怪しい中年だったテニスクラブ

いつも半分酔っ払っていながらテニスをするという不健康なテニスクラブの活動日誌

宮城谷昌光「孔丘」

2024-09-30 20:15:09 | 
孔子については高校の漢文で習ったことぐらいですが、この日本には深く儒教文化が根付いていて、論語の一節とかがちょくちょく巷間に上ります。
でも孔子の一生については、断片的にしか知りません。
と言うか非常におおざっぱですが、詳細不明のまま吾十有余に学に志し、三十にして立つ、四十にして迷わず、五十にして天命を知る、六十にして耳順う、七十にして心の欲するままにして矩を超えずぐらいの知識でしょうか。
今回は宮城谷さんが描く孔子の一生を読んでみました。それにしても出てくる漢字が難しく、変換してもなかなか出てこないので苦労しました。

読んでみてわかったのですが、孔子が実際にどういう人生を送ったのか本当に無知でした。
それと同時に論語の言葉が結構折に触れ浮かんできて、そんなに一般教養はないのですが、孔子の考えに知らないうちに感化されていたと言うか思考の基底に組み込まれていたのを改めて感じた次第。
ところで儒家というと孔子が創立者かと思っていたら、そうではなくて「儒」とは埋葬を含めて葬儀を請け負う者たちとかで、貧しい家を支えるため孔子は儒者として働いた。勿論そこにとどまらず向学心に富む孔子は、葬礼について精究しようとして、書物を集め人に頭を下げている。その意望と知識欲に打たれ孔子のもとに礼を学ぶ弟子が集まってくる。
その頃同時に魯の下級役人に採用されて勤勉な役人となる。
因みに孔子は武人の父を持ち身長9尺6寸(2メートル16センチ)で堂々たる体躯、軽々と矛を振りかざす膂力を持っているとかですが、身長は少し盛ってあるかも、でも長身だったのは事実みたい。
役人をしつつ私塾で礼を教えていた孔子ですが、教師としては「どれほどつまらない男がわれのもとにきても、まじめな態度で問うなら、納得するまで十分に答えてやる」という姿勢を晩年まで崩していない。役人生活では老司書の好意から書写に励み学ぶことをやめない。そんな孔子に教えを乞う門弟が徐々に集うようになる。
やがて魯の内紛により国が乱れると、孔子は門人数名とともに魯の国から一時避難して周へと行く。周では老子に弟子入りし学びつつ、教場で門弟を教えて過ごすのだが、やがて魯の乱が終息とともに帰国する。帰国した孔子は、仲孫家に礼を教えるために出入りするようになり門弟は増え続け教場は活況を呈した。
しかし魯の政治の実権は陽虎が握るようになり、陽虎に邪魔者扱いされて、孔子は斉へ亡命せざるを得なくなる。斉では景公の信頼を得たのだが重臣の晏嬰からは疎まれ封土を得ることが出来ない。
魯では陽虎が内戦に敗れ斉に亡命してくるかもしれないとなり、孔子はこれを天命と思い五十にして斉を去り魯に帰る。
魯に戻った孔子は中都の宰に任じられる。ここで初めて孔子は行政の長として善政を実践することが出来るようになる。やがて中央の司法と警察の長官ともいうべき司寇に任じられる。孔子は魯を文化国家にすべく邑の城壁を取り壊す策を進める。だがそれは激しい抵抗に遭い、罷免され亡命せざるを得なくなる。
亡命先は衛。孔子自身は「我に1国の政治をまかせてくれたら、1年で可能にし、3年で成功させてみせる」と自信過剰気味だったのだが、新規の政治改革を断行するには強力な支援者がいると言うことには思いが至らない。結局衛の危機意識も競争心もない国としての実情と凡庸というより無道の霊公を見限り、衛を出て鄭、宋へさらには陳へと流浪の旅に出る。
やがて孔子一行は紆余曲折を経て命からがら魯に帰国。時に68歳となる。魯では大夫に処遇され門人たちもそれなりの要職に就くが、門弟や息子を亡くしていく。
そして孔子は73歳で没する。
孔子は、政争には敗れ行政トップとして手腕を振るうことは出来ず、魯を理想国家にすることも出来ず、長い亡命生活を送らざるをえず、ある意味挫折と失意の人生だった。権謀術策が飛び交い、力の対決が求められる時に孔子の思想は現実的ではなかったのだろう。漢の時代になり、国家秩序が安定した時に初めて儒教は国家統治の思想として入れられた。政治家としては早すぎた登場だったが、思想家としては必要とされた時代だったのか。
孔子は自分の著書というのはなく、後世の人は弟子が聞き取ったものをまとめた「論語」を通じて孔子の思想を知るのだが、そこはソクラテスと同じ。まあ、キリストも釈迦も自分の著書などはなく、弟子が効いたこと体験したことをまとめたものが残っているだけ。
宮城谷さんはあとがきで孔子の伝記は50歳、60歳では書くことが出来ず、70歳になってやっと書くことが出来た次第と書いている。

