすることが出来ずに朝廷の貴族を通してしか意思伝達が出来なかったと言うのは軍事戦略を練り、作戦立案するには決定的に不利になる。上皇一人が文武に優れていても軍事行動を起こすには朝廷の統治機構自体が不適だったのだが、上皇が徒に武に優れていただけに暴発してしまったと言うことか。
その後、幕府は六波羅探題を置き朝廷を監視下に置き、御成敗式目を制定し江戸時代へと続く武士の支配する時代へとなる。
承久の乱に至る朝廷と鎌倉幕府、東国武士団との凌ぎあいは、本当に知的好奇心を刺激されました。


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藤沢周平「市塵」

2024-12-13 17:41:05 | 

藤沢周平さんの小説はかなり読んだつもりですけど、これはまだでした。その昔、係長時代によく読む本の話題になって当時の課長が時代ものが好きで藤沢周平が好きだと言っていたのですが、その頃の私は藤沢周平を知らなくて時代ものなんかは銭形平次とか水戸黄門の類かと思い口には出しませんでしたが小ばかにしていた記憶でした。でもなんかの拍子で藤沢周平の本を読んでみたら、たちまちその面白さのとりこになっていました。

「市塵」は藤沢さんのジャンルで言えば評伝物というべきものか、小林一茶を描いた「一茶」、長塚節を描いた「白き瓶」に次ぐもので、この作品は新井白石が主人公。

新井白石については教科書的な知識しかなく、その昔名著で読むべき本と言うことで「折りたく柴の記」を読んだ覚えはあるのですが、ほとんど記憶はない。

読んでみると新井白石はどちらかというと遅咲きの人。浪人暮らしで本所で私塾をやっていたところたまたま学問の師木下順庵の推挙によって37歳で甲府藩の儒者としての仕えることとなり頭角を顕していく。ここで切れ者と言われる間部詮房と親しくなり、二人で綱豊を補佐していくようになる。時の将軍綱吉は嫡子がおらず兄の子である綱豊が次期将軍の世子として西の丸に入っていく。間部は奏者番から用人となり綱豊の寵臣と言ってもよく強い権力を握ることになる。白石は儒者として綱豊に進講する中で政治的進言もすることで信頼を得ていた。

ちょっと意外だったのは、白石は体が弱くたびたび寫(激しい下痢?)に悩まされていて、出仕を休むことが多かったみたい。子どもも何人かできるのだが、多くが幼い時に亡くなり成人したのはわずか。江戸時代では、それなりの上流階級でも乳児死亡率も高くはしかなどの感染症も大きな脅威だったのが分かる。

将軍綱吉が亡くなり、綱豊改め家宣が将軍となると白石はその政治顧問のような立場になってくる。悪評高い生類憐みの令をただちに廃し、政治を刷新していこうとする。その面では白石は儒者にとどまらず、現実の政治を変えていこうとしている。そんな姿は儒者仲間からは世俗に交わっていると見られているし、儒者の頂点に立つ林大学守の権威に盾突くものとして反発を生む。それでも白石は自分の思うところを将軍に進言していく。朝鮮通信使の扱いについては両国対等の立場に立って在り様を改めていく。そこに至る白石の博覧強記というか緻密な論理構成はさすが将軍の信頼熱いご意見番。

