怪しい中年だったテニスクラブ

いつも半分酔っ払っていながらテニスをするという不健康なテニスクラブの活動日誌

金山神社のイチョウ

2013-06-30 21:01:59 | Weblog
名古屋市農政緑地局編集発行の「生きている文化財なごやの名木」と言う本がある。
昭和59年3月発行なので、それからもう30年たっているが名木はまだまだ残っているみたい。
瑞穂区とか熱田区の木については散歩の時などに立ち寄って確認している。
何百年も生き抜いてきた名木を見るとオーラを感じすこし元気をもらった気分になる。
この日は金山橋の南の金山神社へ。沢上の交差点を西に行って八熊通から小道をすこし北に入ったところにあるのが金山神社。

金山彦命を主神に祀っている。場所は熱田神宮修理の鍛冶職であった尾崎氏宅跡で尾張鍛冶発祥の地で金属関係者の信仰が篤いとか。金山の地名はここから来たのでしょうか。
この境内の中央に樹齢700年と言う「いちょう」が屹立している。四方に枝を伸ばし樹高もあり(高さ20m余)、境内も広くないので離れて撮ることもできず、全景をとることが難しい。

八熊通から歩いていると上のほうが見えるので、金山神社を探すのには目印になります。都会の真ん中ですが、しっかり頑張っています。
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人質の朗読会

2013-06-28 18:46:36 | 
久し振りの純文学です。
小川洋子の作品は、ドラマチックでもなく、ワクワクするでもなく、涙が止まらないわけでもないのですが、心に沁みいる生きてる喜びと悲しみをじわじわっと感じます。
この本も特になんでもない9篇の話なんですが、心に感じ入るのです。

ある国で反政府ゲリラに拉致された日本人8人。元猟師小屋の山岳アジトに拉致され人質になってから100日以上たって、特殊部隊がアジトに突入し、人質8人も全員死亡した。
2年後、人質たちの声の入っているアジトの盗聴テープが公開された。アジトを盗聴していた特殊部隊の盗聴班の個人(彼が9番目の物語の話し手になる)の判断で遺族に渡されたものでした。そのテープには人質になった8人が自ら書いた話しを朗読する声が残っていた。人質たちが退屈な時間を紛らわすための手段だったのだろう。
テープを聴くと8人の人質たちの話が始まる。その夜の朗読会の順番に当たっている人のごそごそという気配。慎み深い拍手。華やかさとか興奮とは無縁の、遠慮がちで今にも消え入りそうな、しかしこれから語られる物語への敬服の念に満ち溢れた拍手。
それぞれが個人の心に残る思い出と言うか経験して感じたことから紡ぎだされる物語なのですが、極限状態にもかかわらず、淡々と自らの心にとどまっている思いが語られている。それは、その場限りの単なる時間潰しなどではなく、彼らの想像を超えた遠いどこかにいる、言葉さえ通じない誰かのもとに、声を運ぶ、祈りにも似た行為。
はるか以前、友人の嫁さんが、まだ婚約者だった頃一緒に飲んでいて「人は誰でも自分の人生に物語を持っていて、どんな人でも一篇の小説を書くことが出来る」なんてことを言っていたが、まさにそんな物語です。その時は彼女は年上だったので、上手いこと言うなという思いと共に、すれている奴だなと思っていた(すいません、反省しています)のですが、今、自分の人生を振り返って、一篇の小説を書くことが出来るのでしょうか。この本に出てくる話は特になんと言うこともないありそうでありそうもない話ばかりで、自分の経験とは全く違うお話ばかりなのですが、自分の心の奥底に、これとは違った物語があるのではと静かに越し方を振り返えらせる力がこの本にあります。振り返っても朗読できるような物語を何も持っていない人生に愕然とするのですが、私の場合はやっぱり情けない失敗談で笑いをとる路線なんでしょう。
全く話は別なんですが、丁度この本を読む前に、あさのあつこの「うふふ」と言うエッセイを読んだのですが、小川洋子もあさのあつこも岡山県人。今でも岡山在住です。エッセイでは特にそうですが、何処となく岡山弁が出てきて、こちらもなんだか染まってしまいます。「おえりゃあせんのう(これは長門勇)」。岡山の乾いた大気が文学の素養を育てるのでしょうか。
「博士の愛した数式」もよかったですけど、この本も負けずによかったです。でも映画化は難しいでしょうね。
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6月22日若宮大通り公園テニスコートから紫禁城へ