参考にしたのは白川静の「孔子伝」と書いてあったので早速借りてきましたが、文庫本と言えども300ページ余り。これはなかなか読むのに手強そうです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

黒嶋敏「戦国の<大敗>古戦場を歩く」

2024-09-28 13:24:26 | 
戦国時代は文字通り闘いの連続。数々の有名な戦いがあるのだが、雌雄を決して一国の消長を決定づけた戦いもあった。
この本はそのうち一方が大敗を喫した古戦場を地図を片手に古の戦いに思いを馳せながら聖地巡礼のごとく巡るもの。

挙げられているのは
・桶狭間
・人取橋
・耳川・高城
・三方ヶ原
・長篠
の5か所です。
こう見てみると桶狭間、三方ヶ原、長篠と愛知県から静岡県東部に3か所もある。関ケ原もあってもいいと思うのですが、どうなんだろう。他にも毛利台頭の契機となった厳島の戦いとか後北条が扇谷上杉を撃破した川越の戦いが出て来てもいいのだが、まあ、これは著者の好みか。
ところで人取橋と耳川・高城というのは何処にあって誰と誰の戦い?
人取橋は福島県の本宮市のあると言ってもよく分からないのですが、郡山から東北本線で本宮駅へ。本宮は阿武隈川と安達太良川が流れ込む地点で奥州街道の宿場町。ここで伊達政宗が蘆名・二階堂などの連合軍と激突したのですが、数に劣る伊達勢が辛うじて危機を逃れて撤退。若き日の伊達政宗にとっては苦い敗戦となった。
耳川・高城は九州日向の国で起きた戦いで、当時九州最大の大名の大友氏が数に劣る島津氏に敗北を喫したもの。これ以降大友氏は衰退に向かい島津氏が勢力を伸ばしていく契機となる。
さて桶狭間に戻ると、今でも桶狭間の戦いについてはよくわかっていないことが多い。今川義元が討ち死にした場所のついても、今でも名古屋市と豊明市の2か所に史跡があって、それぞれが主張している。
そもそも勝者の記録しか残っていないことから戦いの実相についても織田側に神の加護があって悪は滅びる的な記録になりやすい。
今川義元の意図もいろいろ言われているが、上洛を考えていた訳ではなく、信長側に圧迫を受けていた大高城と鳴海城を援護してその支配を確実にするのが目的ではなかったか。連動した服部水軍の動きを見ると知多半島を今川方にして伊勢湾の制海権を握ろうとしたのでは。
今は都市化が進んでなおかつ海岸線も大きく後退しているので、以前鳴海から有松をへて現地を歩いたことがあるが、鉄道が通り、高速道路が頭上を交叉していて、なかなか当時の様子が思い浮かばないのですが、それだけに名鉄有松駅とかJR大高駅から歩いて行っても半日もあれば廻れるでしょうし、途中でランチを食べる場所にも困りません。
三方ヶ原は浜松の北の台地で東西10キロ南北15キロに及んでいて、平坦で水の確保が難しいので開発が難しく、当時は何もない原野だったみたいです。しかし無価値という訳ではなく入会地として大切な土地であり、台地の南北にある追分は東西交通の街道の要衝になっている。武田軍としてはこの三方ヶ原を確保することにって浜松の家康に圧力をかけたのだが、台地から平野への降り口である犀が崖で徳川方が何とか持ちこたえたと言うところなのだろう。浜松城からこの犀が崖までは1キロもなく、ここを奪われれば平野部に進出を許し浜松城に籠城するしかない。浜松城から歩いて行っても大したことはないので城を見た時に激戦地であったここまで歩けばよかったのですが、その時はそんな知識もなく浜松城を見ただけでした。三方ヶ原は広い原野だっただけにどこでどういう戦いがあったのかは明らかでない。見てみるのなら浜松城から犀が崖周辺ということなんでしょうか。
最後は長篠の戦い。鉄砲の三段撃ちはフィクションみたいですが、武田軍の動きと織田徳川軍の動きは、平山優さんと藤本正行さんの間に今でも論争があるみたいです。信長はこの戦いの勝利を大々的に喧伝しているので少し割り引いて考えないといけない面もあって、武田勝頼はこの戦い後もすぐに滅びたのではなく、活発に軍事活動を行っており、むしろ軍事よりも対外戦略を誤ったのが滅亡の原因と考えられます。武田軍がまったく無謀に鉄砲の弾幕に飛び込んで討ち死にしたと言うのは考えられないところです。
今では馬防柵が一部復元されていて、本数は少ないのですがJR飯田線の駅からも歩いて行けるので時間があれば一日付近を逍遥できればと思っていますが、なかなか機会がありません。
著名な古戦場ばかりですが、なぜここが戦場になったのかについて思いを馳せつつ徘徊したいものです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「双日」名古屋個人株主会社説明会2024