そんな白石がある意味目の敵にしていたのが勘定奉行の萩原重秀。幕府財政を一人で切り回して将軍の浪費などの後始末をこなしていたのだが、その手法として貨幣改鋳により質を落として儲けを生み出していた。経済学的にはコメ本位制の体制の中で、次第に商業、家内工業が発展して社会を回すのには銭が必要になってきたことがある。金・銀の産出量が徐々に減ってきている中で銭の流通量を増やすには改鋳は避けられないこと。白石の視点は現実の経済とは少し遊離している感がある。幕府財政だけを考えても、年々諸経費高騰する中で豪華な行事を営み将軍の思い付きによる散財を繰り返しているのに収入はコメ生産による年貢だけではいくら新田開発しても追いつかない。本来ならば幕府の支出を抑え込んで収入の範囲内にしなければいけないのだが、誰も一旦緩んだ支出を制限しようとしないし、将軍のためにはさらなる支出を行う。白石も奢侈については意見書を何度も出しているのだが止めることは出来なかった。支出削減できない幕閣にとっては萩原の手腕は絶対に必要なもの。この後吉宗は享保の改革でゆるんだ幕府規律を引き締めようとするのだが、それはデフレ政策。今の視点で見れば萩原重秀の政策の方が理にかなっていたような気がするけど、これはこの小説とは別の話。

白石は間部詮房と二人三脚で家宣の厚い信任を得て幕府政治を実質的に動かしてきたのだが、家宣が亡くなり跡を継いだ幼い家継も夭折すると吉宗の治世となり権力の中枢からは遠ざけられる。身分がある訳でなく家宣の信任を得て儒者の政治顧問としての力でのし上がってきただけに落ちる時は早い。晩年の姿は権力の中枢にいただけに侘しい。

ところで解説は伊集院静が書いているのだが、内容はパリのバーで読んだ藤沢周平の小説「用心棒日月抄」の素晴らしさから始まり「市塵」の解説は解説というほどもない。伊集院らしいと言うのか。でもおかげで本棚から「用心棒日月抄」を引っ張り出して読むことに。藤沢周平は評伝物よりもこちらの方が面白い。私個人的には「蝉しぐれ」が最高傑作と思っています。

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東野圭吾「透明な螺旋」

2024-12-01 15:26:17 | 

東野圭吾の人気シリーズ「ガリレオ」

テレビドラマにもなっているので、本を読んでいるとついついガリレオは福山雅治のイメージに染まっている。

今回はシリーズ10作目の「透明な螺旋」です。

おなじみの草薙係長(最初の時は平刑事だったと思うけど何時昇進したのか?)と内海薫、そして草薙の大学の同級生のガリレオこと物理学者湯川学が事件の謎を解いていくのはいつものパターン。ガリレオもいつの間にか帝都大学の教授になっている。今回はガリレオの父母が登場。今現在はリモート講義を行いつつ認知症で末期の母親の介護を手伝うために横須賀のマンションで両親と同居中。さらには秘められた出生の秘密も明らかになっていくのだがそれは読んでのお楽しみ。

発端は房総沖で見つかった男性の遺体。拳銃で撃たれて死亡している殺人事件。身元を探し出すと同居していた女性島内園香は松永奈江という童話作家に連れられて行方不明になっている。色々調べていくと被害者上辻亮太はとんでもないDV男。プライドばかり異様に高くて思うように仕事が出来ず、部下にはパワハラで愛想をつかされている。中野信子さんが「脳の闇」で書いているように「正義中毒」で自らは正しくて、分かっていない部下を教育しようとしている、それが酷いパワハラであっても自分的にはそれが正義。満たされない「承認欲求」が膨れ上がり自分自身を制御できずに暴走していく。

パートナーに対しても同じ。自分の思うように支配しようとして反抗すれば暴力を使っても従わせる。自分が正しくて教育していくのが正義と思っているのだろう。被害者の上辻亮太は殺されても同情の余地のないパラサイト人格です。読んでいるとおぞましくなるようなⅮVなのですが、実例の報告書などを読むとここで書かている姿はまだまだ小説としてソフィストケートしてあるぐらいでは。

DV被害に遭っていた島内園香が一番疑われるのだが、きちんとしたアリバイがある。それでは園香を連れ出した松本奈江はいったい何者?どうやらガリレオとは接点があるみたいなのだが…