2013-06-25 22:10:09 | テニス
終了したらいつものようにみんな三々五々歩いて紫禁城へ。
途中タケちゃんマンがすごい勢いで抜いていったのですが、どうやら泌尿器系が緊急警報を発していたみたい。信号を渡らずコンビニに行けばとも思ったのですが、まっすぐつながれっと名古屋へ。どうやら間に合って泌尿器系は上手くつながったみたいです。他人事ながらよかった、よかった。
紫禁城は結構混んでいて席は空いていた真ん中をドカンと占拠。女の子も今日はRyuちゃんがいなくて新顔のそう(宋?曾?曹?)チャンが一人で走り回っていました。
まずは生ビールと言ったら、タケちゃんマンは日本酒「八海山」、OBさんと猫背気味のウッチーはノンアルコールビール。OBさんは例によって健康診断でひっかかったみたいで、しばらく禁酒だそうです。猫背気味のウッチーはウーロン茶も頼みます。つまみは餃子4人前に枝豆、干し豆腐サラダ、海鮮おこげをそれぞれ2人前。
客席側だけでなく厨房もどうも手不足みたいで、なかなか料理は出てきません。それでも飲み物は結構そうチャンが頑張って働いているので待つほどもなく出てきます。森の熊さんはすぐに生ビールを飲んでお替り。OBさんもノンアルコールビールを追加。
そのうちに料理もボツボツ出てきて、それならと半分ほど残っていた焼酎を持ってきてもらい水割りに。
料理が出てくるのが遅いので早めに火鍋を注文しようと暑い中ですが火鍋を2人前を2つ。しばらくして地獄のようなスープと白濁スープの鍋が出てきました。

ハフハフしながら鍋をつついていくのですが、味は少し変わったかもしれません。それでも地獄のようなスープの辛さは変わりません。浮かんでいる唐辛子を引き上げても辛さは和らぎません。その分、焼酎が進んで、それでも無理して全部飲むこともないので
2杯分ほど残して、〆のラーメン玉を4人前お願いします。
タケちゃんマンの終バスに間に合うように8時過ぎにはお開きに。
結局のどが痛いだの頭が痛いだの言ってましたが、みんなと同じように飲んで食べてしまいました。これじゃ身体にいい訳ないね♪分かっちゃいるけどやめられない。本当に馬鹿は死ななきゃ直らないでした。
中断前のポイントカードはもう無効ということだそうで、会計は16680円でした。一人2千円で基金から7百円出して、20円は会計をした猫背気味のウッチーに進呈しました。
さすがにもう歩いて帰る気力もなく丁度待っていたバスに走って乗って帰りました。
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6月22日若宮大通り公園テニスコート