2024-09-27 15:24:40 | Weblog
双日の会社説明会があると言うのでダメもとで申し込んでみたら運よく当選しましたので行ってきました。

会場は名古屋観光ホテル。最近は恐れ多くて寄り付いたこともないので本当に久しぶりです。

3階那古の間が会場。
13時30分過ぎに着席しましたが、テーブルの上に資料と一緒にボールペン1本とミネラルウオーター1本。

たしか前回は別室で飲み物のサービスがあったのですがこの日はなし。
せっかくの観光ホテルなので飲み物のサービスがあってもいいのではと思うのですが、双日マーク入りの水でのどを潤します。

時間までに席はほぼ埋まって定刻の14時から始まるのですが、最初は驚いたことに旭堂南陵の講談です。東の神田伯山,西の旭堂南陵と言われる逸材だそうですが、講談界のことはよく分からない。それにしてもいきなり講談とは思い切った演出です。
演目は双日の発足20周年を記念しての双日物語。軽妙な話ぶりで笑いを取りながらですが、演目は正直あまり興味がなく講談は落ちがないので、途中ウトウトしてしまいました。
その後植村社長のあいさつの後、専務CFОの渋谷誠さんから中期経営計画2026の報告。next stageとして「当期利益2000億円、RОE15%、時価総悪2兆円をを目指して、2026の定量目標として6000億円超の投資実行、RОE12%超当期利益1200億円超、基礎的営業CFン3割程度の株主還元を目指します。
各部門別の詳しい事業計画とか具体的な方策は説明なし。トピックス的に成長ストーリーを2つ(ベトナムリテール・水産事業)を紹介しています。
その後これまたちょっと驚きましたが、植村社長インタビュー。日商岩井に入社し理系ながら営業畑へ。その後化学本部長、経営企画本部長などを経て2024年4月に社長に就任しています。まだまだ若々しいのですが、理系だからか読書で数学の本などをよく読んでいるとか。この1冊で挙げられたのが「数学思考のためのエッセンス実装12講」と言われるとちょっと異星人?因みに名古屋市図書館には該当図書はありませんでした。
どうも今回の説明会は、双日発足20周年の祝いと新社長のお披露目の場という感じです。一緒についている資料として双日の歴史の漫画冊子までありました。

質疑応答では手を挙げた人を社長自ら指名して応えると言うこれまたちょっとびっくりの進行。
まあ、あまり具体的な事業の説明はなく、株主ばかりなのでそんなに緊張感ある質問はないのでしょうけど、仕込んではいないみたいなので結構勇気がいる対応なのでは。
因みに為替の前提は140円/ドルとか。
時間通り終わると記念品が出口で配られました。

この3種類の鮭製品の瓶詰は前回も同じようなものだったかな。
帰る時せっかく伏見まで来たので地下の飲み屋街を覗いてみることに。

時間が16時前で中途半端なのでお客はちらほら。この地下街には東山線の下りホームからは直接入れるのですが、鶴舞線のホームからは入れない。初めてだったのでたどり着くのに迷ってしまいました。ちょっとうらぶれた昭和感がいい感じで、機会があれば立ち寄ってもいいかなと思いつつ、この日はまっすぐ帰りました。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