さらには警視庁の草薙係長の行きつけのクラブVOWMのママ根岸秀美まで絡んできて話は混とんとしてどう転がっていくのか。それにしても一介の警察の係長が銀座のクラブのなじみになることが可能なのか?私なぞはせいぜいが栄の外れの安いスナックぐらいでたむろしていたぐらい。クラブなどはほとんど行ったことがないのだが接待費がない世界で自前ならそれが精々では。

閑話休題。島内園香を取りまく人間関係には母親の育った児童養護施設が絡んでいるみたいで、徐々に輪が狭まってくる。そこにはガリレオ湯川学の出生の秘密とリンクしてくるのですが、そこは東野さんのガリレオシリーズ、一筋縄ではいきません。伏線はあちこちになるのですけど最後まで読者の予想は裏切られていきますので一気に読み終えてください。

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中野信子「脳の闇」

2024-11-18 21:19:30 | 

最近テレビのコメンテータとして出演することの多い中野信子さん。

脳科学者としての知見をもとに世情極端に走りがちな議論に冷静かつ穏やかな口調で異なる見解を述べてくれます。因みにテレビに出続けているうちにどんどんあか抜けて美しくなっていくような気がしているのですけど、私の偏見?

そんな姿が人気を呼んで書いてる本もベストセラー続出。図書館の貸し出しを見ても新刊は予約で一杯で、なかなか順番が回ってきません。

でもこの本は少し様子が違います。

「はじめに」に書いてますが、テレビやラジオのメディアでのコメントは1回の発言につき数秒から数十秒という限られた時間枠の中で誤解を招かないように物事を切り取り、味わっていただくと言う作業は楽しいと言っているのだが、当然ながらその制約の中で語ることが出来ない何かが少しづつ澱のようにたまっていく苦しさもあると言う。

この本はそのような溜まった澱を遠慮なく吐き出して書いた面がある。一般大衆に媚びているわけではないのですが、メディアの性格上分かりやすくしなくてはならずタブーも多々ある。どこかで「王様の耳はロバの耳」と叫びたくなるのもムベなるかな。

それでも本にする以上、表面だけ読んでもそれなりに読めるようにしたつもりだが、本意は声にならない声を聴くことのできる人だけが読めるように書いたと言うのですが、こんな風に書かれると読者の知的リテラシーが試されているように思われる。

その意味では、第1章以下読むのに緊張感が必要でした。

「あとがき」でも書いていますが、自分のことを考える以上の何かを考えられるほど、知的能力に余裕のある人はごくまれであり、言いたいことを言っても真意が伝わることはなく、いわば砂に水を撒くようなものかもしれないと。それでも長い沈黙の間に呟かれる内面の声がちりばめられた内容がどれほど読者に聞いてもらえるのかアポロンの愛を試すつもりで投げてみようと思うと言うことは、読者への挑戦状?

そのためか、この本は中野信子さんの著書としては図書館の予約に待ちがない。一般大衆としては取っ付きの悪い本になっているみたいです。普通著者が読者を試すように書きたいことを書いた本というのは商業的には厳しく、企画は通りにくいはずですが、そこは売れっ子の中野さんだからと成り立つ企画なのでしょう。

私にはもとより知的リテラシーと言えるようなものが乏しく、大衆レベルの表面的なことしか理解できそうもないので、この本の内容について書くことは中野さんに分かっていないな~と言われるだけのような気がしますので、触れません。それでも「承認欲求」「正義中毒」「健康という病」などなど現代社会の病理を切り取る濃い内容だと言うことは分かったつもりなので、中野さんの挑戦を受けてやろうようと思う人は是非挑戦を受けて立ち、読んでみてください。

 

 