2013-06-24 20:36:03 | テニス
どうも今週は雨が降ったときは湿気はあっても気温も低く、体調管理が難しい日が続きました。そのせいかのどが痛くなって、土曜日はなんだか頭も痛い。ここはテニスなんか行かなくて寝ていたほうがいいのか。前日にツッチーから土曜日は金太郎姫ともども都合は悪いと言うメールを貰ったので、安心して休んだほうがいいかも・・・
そうは思いつつ午前中は区役所へ赤ちゃん広場を覗いて来て、ひげおじさんにも挨拶してきました。お昼には帰ってきて子供の分と一緒にラーメンを作って食べて一休み。
この日は薄暮なので4時前に出ればいい。横になってうとうととしていたのですが、のどの痛みだけでなく鼻水も出始めてきて、これはやっぱり休むべき・・・・熱を測ってみると37度で、微熱と言うか平熱というか微妙。まあ3時過ぎまで寝て様子を見るか。
そのまま3時30分頃までうとうとしていたら心なしか体が軽くなった気が。行くだけ行って調子が悪ければ見学していればいいかと結局行くことに。
16時すぎの基幹バスで丸田町へ。
結局体調が悪いのに一番で若宮大通り公園テニスコートへ来てしまいました。なんだかな~。
そのうちにタケちゃんマンが登場し、はげ親父も登場。あんなことがあったので消沈しているのかと思ったのですが意外に元気でした。泣き寝入することなく権利は主張してください。更に1059さん、森の熊さんも登場。猫背気味のウッチーも来て盛況です。4時30分には時間通りヤッターマンも登場、インフルエンザ?で倒れていたサザエさんも登場して、今回は9人の大入袋です
Cコートはすぐ西側が壁打ち専用コートなので、サザエさんは壁打ちコートで特訓。一応私が見ていて5回壁打ちを続けれるようにと課題を与えました。なかなか続かず、時にボールがCコートに飛んでいってしまうのですが、一生懸命やっています。
その間にみんなは勝手にじゃんけんしてゲームを始めていました。私の番も回ってきたので、コーチ?役を猫背気味のウッチーに託してゲームに。
最初は森の熊さんと組んでタケちゃんマン、OBさん組と対戦。ここは森の熊さんの頑張りで3:1で勝利。風邪気味でも関係なくそこそこ身体は動きました。でも薄暮の若宮大通り公園テニスコートは西日が差し込んできて光と影の境目は見難く、東側のコートはまともに西日を見ることになってサーブのトスもままならないので、いかに地の利を生かすかも大切です。

次のゲームはタケちゃんマンと組んで森の熊さん、OBさん組と対戦。ここは何とか地の利を味方にしてジュースの続いたゲームをものにして3:1で勝利。多少微熱があって頭が痛いぐらいが調子はいい?
ちなみにサザエさんはこの日ずっと壁打ちで、それでもなかなか課題は克服できなかったみたいで、最も猫背気味のウッチーは私と違ってサーブの練習をしなさいといってみたりと方針はばらばらだったので聞くほうも大変です。まだインフルエンザの影響があるからと6時には終了して帰ってしまいましたが、これでコート代は取ってはいけませんでした。
私はと言うと風邪気味といいつつみんなが飲んでいるとついついビールを飲んでしまいこの日のビールは500缶が4本、350缶が5本でした。これでもみんな歳をとったので量が減ったと話しているのでした。

試合は続き今度はOBさんと組んで森の熊さん、タケちゃんマン組と対戦。ここは一進一退でジュースの続く長い試合でしたが、何とか2:2の引き分けに。疲れた~
ところがこの疲れを引きずったのか次のもう一度OBさんと組んでのタケちゃんマン、はげ親父組との対戦は0:4で完敗。そろそろエネルギーが切れてきたのでしょう。この頃には太陽もビルの陰に入って西日に悩まされることはなかったのですがボールは見えにくくなってきます。6時30分過ぎになったのでここで本日は終了。薄暮と言えどもたっぷり2時間出来ました。

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6月15日雨の東山公園テニスコートのあとは

2013-06-22 07:42:56 | テニス
雨の中テニスを一応時間一杯やって、いつもの八事日赤の一右衛門へ
さすがに私は雨でびしょびしょだったので着替えがてらシャワーを浴びてさっぱりしてから行きました。
金太郎姫は用事があるとかでそのまま八事日赤まで歩いて帰りました。ツッチーは6時30分には熱田区へ演劇を見に行かないといけないとかで40分だけ付き合ってくれました。
とにかくまずは生ビール(猫背気味のウッチーはウーロン茶)で乾杯、と思ったらタケちゃんマンはコートサイドで結構飲んだせいかいきなり赤ワイン。ちなみにワインはカルフォルニアのカルロロッシでした。
つまみは刺身の3種盛り、長いもときゅうりの梅肉和え、焼き茶豆、エビの香り揚げをそれぞれ2人前。
30分足らずといえども何時になく妙齢の女性が一緒に付き合ってくれたので、何処となく場が華やぎ、寂しい爺さんたちは何時になくうれしそうでした。
生ビールの後はワインのボトルをみんなで飲んで、そこからは焼酎でしょうと「薩摩宝山」をボトルで。この店は水も氷も有料で水はミネラルウオーターで200円、氷はアイスペイル1杯100円ちゃんと勘定についてました。