9月23日熱田神宮公園テニスコートの後は二人で熱田駅前の

2024-09-25 11:00:22 | テニス
終わって、1059さんと一緒に夕食を食べに行くことに。
はげ親父は昼飲みしてきたので、この日は直帰するので、二人で行くことに。
最初はおやじダイニングしょうぶへ行ったのですが、祝日なのでか全く灯りがついていなくて休みのよう。
仕方ないので熱田駅前から神宮前の間の商店街で串揚げ屋でも行こうかと言う話になったのですが、途中の「橘」の看板に晩酌セットがある。

丁度17時からなので開店すぐの店に入ることに。
予想通りお客は誰もいないので4人テーブルを二人で占拠。
取り合えず「晩酌セット」を2人前。
飲み物はビール、お酒、焼酎とあるけどどうしますかと言われて、ここはお酒にします。ぬる燗でお願いします。
先ずは若芽とホタテの酢味噌和え。

お酒は1合徳利で出てきます。

チビチビ飲みながら、最近1059さんがかみさんと一緒に行っているランチのお店を聞きます。
高島屋の友の会だと期間限定でマリオットホテルのランチと喫茶の券があるそうですが、ランチと言えども結構なお値段ですけど1059夫妻にはノープロブレムみたいです。
そうこうしていると刺身の盛り合わせが登場。

晩酌セットは1800円なので、割り振りは刺身盛り合わせが1000円で、小鉢が300円、飲み物500円というところでしょうか。
いつしか話題は墓じまいをどうするかということに。自分自身は海にでも撒いてくれればと思うのですが、今あるお墓はお寺さんとの関係とか親戚縁者の調整も必要で、勝手に決めるわけにもいかずどうしたもんじゃろの~。結構面倒くさい。
飲み物は1杯だけでは足りないのでお酒の追加。「作」があったのでこれを冷で1合。

〆に少しお腹が膨れるものをとアナゴ天太巻きを注文。

ここでお茶をもらってお勘定。5880円でしたので1人3千円づつ。
家に帰るとまだ19時前で家族は夕飯前。
私がソファーでまどろんでテレビを見ている間に夕飯となっていました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

9月23日熱田神宮公園テニスコート

2024-09-24 11:22:11 | テニス
暑さ寒さも彼岸までと言いますが、9月になっても猛暑が続きいささかうんざり。
でもようやく昨日秋雨前線が南下して、大陸高気圧の勢力下になりました。
まだまだ最高気温は30度を超えますが、朝晩はそれなりに涼しくなり、久し振りにエアコンなしで寝ました。
この日は15時からなので14時30分に家を出たのですが、途中ではげ親父からLINEがあり、早く着いたので事務所で手続きしておきますとのこと。
どうやら昼飲みしてから来たので早く着いてしまったみたいです。
公園ではツクツク法師が鳴いていて、空の雲も高いような。

秋ですね。
コートに行くと1059さん、ちょっと見小野ヤスシさんも現れ4人に。この日は4人の予定でしたが、少ないのでかばちゃんをお誘いしたら遅れるけど来ますとのこと。
湿度は低いのでさわやかなのですが、気温は30度を超えそこそこ暑い。
コートが乾いているのではげ親父が最初に水を撒きます。

カバチャンが来る前にとりあえず4人で乱打をします。
暫くやって休憩していると30分遅れでカバちゃん登場。
それではじゃんけんして試合にしましょう。
最初の試合は1059さんと組んでちょっと見小野ヤスシさん、カバちゃん組と対戦。どうもこのところちょっと見小野ヤスシさんはサーブが不調でカバちゃんもファーストサーブが入らず、それもあって4:0で勝利。
一試合終わるとお決まりのビールをはげ親父が出してきて、私は家にあったノンアルビールです。