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本郷和人「歴史学者という病」

2024-11-08 15:43:40 | 
最近BSの歴史番組などに頻繁に出るようになった本郷さん。
新書などで専門の中世日本史についての本を何冊も書いているのですが、最初の本を出版する時にはあの岩波書店からの話が進んでいたのに「本郷には1冊の本を書きとおす力はない」との上層部の判断でポシャってしまい、いまだに岩波書店からは本を出していない。多分岩波新書から著書が出ることは今後もないかも。
この本はそんな本郷さんの歴史学者としての自分史ですが、そういう類の本も出版できるほど売れっ子になったということなんでしょう。
教育熱心な母親から物心つくと英才教育を受け将来は医者になることを嘱望されていたのだが、幼い頃は喘息持ちで『死』を極度に恐れる子どもで、医者になろうと思ったらフナの解剖が出来ずに断念。「無用者」にあこがれ高校の頃にはパニック障害にも苛まれている。東大入学直後には引き籠り状態にもなるのだが、桑山浩然先生の講義によって歴史の面白さを知り、中世史を専攻し、何とか東大の史料編纂所へ入って現在に至る。自虐ネタ満載の自分史なのですが、愚痴る割には有名進学校から東大へ行き、学友である小泉恵子(今では史料編纂所所の所長なので上司でもある)と結婚し、東大教授になっているので、世間一般から見ると間違いなく成功譚で、私は逆立ちしても東大などには入れない。これはステルス自慢話?
でも日本における歴史学の変遷は非常に面白かったですけどね。
戦前の日本の歴史学は皇国史観によって天皇の時代こそ最高とされてきた。研究や分析の対象は支配者・為政者であり庶民は対象外。平泉澄が代表的だが彼は「日本の神話の話をすると、そこにどんな証拠があるのかと問うてくる人間がいる。しかし我々は日本人なのだから、信じるところから始めなくてはいけない」と言ったとか。これはもう学問というよりも信仰ですね。
戦後は皇国史観は完全に否定されマルクス主義史観が席巻。おなじみ上部構造と下部構造の議論であり、国家の経済を実質的に担っている労働者(下部構造)こそが歴史の主役という見方。私の大学時代の経済史とか思想史の教授はほとんどがこの史的唯物史観だったですけどね。
その後イデオロギー中心の歴史学から実証に基づいた分析が主流になり、民衆を中心とした名もなき民の歴史を分析した社会史が注目され網野善彦が一躍スター研究者となる。本郷が直接間接に薫陶を得た時代を代表した先生方の考え方と姿は興味深い。
こうして見てくると歴史学とは非常に時代の空気や世の中の雰囲気に影響されやすい学問と言える。
歴史に対してはロマンや感情による解釈が世に溢れているけど、実証主義の歴史学は感情に起因する一切のロマンを否定するところからスタートする。歴史学のロマンはいらない!一級資料を精読して機能的に考えていくのが科学としての歴史学。人間の内面には立ち入れないし、軽々に立ち入ってはならないが鉄則なのだが、井沢元彦に言わせれば、だから日本の歴史学はだめなんだとなるのだろう。
ただ実証と言っても史料を右から左に移しながら現代語に置き換えていくことだけではなく史料から史実を復元し、その史実を元に俯瞰する史像を導き、そこから歴史の見方である「史観」を生み出していくのが本郷の考える実証史学という。もっともその史料がどれほど実態を現しているのかと言うことを考えないと如何に緻密な分析を行っても意味がないかもしれず難しいところです。
それでも今の歴史の教科書は皇国史観のしっぽが残りエリート主義歴史観が残っている。暗記主体の構成で生徒に考えさせようとしないものだが、そこは大学試験の問題のせいと言われるとなんだかな~です。
もう1冊は池田清彦の「「頭がいい」に騙されるな」
いつもながらの池田節ですが、今日の日本の「頭がいい人」が政治や経済を主導して世論を形成してきた現状はどうだろう。それはみんなが考える「頭がいい人」の定義が間違っているし、「頭がいい人」は国や社会をよくしようとしているのではなく自分の利益だけ考えていることから。
いわゆる偏差値が高く受験競争を勝ち抜いてきた人が頭がいいと言われるけど、それは人間の頭脳の能力の偏った一面への評価。自分の頭で考えようとしないでひたすら前例を踏襲して現状維持の中でうまく立ち回る能力はあっても独創的な発想は出てこない。それどころか同調圧力の強い日本では独創的な人材の頭を押さえつけようとしている。いろいろな人が警告しているけど今の日本の教育制度には危機感を覚えてしまいます。
床屋政談的ですけど面白いし、結構予約待ちでしたのでファンも多いのでしょう。
 