ここでもなぜか1059さんはカシスマッコリを注文。
ここらでツッチーは早退。お疲れ様でした。
ツッチーが帰ったからではないのですが、森の熊さんがいつものさつま揚げ2を注文。ついでに串カツを6本、たっぷり野菜(実際はもやしが多くてたっぷり野菜とはどうかなというぐらいでしたが)の豚肉のしょうが焼き2も注文。
きっちりワインも焼酎も全部飲んでしまって、スタートが早いだけに7時前にお愛想となって勘定は18660円でした。ツッチーは今回は初回お試しコースと言うことでコート代代わりに250円だけ貰いました。したがってひとり3千円で少し足りなかった410円は基金から出しておきました。
終わって私はバスで帰ろうかと思ったら20分待ち。結局八事日赤の駅でトイレに行きがてら地下鉄で帰りました。
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6月15日東山公園テニスコート

2013-06-19 20:53:05 | テニス
梅雨に入って雨がぜんぜん降らなかったのですが、この日は梅雨らしい天気。朝から曇っていて予報では午後には雨。
それでも1時現在は降っていなくて地下鉄西高蔵駅へ歩いていきました。丁度駅に着く頃にヤッターマンから「バスに乗っているけど雨が降り出したのでは」とのメール。今にも降り出しそうなのですが、一応降っていないのでその旨返信して地下鉄で八事日赤へ。
東山公園テニスコートへ歩いていく途中の歯医者さんで気温が出ていましたが28度。

蒸しますがあまり暑くなく雨さえ降らなければ何とかなる・・・・
東山公園テニスコートに着くと意外なことにタケちゃんマンが一人待っていました。コート代を払うかどうか迷っていたところでした。いったん利用料を払い、雨が降っているのにやりだせば還付できないとのこと。やりだした時に降っていなくて途中に降ってきたら1時間までなら払い戻すとか。まあ折角来たのだし払っておくか。2番コートになりました。
そのうちに森の熊さん、1059さん、ヤッターマンと登場。その頃には細かい雨が降り出してきたのですが、ひとまずコートに行くことに。2番コートはすぐ横にあずまやがあってそこに荷物を置いておくことが出来ます。
丁度2時30分頃になると雨が降ってきて、一時は結構激しくてあきらめかけたのですが、そのうち小降りになって、これぐらいの雨なら何とかなるだろうと乱打を始めることに。
雨にも負けず乱打をしていると久し振りぶりの金太郎姫と新顔のツッチーが雨にもかかわらず登場。すぐに乱打の練習開始。ツッチーは昔家族でテニスをしていたとかでそこそこ勘を取り戻すとラリーが出来ます。
しばらく練習してじゃんけんして試合に。
最初のゲームはタケちゃんマンと組んでヤッターマン、金太郎姫との対戦。ここは時たま意表をつく金太郎姫のショットが入るのですが、順当に4:0で勝ち。
雨は時折激しくなったり小降りになったりとするのですが、絶えず降っています。試合のない時はあずまやに雨宿りしてひたすらビールを飲む。この日は500缶は2本に350缶を6本飲んでいました。