ところが1059さんが突然調子悪くなり、本人曰く低血糖とか。血糖値をあげようと柿の種を食べビールを飲むのですが、これは逆効果かも。まあ、水分補給して休んでいてください。
次の試合はちょっと見小野ヤスシさんと組んではげ親父、カアバちゃん組と対戦。この試合はいいところなしで3ゲーム連取されたのですが、最後のはげ親父のサーブを何とかブレークして1:3でした。どうもここのイレギュラーの多いコートが明暗を分ける時もある様な。
私は1試合休んでから、今度はかばちゃんと組んで1059、はげ親父組と対戦。この試合は一進一退の展開でしたが、最後のゲームをなんとかもぎ取って3:1で勝利。1059さんが本調子でなかったからかな。
16時過ぎると日が傾いてきて大分過ごしやすくなりますがまだまだ明るい。イチョウの木には銀杏がなっているのが分かります。

この時点で16時45分。まだやろうと思えばできるのですが、ここでコート整備して終了にします。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小沢慧一「南海トラフ地震の真実」

2024-09-23 09:00:38 | 
8月8日に日向灘沖でマグニチュード7.1の地震が発生。
それに伴い南海トラフ地震情報が出され発生可能性が相対的に高まると1週間の注意が出された。
間が悪いことに丁度8月のお盆前の書き入れ時で、旅館・ホテルのキャンセルとか海水浴場の臨時閉鎖、夏祭りの中止とか大きな影響が出た。
しかし今後30年以内に70~80%の確率で南海トラフ地震が起こると言うので、それに対する準備としてはいい機会だったともいわれている。でもこの注意情報でどれだけの経済損失が生じたのか。あまり外ればかりだとオオカミ少年になりかねない。
では本当に南海トラフ地震は今後30年で70~80%の確率で起こるのか?
この数字は別の地域では使われていない特別な計算式を使っていて、全国の地震と同じ基準で算出すると20%程度だと言う。
ホンマかいなと思うのだが、どうも南海トラフ地震の確率計算は突っ込みどころ満載みたい。
この本はそのおかしなところを調べて、地震科学よりも防災行政の要請、防災予算の獲得が重視されてきた実態を明らかにしている。

私は以前職場でいつ起こってもおかしくないと言われていた東海地震の前兆現象が確認され「予知」がされた場合の防災計画を想定しろとか言われて途方に暮れた経験があります。いつの間にか予知とか言われなくなって「予測」になったみたいですが、東海地震が起こる前に阪神淡路大地震が起き、東日本大震災が起こり、熊本、能登と地震が起こっている現実を見ると地震学者が言って来たことは何なのかと思ってしまう。
プレートのせめぎあう日本列島は不幸なことに断層は既知、未知含めてあちこちにあり、突然活断層として動くことは全国何処でもあり得る。人間の一生の時間、文明の織りなした歴史の時間と地球規模での地殻変動では時間軸が全く違う。数万年に一度の地殻変動もあり得るのだが、データとして確認できるのは高々数千年。予測可能性の信頼度についてはちょっとね~と思っている。
この本に戻ると、最初は地震学者の一人からの「南海トラフ地震の確率だけえこひいきされていて、水増しされている」という告発から中日新聞記者の著者による取材が始まった。
南海トラフ地震は「時間予測モデル」という計算モデルを使っているのだが、全国の地震で使っている計算式は「単純平均モデル」。
島崎邦彦東大名誉教授の発表した時間予測モデルは、次の地震が起こるまでの時間と地盤の隆起量は比例すると言う仮説で、実例として過去の隆起の記録が残っている高知県の室津港、千葉県の南房総、鹿児島県の喜界島をあげている。中でも室津港でのデータはモデルの理論にぴったりで、ここから南海トラフ地震の発生確率が算出されている。
室津港1か所のデータで静岡から九州沖までに及ぶ南海トラフ地震の発生時期を予測していいのか?モデルデータは宝永地震・安政地震・昭和南海地震の3つだけではデータが圧倒的に不足しているのではないのか。どうも地震学者の間ではこれまで通りの時間予測モデルの採用には疑問の声が上がっていて、せめて他の地震と同じ単純平均モデルと併記すべきと議論していたみたいです。
でも結局は南海トラフ地震の発生確率は今まで通り時間予測モデルを使って行われました。
この辺の経緯はさすが新聞記者の著者が情報公開制度を使い、関係者に取材して、明らかにしています。
発生確率が下がれば、安心情報と捉えられ防災・減災にとってマイナスになる。予算の獲得だって難しくなる。予算がつかず困るのは地震学者たちも同様で、地震科学よりも防災行政の論理が優先されたと言っていい。
ところで取材を進めていくとこの時間予測モデルで使われた数値にもいろいろ問題があることが分かってくる。
島崎氏のモデルでは室津港の沈降速度は年13ミリペースなのだが、国土地理院の測量した室戸岬の沈降速度は年5~7ミリ。モデルでは2034年に隆起した分すべてが沈降するのだが、国土地理院のデータでは21世紀末以降。
さらに室津港のデータの出典は江戸時代の役人の残した古文書に記されていた室津港の水深から計算したもの。しかし江戸時代の測量技術でそんなに精度の高いデータが得られるのか。舟の上から竹竿をさしてみたり、縄を落として調べたのか?
ここから記者の根性と言うか室津港の元データを徹底的に調べていきます。
いろいろな協力者がいて運よく江戸時代の記録にたどり着くのですが、そこには年号は不明で水深の測量方法の記述はない。誤差が大きく10センチ単位の精度で防災政策の根拠に出来るような代物ではないことが分かる。
さらに室津港では江戸時代より絶えずしゅんせつ工事が行われていて、人工的に掘り下げられてもいた。そうなると水深データは掘り下げた後のもの?
こうなってくると時間予測モデルは完全に破綻していると言えるのだが、既に広く喧伝されていて、確か養老孟司先生も2038年には南海トラフ地震が起きるので日本は大変なことになる。まあ、僕は多分生きていないけどなんて言っていたことがある様な。
予知などできないのにあたかもできるようなふりをして地震ムラの存在感を誇示して国民を脅して国土強靭化計画などの予算をつけて行くのがいいのか。
いつどこで起きるか分からない巨大地震なら日本に原発を作るのはあまりにも無謀に思うのですが、その面では日本に確率はともかく地殻変動が起きないところはないと地震学会は発言すべきではないのか。
新聞記者の書いたものなので非常に分かりやすく、記者の特権かいろいろな人に話を聞き、突撃レポートをしているので、読みごたえがありいろいろ考えさせられました。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