 
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小川洋子「口笛の上手な白雪姫」

2024-11-01 17:06:45 | 
私の好きな作家のひとり小川洋子さんの短編集です。図書館で見つけてまだ読んでいないので早速借りてきました。

一読して今までの小川さんの小説とはちょと趣が違うような。
短編小説なのですが、伏線と言うか含意がいろいろあって、読んでからあれどうだったのかともう一度読み直すことが何回もある様な作品ばかり。決して小難しいものではないのですが、寝転がってテレビを見ながらではなくちゃんと集中して読まなければいけない本です。
表題の口笛の上手な白雪姫の主人公は公衆浴場の隅で入浴中の母親のために赤ちゃんの面倒を見ている小母さん。浴場裏の庭の奥の小屋にいつの間にか住んでいる。その小屋は白雪姫が小人たちと一緒に暮らした家そのもの。小母さんは母親にとってはなくてはならない存在で、誰にも聞こえない小さな口笛を吹いて赤ちゃんをあやしている。どうやって生活しているのかどういう人生を送ってきたのか全く分からない不思議な存在なのだが、誰も気にも留めない存在。小母さんを通して赤ちゃんの無垢でかわいらしさを改めて気づかされる。
亡き王女のための詩集では子どもが出来たと聞くと必ず出産祝いのよだれかけを贈る主人公。注文するのは必ず「りこさんの店」。分厚くて重い刺繡図案集からデザインを選ぶのだが、選ぶのは「ツルボラン」冥界の地面に咲いている花。りこさんとは子どもの時に服を仕立ててもらいウインドウの一番目立つ場所に飾ってもらって以来の50年近い付き合いなのだが、最後まで読んで、あれはとまた戻って読み直してしまいました。
どの作品も含蓄が深く人生の来し方在り様をちょっと考えさせられます。

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益田ミリ「キュンとしちゃだめですか?」

2024-10-26 18:24:01 | 
私は今までかわいいとかキュンとすると言うのは無縁に生きてきた。
女の子がかわいいなどと言って高価な買い物をすることは全く理解できない。
質実剛健。
実質本位。
見かけはともかくとにかく役にたてばいいを旨としてきた。
おかげで若かりし時にプレゼントなぞを贈る時に選んだものは武骨なまでの実用的でいたって不評。
かわいいとかの感性をもう少し磨いておけばもう少しもてたかもしれない。
さて今回取り上げる益田ミリさんの本は、キュンとする時とかかわいいとか思う時のあれこれ。

まずは「キュンとしちゃだめですか?」ですが、40歳を超えた益田さん、キュンとする瞬間がわかかりし時とは微妙に違ってきているみたい。
人生いろいろ、喜びも悲しみも幾年月、いつの間にか若い編集担当者の何気ないしぐさにキュンとしてしまうのです。
でもじいさんになった私ですけど、歳月を経てもやっぱりわからない感覚です。
もう1冊は「かわいい見聞録」
このかわいいと言う感覚も私にはよく分かりませんが、こういう感性なのかというのが何となくわかった感じで、心の中でふふんと思ってしまいます。

自分には縁がなかったのですが、心の世界が少し広がった気分です。
硬派の本を読む読み通す気力が衰えた疲れた時の心の箸休めとしては最適の2冊でした。
一緒に写っているのは五木寛之の「からだのサプリ」ですが、既に齢90歳にもなろうと言う五木さん、いまだにこの本に書いてあるように医者嫌いで滅多に洗髪もせずにあちこちを駆け回っているみたいですけど、常人ではまねできないのでは。
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