3時ごろになると猫背気味のウッチーが登場したのですが、ラケットも持たずテニスする格好でもない。どうもこの日は生理不順ではなくて天候不順で見学みたいでした。
続いて森の熊さんと組んでヤッターマン、タケちゃんマン組と対戦。これは結構伯仲したゲームになり一進一退。結局2:2の引き分けでした。
最後は1059さんと組んで森の熊さん、タケちゃんマン組と対戦。これまた伯仲した試合になりジュース、ジュースのゲームもあったのですが、結局1:3で負け。まあ敢闘したのでしょう。
結局時間まで雨は間断なく降っている中でのテニスでした。
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和田秀樹「思考の老化」をどう防ぐか

2013-06-15 07:26:47 | 
アンチエイジングが盛んに言われていますが、見た目だけでなくて考え方とかも老化しないようにしないと若つくりした引きこもりになってしまう?
ということで、この本です。

人間は他の動物と比べて前頭葉が際立って大きい。
ところが前頭葉に大きな障害を受けても知能自体には大きな変化が現れない。
それでは前頭葉の機能はいったい何か?
ロボトミー手術からの知見もあって前頭葉に障害を受けると、意欲や想像力が低下して、物事を段取りを考えて行動するという知的活動が出来なくなる。自発性もなくなり感情のコントロールも出来なくなる。
これらのことから前頭葉は「高次な知的機能の中枢」であることが分かってきた。
ところで前頭葉は加齢によって多かれ少なかれ縮んで機能も低下してくる。しかし、大脳の中で大きな容積を占める前頭葉は予備能も大きいため、多少老化しても別の部分で補完できる。老化する前から前頭葉を使い続けておくことが、最大の老化予防になる。思考の習慣や食事まで含めた生活習慣によって、前頭葉を若く保つことができるみたいです。
ちなみに初等、中等教育ではみっちり頭頂葉と側頭葉を鍛えて知識、計算、図形やグラフの把握と言った基礎的な能力や常識を身につけ、しかるのちに前頭葉を鍛えたほうがいいみたいです。高校時代までに基礎的な勉強をなおざりにして前頭葉をトレーニングしても駄目?
では思考の老化を防ぐにはどうすればいいのか。前頭葉を使う習慣を心がける、一言でいえば、変化をいとわない生活を日常的に心がけることです。
不自由なことがあれば解決策を考える好機として捉えることです。文句を言うより考えよ!物事を複雑に捉える努力を嫌い、単純化して捉えているだけでは駄目です。「そうかもしれない思考」をしましょう。日本の思想風土と言うのは、実学重視と言うか仮説を立てるよりも証明したりすることのほうが評価されがちなのですが、ノーベル賞を受賞した湯川秀樹も益川敏英も新しい仮設を打ち立てたことを評価されている。自ら仮説を証明したわけではない。思い付きを大事にしなくては。前頭葉を使って「思考力」「試行力」をつけることが大切です。成功体験にとらわれることなく何事も好奇心を持って取り組むことです。さしあたって手近なところで「広義のギャンブル(投資)」「恋愛」なんてとこでしょうか。
と言っても損してばかりの投資とか相手がいない恋愛では落ち込んで鬱になるのがオチでしょう。このところよく使うギャグに「歳をとって前頭葉がスカスカになってきた代わりに前立腺はパンパンです」というのがありますが、こういう自虐ギャグができるうちはまだ思考は老化していない?いやもう手遅れかも?
人間枯れる前に欲望に従っていろいろやってみることがいいみたいです。ちょっと元気が出る本です。
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6月8日若宮大通り公園テニスコートから紫禁城へ

2013-06-12 20:55:56 | テニス
夕方と言うか7時近いのですが、店は確かにちょうちんに灯が入っていてやっていました。

紫禁城が復活していたのです。店員はどうなったのかと入っていくと何と4年ぶりですが、Ryuちゃんがふっくらしていました。
まずは再開を祝して生ビールで猫背気味のウッチーはウーロン茶で乾杯。Ryuちゃんは4年間たっても日本語はあまり上手くなっていないのですが、日本に帰化して今は高橋とか。話は聞く人によって違い、こんがらがったのですが、4歳、2歳、8ヶ月の3児の母とか。離婚したとも聞いた気がするのですが、それはガセみたいでした。
それはそうと、料理を注文しなくては。枝豆に餃子、豚肉の天ぷら甘酢あんかけ、干し豆腐サラダをそれぞれ2人前。