9月21日熱田神宮公園テニスコート

2024-09-21 21:24:00 | テニス
彼岸の入りになったのに、いまだ暑い日々。
昨日は最高気温37度。体温より高い!
この日は曇りのためか34度予想だけど、暑いことには変わらない。

朝起きると予想通りの曇り。湿度は高いので、体感の暑さはこの日も厳しい。
夜もエアコンを効かせて扇風機も回しているせいか、どことなく体がだるくてのどが痛くて鼻水も少し。
まあ、たいしたことは無いので早めにお昼を食べて12時30分には家を出ます。
12時50分に受付をしてコートに行くとえみちゃんが待っていました。何でも前の列車が遅れて来たので乗れてしまったとか。
程なくはげ親父、1059さんも到着。
コートは空いていたので時間前から入って準備するのですが、その頃には飲めない飲むも登場
この日は5人の予定だったので、早くも全員集合です。
早速、5人でボレーとストロークに分かれて乱打を始めます。
一回りしたら休憩ですが、空は雲の覆われているので直射日光はないのですが、その分湿度が高くて蒸し暑いので汗だくです。

雲の動きによってはにわか雨があるかも。
一休みしたらじゃんけんして試合にしますが、今回私は5番。最初の試合は見学です。
私の最初の試合ははげ親父と組んで、飲めない飲む、えみちゃんの鯱城学園コンビと対戦。
この試合は一進一退の展開で飲めない飲むが調子いい。このところサーブがちゃんと入ってきて要注意でしたが、何とか2:2の引き分けに持ち込みました。
休憩中ははげ親父が持参したビールを出し、私もエビせんべいと一緒に1本出す。

次の試合は、飲めない飲むと組んで1059、はげ親父組と対戦。この試合はデュースまで縺れるゲームが続くのですが、よくあるパターンで最後は粘れずにゲームを落としてしまい、結局0:4の完封負けでした。
縺れた試合でも運に見放されたみたいで完封負けはなんだかとても疲れます。
今度は1059さんと組んでえみちゃん、はげ親父組と対戦。一進一退の展開だったのですが、肝心な時に私も1059さんも決めきれずにミスを重ねて、最後のゲームを落としてしまい1:3。
なんだかな~。この日は調子悪いとしておきます。
この時点で14時45分。スマホでは雨雲接近中で20分後に雨と出ていたので、少し早いけどこの時点でコート整備して着替えて終了にします。
15時からではお店もやっていないし夕飯とはいかないので、まっすぐ帰ります。
結局雨雲接近中で間もなく雨の情報はガセだったみたいで、家に帰るまで雨は降ってこない。
お疲れさまでした。