干し豆腐サラダは久し振りみたいの気がしますが、出てきたら少し前とは違っていましたが、美味しかったです。
ビールを飲んだら焼酎にしようと芋焼酎の「白金の露・黒」を1升瓶で、水割りにします。言わずもがなですが、水は無料の水でミネラルウオーターはいりません。

テレビでは丁度AKBの総選挙を中継していて、おじいさんたちはそれを肴に酒を飲んでくだを巻くのですが、やっぱり食べるものもと料理を追加します。餃子をもう2人前。エビマヨも2人前。トマトスライスも誰か注文したみたいですが、これは幸いなことに忘れられました。この他になんか頼んだ気もしますが記憶にありません。今回は〆はなかったような気がします。
焼酎を半分ぐらい飲んで8時20分になるとタケちゃんマンの終バスがなくなるというので終了。17610円で一人2500円。足りない110円は基金から出しておきました。
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6月8日若宮大通り公園テニスコート

2013-06-10 21:08:44 | テニス
梅雨入りしてもちっとも雨が降らない。この日も晴れ
午前中にOBさんからはいつものように仕事でパスとのメール。サザエさんは風邪を引いたからリタイア。若宮大通り公園テニスコートのCコートは隣が壁打ちコートなので手が空いている人が特訓するには最適だったんですけどね。
薄暮なので4時25分に森の熊さん、はげ親父とほぼ同時にコートに着くとタケちゃんマン、1059さん、猫背気味のウッチーは壁打ちコートにたむろして待っていました。時間前から気合が入っているみたいです。
4時30分には前のグループがコート整備を終えたので、早速乱打を始めます。程なくヤッターマンが来てこの日は7人です。
このコートは東西に長いのですが、東側は西日が丁度眼に入るので眩しくて見難い。日没までの時間なので乱打もそこそこに早速試合に。
じゃんけんして最初の試合はヤッターマンと組んで1059、猫背気味のウッチー組と対戦。1059さんのサーブが不調でダブルフォールもあり、4:0で完勝
ところでちんたらやっていたら蚊に刺されてしまいました。夕方になるとやぶ蚊が飛び回るみたいです。そこでバックから一冬越した蚊取り線香を取り出しました。多少効きが悪くなっても気休めにはなりそうです。

メンバーを入れ替えて猫背気味のウッチーと組んで1059、タケちゃんマン組と対戦したのですが、今度は1059さんのサーブは乱れず0:4で完敗。
暑いので合間に飲むビールがどんどん進みます。この日は500缶350缶あわせて7~8本飲んだのでしょうか。
続いてタケちゃんマンと組んで森の熊さん、ヤッターマン組と対戦。ジュース、ジュースと2試合分ぐらいやった長いゲームでへろへろになったのですが、結果は肝心なところでミスが多くて1:3
この頃になると日もだいぶ傾いて、ビルの陰になり西日が眩しくて見えないということはなくなりました。
次はヤッターマンと組んで森の熊さん、猫背気味のウッチー組と対戦。ここはヤッターマンの頑張りで3:1の勝ち。
結局薄暮と言えども6時40分頃までたっぷり2時間テニスをしていました。
実はこの日バスで来る途中、車窓から見ていたら紫禁城の看板のランプが回っていました。どうやら店は再開したみたいです。終わってみんなで歩いていきました。ところが敬老パスを取得した猫背気味のウッチーは丸田町から鶴舞公園までバスに乗って行きました。運動しに来たんでしょう。
店に入ってからは続きます。
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「三種の神器」戸矢 学

2013-06-08 07:10:04 | 
三種の神器は今どこにあるのか、壇ノ浦の合戦で海の底にあるのか。南北朝の騒乱の中で行方不明になって今あるといわれているのは偽物?
本体は今も変わらず無事に(どうもまともに漢字変換できません)
・八尺勾玉は東京の宮中に鎮座
・八尺の鏡は伊勢の内宮に鎮座
・草薙剣は、名古屋熱田神宮に鎮座
ちなみに宮中には鏡と剣の形代がちゃんと鎮座していて、鏡は賢所に、剣は玉と一緒に天皇皇后両陛下の寝室の隣に設けられた剣璽の間に安置されているとか。
この三種の神器についてそれぞれの由来を考察し、何故三種なのか、そしてその意味は何かを大胆に考察したのがこの本です。確たる知識がないので鋭い論旨とその結論には異論を挟むことが出来ませんが、通説(?単にこんなもんかなと感じていただけのこと?)とは違って、ある意味目からうろこなのですが、ほんまでっかと言いたくなる部分もあります。牽強付会と言うか独断と偏見で切りまくると言うかすこし古田武彦と似たような印象を抱くのですが、どうなんでしょう。邪馬台国は北九州にあり、卑弥呼の墓は宇佐神宮にあると断言されると、それはそうかもしれないけれどいろいろ議論はあるしな~となります。確か半村良の「闇の中の黄金」でも邪馬台国「宇佐」説だったけど、そうなるとSF小説のレベル?

この中で草薙剣については、いつも散歩コースにしている熱田神宮が今年1900年祭なので余計関心があるのですが、いくつか実見記録があるとか。代表的なものは「玉籤集裏書」なのですが、どこまで真実かは定かでありません。この証言どおりなら、両刃の白銅剣となります。この草薙剣はヤマタノオロチの体内から取り出された剣ですが、そのオロチを退治した剣はどうなったのでしょうか。それは鹿島神宮(藤原氏の氏神です)の神宝(国宝です)となっているそうです。藤原氏はスサノオの子孫と言うことでしょう。
それにしてもヤマトタケルが東征に際し伊勢神宮で叔母の倭姫命から授けられのだが、大事な剣を忘れてしまって亡くなるのもなんだし、それをそのまま熱田神宮に祀るというのもなんでしょう。本来ならもう一度伊勢神宮なり朝廷に帰すべきではないでしょうか。そうならなかったのは、熱田神宮に祀られた草薙剣が、授けられた剣ではなく、「尾張氏」の神器だったからではないのか、渡来氏族・尾張氏がもともと保有していた氏祖伝来の「渡来の銅剣」で、熱田社はそれを祀る氏神社だったと言われると頭の中がどんどん混乱してしまいます。
それでは本当の草薙剣はどこにあるの?筆者によるとそれは内反り片刃の鉄製素環頭太刀で石上神社に収められ、後に禁足地から発掘された。
ちなみに宮中にある分身の剣は片刃直刀の鉄刀(推測ですが)で順徳天皇が伊勢神宮から取り寄せている。そうだとしたら何故朝廷は熱田神宮に祀られる剣を草薙剣として認めているのでしょう。それも公式に千年以上の長きに亘って。そこまで処遇しなければいけない尾張氏とはいったいなんだったのでしょう。大和朝廷との関係は?
熱田神宮は三種の神器の一つの現物を祀るにもかかわらず、社格としては伊勢神宮とは同格になりえない理由はそこにあると言われると、ことがことだけに確認しようもなく、なるほどと思うのですが、完全には納得できない気持ちが残ります。
もちろんこの本で主張していることは草薙剣の由来だけでなく日本という国家における三種の神器の持つ意味を深く考察しています。
鏡はまさに天照大神の依り代といわれるとそうかなと思いますし、勾玉は8つのうち4つがニギハヤヒの神宝で4つはオオクニヌシの神宝といわれると答えようがありません。
賛成しかねる部分もありますが、新しい知見も多く、よく分からないけどなんとなく説得力もあって知的興奮を覚えます。
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