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

9月19日鶴舞公園テニスコートの後はいつもの徳鮓へ

2024-09-20 11:39:42 | テニス
終わっていつもながらのガード下の「徳鮓」へ

一番隅の席に座って森の熊さんと私はとりあえず生ビール。

この日はコートで飲んでいないのでお腹に沁みわたります。
う~ん、美味い!
つまみはいつものげそ焼きと焼きアナゴ。


ところでみんなが来る前に飲めない飲むが気を利かして注文しておいたのですが、何を思ったのか2人前づつの注文。
この日は4人でテーブルも1つなので1人前だけでよかったのですが、まあ、いいか。
前回来たときはテレビ放映直後だったからか12時前から満員でしたが、この日は他のお客はちらほら。早くもテレビ放映効果は賞味期限切れなのか?まあ、お客の入りは波があるのでしょう。昼飲みする私たちにとっては申し訳ないですけど空いている方が気が楽なんですけどね。
ここでちょっと見小野ヤスシさんと飲めない飲むのにぎりが来ます。

こちとらは瓶ビールを1本下さい。グラスは2です。

だけど1本はすぐ空いてしまいもう1本。
こういう時のオーダーする役は声が大きい飲めない飲む。意外なところで才能を発揮して、すっかりはまり役になっています。
ここで手が空いたのかくせの強い店主が登場。
サービスで小鯵のにぎりを持ってきてくれました。写真を撮るのを忘れたのか誤って消してしまったのか残念ですが、写真がない。
小鯵のにぎりは本当に細かい作業が必要なのですが、これは大変ですねと言うと決まり文句の「仕事だがね」
プロの仕事の技を味わいながら、もう1本ビールを追加。もちろん注文は飲めない飲むです。
二人なので生ビールの後の瓶ビール3本は結構おなかがいっぱいになるのですが、何とかビールを飲み干し、みんなでお茶を頂きお勘定。思えば最近我が家では冷えたペットボトル入りのお茶ばかりで、こうして熱いお茶をちびちび飲むのは寿司屋へ来た時ぐらい。熱いお茶も美味しいですね。
会計は8200円で一人2千円。200円は基金から出しておきました。
帰りはほろ酔い気分でバスで帰りました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

9月17日鶴舞公園テニスコート

2024-09-19 17:09:54 | テニス
9月も半ばというのに真夏日が続いています。
この日も予想最高気温は35度に迫ろうとしています。

いつまで続くこの暑さかな。
それでも暑さにめげずにテニスに行きます。
この日は鶴舞公園テニスコート。いつもなら雁道バス停へと歩くのですが、ちょっと手段を替えて金山駅からJRで行くことに。
9時に家を出てせかせかと歩いていくと金山発9時20分の電車に乗ることが出来ました。

9時に家を出るとバスでもJRでも到着時間はあまり変わりませんが、金山まで歩くと20分近くかかるのだが、時間は正確。バスはその日の状況によっては遅れたり正確に来たりなのが弱点。
鶴舞で列車から降りると丁度えみちゃんが上りの列車から降りるところ。
一緒にコートに行くとまだ誰もいない。
それでも、ほどなくちょっと見小野ヤスシさんが来て飲めない飲むも登場。この日はもともと4人だったのですが、それでは人数が少ないと昼からは水泳教室があるからと渋っていたえみちゃんを説得して5人の予定。残るは森の熊さんだけですが、多分10時近くならないと来ないだろうからとりあえず4人で乱打をします。
それにしても晴れていて遮るものが何もないコートは暑い。

一通り乱打をやってから一休み。森の熊さんは何時来るのかと謗っているとことわざ通りに登場。これで5人揃いました。
それでは5人でじゃんけんして試合にします。
最初の試合は飲めない飲むと組んでえみちゃん、ちょっと見小野ヤスシさん組と対戦。この日も飲めない飲むのサーブが入って一進一退の展開。どうもお互いに勝ちきれずに2:2の引き分け。
休憩になるとえみちゃんがこんにゃくゼリーの差し入れ。冷えていて有り難い。私は塩分保有でエビせんべいを提供。

蚊取り線香がまだあったので焚きますが、年を越した2年物でPB製品なのでかボロボロ折れてしまいます。

次の試合はちょっと見小野ヤスシさんと組んで飲めない飲む、森の熊さん組と対戦。この日のちょっと見小野ヤスシさんはサーブが絶不調。ダブルフォールトもあったりして、私もつられてではないですがミスも連発して0:4の完封負け。
今度は森の熊さんと組んでえみちゃん、飲めない飲む組と対戦。一進一退の展開でしたが、ここは最後のゲームをなんとかもぎ取って3:1で勝利。
ここでえみちゃんは最初に言っていた通り、11時になったので帰ります。
11時からお昼ご飯にすることも考えましたが、まだもう1試合はできると言うことで、飲めない飲むと組んで、森の熊さん、ちょっと見小野ヤスシさん組と対戦。みんな暑さでかなりばててきましたが、これで最後と奮闘して、結果2:2の引き分け。
11時30分過ぎになったのでコート整備をして終了。4人でお昼を食べに行きましょう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

村田沙耶香「コンビニ人間」

2024-09-16 21:30:14 | 
今評価の高い村田沙耶香の芥川賞受賞作です。

主人公の古倉恵子は子どもの頃から空気を読めないと言うか思ったことを忖度せずに実行してしまい、数々の問題行動を起こしていた。
家庭に問題はなく、カウンセリングを受けたりしても変わらない。それでも周りが困惑していて自分の思ったことを素直に口に出したり行動にしたりはいけないことだとは理解して、心に鎧を着せて世間をやり過ごして生きてきた。
今ならば問題行動の何らかの診断名をつけているんだろう。いずれにしても本人にしてはずっと仮面をかぶったような不本意な人生を生きていかなくてはいけない。
そんな時に出会ったのがコンビニ。そこは光り輝く空間で、すぐにアルバイトの店員として働いてみるとそんな自分の居場所を初めて見つけた。それまで自分の周りのどこにも居場所がなかったのに、コンビニの店員として働くことで世界の正常な部品になることが出来た。
以来そのまま就職はせずにアルバイトのままコンビニ店員として十数年。大学を卒業して普通に就職することもなく同じ店でアルバイトをし続ける。その間に店長は8人替わり、一緒に働きだした店員は一人も残っていない。店の商品さえもあの日のものは1つも残っていない。
それでもコンビニには完璧なマニュアルがあって、店員になることは出来たのだが、マニュアルの外でどうすれば普通の人間になれるのかは分からないまま。コンビニの店員になることによって周りから変わっていると思われていても、辛うじて自分を正常な人間にしている。
そんな古倉さんですが、偶然と言うかひょんなことから短期間同僚の店員として働いた白羽がアパートに転がり込んでくることに。白羽は絵にかいたような腐れ男で、世の中を恨んでいるばかりでまともに働こうともせず、縄文時代までさかのぼっても世界は間違っているままだと言うのが口癖。それでもいつまでも結婚もせずにコンビニのアルバイト店員でいることに対する世間の厳しい目を逃れるためには一緒に住んでいる男が出来たと言うのは普通の生活ができるようになったと言うアリバイつくりにはいいので、そんなヒモというしかない男でも一緒に住むのはいいのかとなる。因みに肉体関係はない。
この白羽、古倉が何時までもアルバイトの店員ではヒモとしての旨味がないと思ったのか、就職しろと盛んに勧めて面接試験までセットしようとする。
いやいやながらもコンビニをやめて就職試験を受けようとするのだが…
全てのことがマニュアル化されていて一つの完結した世界であるコンビニ。店員はそこでは何も悩むことなく世界の一つの部品になることが出来る。
主人公の古倉も同居した白羽もこの世界の不適合人間なんだろうけど、古倉にとってコンビニこそが約束の地だとは。
社会に疎外されがちな現代人の在り様を考えさせられます。
さすが芥川賞受賞作、150ページほどの小説ですが、いろいろ考えさせられる読後感でした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする