怪しい中年だったテニスクラブ

いつも半分酔っ払っていながらテニスをするという不健康なテニスクラブの活動日誌

関裕二「日本古代史謎と真説」・瀬音能之「巨大古墳の古代史」 

2024-05-31 17:19:44 | 
古代史は文献資料が乏しく、正史と言える日本書紀の他には、古事記や風土記ぐらい。
これに、中国の歴史署に出てくる日本と考古学の研究成果を突き合わせていくのだが、当然ながら解釈によって違った歴史が紡がれる。
私が学んだ教科書に書かれているのとは全く違う歴史もあり得ると言うことになる。
関裕二さんは肩書的には歴史作家ですが、その分、学会の桎梏もなく自由に想像力をはばたかせて歴史を解釈しています。

「古代史の謎と真説」は今まで個別に「物部氏の正体」「ヤタガラスの正体」「応神天皇の正体」などで論じて来たことを通史的に縄文時代から平安時代までを論じています。それだけに大きな流れとして歴史をとらえることが出来、関さんの考え方がよく分かります。
考古学の最近の知見もフォローしつつ、日本書紀の虚実を暴いています。
最近はあまり目にしませんがひと頃の古田武彦の九州王朝説のような迫力があります。古田武彦の説もアカデミックな世界ではほとんど無視されていましたが、ある意味自説に整合的なところをつなぎ合わせて通説をぶった切っていました。私の読んだ記憶では当然ながら素人で文献資料を全部読みこんでいないので、引用してある日本、中国の歴史を読み込んで論理的で首尾一貫していると感じたものです。
さて関裕二さんの説の肝は日本書紀は誰が何のために書いたのかと言うこと。通説ではこれは天武天皇が命じていたので、天武天皇に都合のいいように編纂されているとされている。しかし、実際の書きあげられたのは天武天皇亡きあとで、持統天皇のもと藤原不比等が責任者になっていた。日本書紀は天武のためではなく天智天皇や中臣鎌足のため、そして藤原氏のために書かれたものだと。
不比等は藤原氏が権力を握ったことを正当化するために、歴史を改ざんし自らに都合の悪いことは書かれていない。
乙巳の変により蘇我宗家が倒されるまでの蘇我氏は天皇の外戚として実質的に日本のヤマト朝廷の最高権力者であり政権を担っていた。蘇我氏こそ律令制度を導入して日本の基礎を築いてきた。中大兄皇子と藤原鎌足のクーデターを正当化するために不比等は蘇我氏の功績を巧妙に消し去り暴虐非道の悪役として打倒されるべきものとしている。
因みに中臣鎌足は、百済の王子豊璋だとしている。乙巳の変はまさに百済救済への軍事介入の道筋をつけるのだが、白村江の敗北へと突き進んでいく。
蘇我氏を悪役とした歴史の整合性を保つために神武天皇からの記述も創作している。
この観点は理解しやすいのだが、そこから神功皇后は魏志倭人伝に出てくる台与であり、卑弥呼を倒して九州宮崎にいたのだが、当時の大和政権に息子が応神天皇として迎えられたと言われると頭の中が混乱してしまう。消されたのは蘇我氏の功績だけでなく、壬申の乱で大きな功績のあった尾張氏も表舞台には出てこない。
この視点で通説をぶった切っているのですが、文献研究・考古学研究を通じて、どれくらい検証できるかという点は措いといて、歴史の見方としては非常に面白い。関さん、新書本文庫本をたくさん出していますが、それなりに支持する読者がいると言うことでしょう。古代史は文献資料が少ないだけに解釈次第というところがあって一概に否定できない貴重な視点と思います。でも日本書紀という正史の重さは重いと思うのですけどね。
もう1冊は考古学の成果を紹介して巨大古墳から見た古代史。最新の話題である富雄丸山古墳から発見された長さ2・3メートルの蛇行剣と盾形銅鏡をカラー写真で紹介してあります。
富雄丸山古墳の築造は4世紀後半、直系09メートル、高さ14メートルは日本最大の円墳。しかしなぜ前方後円墳ではないのか。王族ではないことから前方後円墳とするに規制がかかったのか。副葬品から考えてもヤマト王権と敵対していたのではなく非常に近しい立場にあって力もあった人物が被葬者と考えられるのだが、出土品は国産品にこだわっていることから渡来系の人物である可能性は低い。ナガスネヒコなんて言う説もあるそうですが、ナガスネヒコはヤマト王権とは敵対していたのでは?これから未盗掘の粘土槨内の木棺の調査が行われる予定で、まだまだ新たな発見がありそうです。
それ以外では古墳の変遷を追う中で、吉野ケ里遺跡、妻木晩田遺跡、平原遺跡,出雲勢力圏とみて邪馬台国への道に迫っている。楯築墳丘墓は倭国王帥升の墓?沼津市の高尾山古墳は狗奴国の王の墓では?平原遺跡は伊都国で一号墓はその女王の墓?調査を進めても決定打が出ないところので想像が広がります。
発掘調査ができないのだが、古代天皇陵についての調査リポートや有力豪族の巨大古墳の発掘リポートもあり、考古学の分野ではまだまだ発掘によって何が出てのか分からない。今現在通説と思われていることも(出雲の荒神谷遺跡での大量の銅剣の発見の様に)新たな発掘調査で覆ってしまうこともあり得る。
それにしても天皇陵と言われるものについて明らかに時代的に齟齬をきたしているものもあり学術的な発掘調査は必要なのではないのか。
このほか地方の巨大古墳についても網羅的にレポートしていて、普段あまり紹介されないものだけに全国各地にこんな巨大な古墳があり、それを築造した地方豪族の力を改めて知りました。
因みに東海地方では断夫山古墳が紹介されているのですが、熱田神宮の言い伝えでは宮津媛の墓とされている。全長150メートルでこの時期では屈指の規模なのだが、出土品から築造は5世紀末から6世紀始めと推定されるので時代が合わない。天皇外戚として力を持っていた尾張氏の長が被葬者と考えられるのだが、中央政界では活躍していないので名前が残っていない。関裕二さんによれば藤原氏にとって尾張氏の活躍は不都合なので意図的に消されていたとなるのだろうか。
いたって本流の最新の考古学の成果をまとめてあり、写真・図も豊富で読みやすい。日本の100名古墳巡りの旅に行きたくさせる本です。


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5月26日千代田橋緑地テニスコートの後は4人。

2024-05-29 14:39:07 | テニス
終わっていつものように茶屋ヶ坂のや台すしへ行くのですが、この日は森の熊さんは不参加。どうもお腹の具合がイマイチなのでやめておくとか。でもコートではビールを飲んでいたと思うのですけど…
とにかくはげ親父、飲めない飲むが先行して席を取っているので1059さんと歩いて行きます。

この日はいつものフレンドリーなお兄さんはいません。
取り合えず席について私はハイボールを。

1059さんは生ビール。当然ながらはげ親父はもう生ビールを飲んでいました。

つまみに海鮮サラダのレギュラーが出ていました。

当然ながらここに来たら豪快いかの天ぷらを頼むのですが、ハーフで。
料理は黒板に書いてあものからイワシの刺身。

さらに唐辛子餃子は一人前いくつなのか聞いて2人前なのか12個のものがあると言うのでそれをお願いします。

小振りなのですが、唐辛子餃子というだけあって食べると唐辛子の辛さが口に残る。
辛さが残るのでハイボールをお替り。はげ親父と1059さんも生ビールをお替りします。
黒板に書いてあるものでタケノコのてんぷらも追加。そう言えば前回もこれを頼んだような。

となりのテーブルには家族連れが座って、幼児がぐずって結構うるさい。まあ、家族連れでも入りやすい居酒屋と言うことでテレビ(ガイアの夜明け?)にも取り上げられたそうで、子どもは騒ぐのが仕事とじいさんは寛容。帰る時にはおかあさんが謝ってくれましたが、気になさらないでください。どうせコチトラは世の中的には何の役に立たない下らないバカ話しかしていませんから。
ここで飲めない飲むは串カツを頼むのですが、自分の分だけの1本頼むので、ちょっと待ったと4本にします。

ソースではなくて味噌にしましたが、どうも周りを見ないのは困ったものです。
そろそろ〆にしようと飲めない飲むは寿司の竹(12貫)を注文。

みんな飲めない野村のおこぼれを頂きますが、さらに黒板に書いてある本マグロ上鉄火細巻きを追加。

18時になって店も混んできたのでお勘定にします。
会計は8805円で一人2千円。800円は基金から出しました。因みに5円は私が出しました。
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5月26日千代田橋緑地テニスコート

2024-05-28 14:57:18 | テニス
晴れてはいるのですが、薄い雲が空を覆っている。
西高蔵発12時37分の地下鉄に乗って茶屋ヶ坂へ。
駅を出てテニスコートまで歩いて行くのですが、雲があるのでそんなに暑くなく風もあって気持ちいい日です。
矢田川まで出ると川風が吹いてくる。西を見ても伊吹山は見えないし、東を見ても猿投山は見えない。


雲はあるけど雨雲ではなく、この日の最高気温は27度。梅雨入り前の空。
13時30分にコートに着くと既に飲めない飲む、ちょっと見小野ヤスシさん、はげ親父、えみちゃんが乱打をやっている。
早速入れてもらい5人でボレーとストロークに分かれての乱打を始めます。
程なく1059さんも登場。
14時になり一回りして休憩かという頃になると森の熊さんとカバチャンが登場。この日は総勢8人と盛況です。
それではじゃんけんして試合にしましょう。
最初は1059さんと組んではげ親父、ちょっと見小野ヤスシさん組と対戦。この試合一進一退の展開でしたが、最後のゲームを粘り切れずにミスをして落として1:3。
次の試合はちょっと見小野ヤスシさんと組んではげ親父、1059組と対戦。ここではデュースまではもちこむのですが毎度ながら肝心な時の最後にミスが出て3ゲーム連取され、最後のゲームをやっとの思いでなんとか取って1:3のまたしても負け。
休憩中はれいによってはげ親父、森の熊さんが持参のビールを頂きます。

負けている時にビールを飲むとますますミスをするだけですが、出てくるとつい飲んでしまうのはなんだかな~
次の試合ははげ親父と組んで1059、ちょっと見小野ヤスシさん組と対戦。この試合は酔いが回ってきたころ合いがよかったのかはげ親父の頑張りのせいなのか3:1で勝利しました。
これで4人で一回りしたので組み替えることに。
この日はなぜか飲めない飲むの調子がよくていいショットを連発していましたが、こういう調子のいい時には怪我をするのではというヤジが飛び交っていました。
えみちゃんは何でも高年大学のクラブ活動で今週3回山へ行った(多度山、養老、遠見山)とかでさすがにお疲れ気味。いつものフットワークが影を潜めていました。
今度は森の熊さんと組んで1059、カバちゃん組と対戦。一進一退の試合展開でしたが、私も森の熊さんも酔いが回ってきたのかミスが多くて自滅気味。結果は1:3でした。
次の試合は16時過ぎとなり、森の熊さんは帰りたがっていましたがもう最後と言うことでカバちゃんと組んで森の熊さん、1059組と対戦。若さもありまだまだスタミナが残っているかばちゃんが頑張って高齢者を翻弄するのですが、最後のゲームを落として結局2:2の引き分けに。
私たちが試合をしている間にはげ親父と飲めない飲むは帰り支度を始め、先に席を取って来ると帰ってしまいました。お疲れ気味のえみちゃんも先に帰りました。
雲が多かったので暑さもそれほどでもなく、日が傾いての眩しさにも免れて、まあ、テニスにはちょうどいい天気でした。
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5月18日熱田神宮公園テニスコートの後はおやじダイニングへ

2024-05-21 08:03:51 | テニス
終わっていつものように森の熊さん、1059さんと3人で夕食に行くのですが、この日は「豊盛」を無理やり時間前から営業させるのではなくて、17時からやっているおやじダイニングへ。
17時ちょっと過ぎでも結構お客がいたのですが、さすがにまだ早いので予約なしでも席に案内されます。
取り合えず私はハイボール。

1059さんと森の熊さんは生ビールで乾杯。

まずは野菜を食べなくてはいかんぞと言うことで、おやじサラダ、レギュラーで。

本日のおすすめメニューを見て森の熊さんは張り切って注文します。
最初はホタルイカの沖漬け。

続いては烏賊ミンチ入りのさつま揚げ。

残念ながら一人前は5個なのですが、揚げたての熱々で美味しかったので私は素早く2個頂いてしまいました。
ここでお酒にしようとなり、壁に貼ってあった「作」を森の熊さんがご所望。以前ヤッターマンの家へお邪魔した時に出していただいてのが美味しかった記憶があって1杯1100円といい値段ですけど一人1杯計3杯注文することに。

お姉さんが一升瓶から注いでくれますが、下の皿までなみなみとはいかずに零れない程度まで注いでくれました。こちらとしては表面張力まで注いでほしかった…
でもやっぱり香りがよくて飲みやすく美味しい。因みに神宮前のパレマルシェでは4合瓶は2500円ですので1合1100円はそんなにべらぼうでもない。
おすすめメニューから自家製クリームチーズも。

もう1品、今度はグランドメニューから出し巻き卵を。これも森の熊さんのリクエストです。

最後の〆に行く前にもう少し飲みたい気分で「作」を1合だけ注文。
森の熊さんと私の二人で分け合いました。
そろそろ出来上がってきたので〆のチャーハンに。

これは2人前です。
お勘定は11200円で、当然ながら「豊盛」と比べると高い。

でもレシートを見てみるとビール、ハイボール、「作」で合わせて5800円。半分は酒代ですので仕方ないか。
ひとり3700円で足りない100円は基金から出しておきました。
そこからフラフラと歩いて帰りましたが、歩道橋から見た西の空は丁度日没で赤く染まっていました。

テニスの出来は悪かった日でしたが、今日も元気だ!お酒が美味い一日でした。
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5月18日熱田神宮公園テニスコート

2024-05-19 14:26:44 | テニス
このところ寒暖差が大きい日が続きます。
この日は予想最高気温30度。

天気が悪いと20度ちょっとの日もあるので、体が暑さに中々適応できないので注意しなければ。
ところがはげ親父からはお孫さんの面倒を見なければいけないとかで欠席のメール。森の熊さん、1059さんは参加予定で、タケちゃんマンは一応参加予定になっていましたがあてにならない。ちょっと見小野ヤスシさん、飲めない飲むは未定なので人数が集まるのか?
一応14時30分に家を出て熱田神宮公園の管理事務所へ10分前に着き手続き。
コートには当然ながら誰もいません。
それでも森の熊さんは程なく到着し、時間になると1059さん、ちょっと見小野ヤスシさん、飲めない飲むと来てくれて5人になりました。まずは一安心。
因みに予想通りと言うかタケちゃんマンは連絡もなく欠席でした。
晴れていて暑いのですが、風は爽やかで初夏の暑さです。

5人揃ったのでボレーとストロークに分かれて乱打を始めます。
30分ほどして一回りして休憩にする頃にかばちゃんも登場。この日は6人でした。
湿度が低くてコートは相変わらず砂が柔らかポコポコ、イレギュラーが多い。
と言うことで試合の前に飲めない飲むが水を散布。でもすぐに乾いてしまいます。
最初の試合は1059さんと組んで飲めない飲む、森の熊さん組と対戦。最初2ゲームを連取されたのですが、ここから盛り返して2:2の引き分けに持ち込みました。いつのなく飲めない飲むの調子がよくて、これは率先して水を撒くなどのやる気の表れが結果に反映した?
一休みしたら早速森の熊さんがビールを取り出します。

私も1本持参してきたのでこの日は350缶3本を二人で分け合います。
ちょっと見小野ヤスシさんは前の日まで北海道へ行って来て知床の船にも乗って来たとか。事故後の今は一番安全なのかも…
土産にロイズのチョコレートを頂きました。

次の試合はもう一度1059さんと組んでちょっと見小野ヤスシさん、カバちゃん組と対戦したのですが、どうも1059さんとの息が合わずに加えてちょっと見小野ヤスシさんのオンラインに決まるサーブが炸裂して、いいところないまま完敗。0:4でした。
ここで組み替えるのですが、休憩がてら飲めない飲むが再度水撒き。

かなり撒いてもすぐに乾いてきます。
次の試合は飲めない飲むと組んでかばちゃん、森の熊さん組と言う強敵と対戦。最初のゲームはラブゲームで負けましたが、その後は連続してデュースまで縺れる一進一退の展開。でもいつもの話ですが肝心なところでの勝負弱さと言うか決定力不足で、デュース迄は行くのだが最後を勝ちきれなくて、終わってみれば0:4の完封負け。なんだかな~
試合が終わった時点で16時55分。コート整備をして終了にします。
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内田樹「コロナ後の世界」・磯田道史「日本史を暴く」

2024-05-17 11:33:06 | 
コロナ禍前と以後では世間の在り様ががらりと変わった面がある。
個人的には葬式の在り様は大きく変わって、列席することがほとんどなくなった。連絡も事後で家族葬で行いましたと言うものばかり。
喪服の出番はなくなっています。
淋しいことだけど宴会で無礼講に騒ぐと言うこともなくなり、ソーシャルディスタンス。その前に宴会自体がなくなりました。
今コロナが5類に移行してやっと日常生活が戻ってきましたが、この間の政府の対応についてはなんだかな~でした。のど元過ぎればで過去のこととして思い出したくないのですが、安倍政権がしたことはきちっと評価しなくてはいけないのでしょう。
やっている感だけ出して、主観的願望が客観的情勢判断にとってかわり政策を進めてきた結果、明確な指示のない「自粛要請」、突然の「全国一律の学校休校」、混乱を極めた医療現場と後手後手の対応、自国では開発することが出来ずにアメリカ頼りのワクチン行政、今でも家に使わずに残っている「アベノマスク」、菅政権に続く無観客での「オリンピックの強行実施」、
右往左往した対応を政府はちゃんと検証したのだろうか。欧米に比べて死者の数が少なく感染抑制に成功しただから問題なしと言っていてはまともな評価はできない。しかしそれでは今度コロナとは違った感染症が襲ってきた時に同じ様なことをやればいいのだろうか。
安倍政権は国民を支持者と反対者に二分し、「反対者には何もやらない」ことによって権力を畏怖し、服従する国民を作り出そうとしてきた。そのことによって国民は「国」と「私」の一体感を喪失させてきた。コロナ禍においてはその一体感のなさが政府の施策への信頼性をなくし、強い規制を受け入れることが出来なかった。
内田さんに言わせれば安倍政権を総括すれば「知性と倫理性を著しく欠いた首相が長期にわたって、国力が著しく衰微した時代」なのだが、安倍暗殺の後、いまだに安倍政治の呪縛は解けずにアベノミクスの修正も出来ず政策の足かせとなっている。
社会の分断が進み、中産階級なるものが解体し、経済では一人当たりGDPはその順位を下げ続け、今や韓国に並ばれようとしている。国際社会では日本に誰もリーダーシップを求めていない状況になっているにもかかわらずなのですが。
「コロナ後の世界」ではコロナ禍を通じて炙りだっされた安部政治の体質を内田さんは厳しく論じている。

もちろん安部政治だけでなく、コロナ後のアメリカ、中国、日米関係などなどについても論じているのだが、個人的には「反知性主義者たちの肖像」でマッカーシーが何故法外な権力を持てたのかを論じたところは目からうろこでした。アメリカ社会を席巻したマッカーシー旋風と言う赤狩りは民主的国家だったはずのアメリカ合衆国でどうしてそう言うことが可能だったのか、同時代を生きていない日本人の私には腑に落ちていなかったのだが、やっと理解出来た気になりました。マッカーシーは「政府には共産主義者が巣くっている」と言う自分が喧伝している物語を一瞬たりとも信じたことがなかったから。自分の言っていることを信じていない人間は自分の言っていることを信じている人間よりも論争的な局面ではしばしば有利な立場に立つ!確信のないことを語る気後れとは無縁に断定的に語る。反知性主義者たちの本当の敵は「時間」であり、終わりなき反復によって時間を止めようとする。
論じてあることはここでは書ききれないのですが、ネットを徘徊する有象無象の議論に際して頭の中の整理をするためにも読んでみてください。
磯田さんの本「日本史を暴く」は読売新聞連載の「古今をちこち」の2017年9月から2022年9月掲載分を収録したものです。当然ながら読みやすいように1項目はほぼ3ページ。あまり深い考察まで至らないのですが、トリビアな話題が満載で、ここから興味を持った点を深掘りするといいのでしょう。読んでいると磯田さんの古文書オタクぶりが如何なく発揮されている姿がよく分かります。時間があると今日の古書店をまわって掘り出し物がないかと探している。古書店側も文章は読めても著名人のものならともかく家臣の連絡文書とか庄屋の日記的なものとかは、その歴史的価値とかはよく分からないので見る人が見ると新たな発見で価値あるものもよくあるみたいです。世界的に見てもこんなに古文書が残っているのは稀有のことみたいです。それにしても古文書をすらすら読めると言うのは高校の古典で苦労した程度の私にとっては特異な才能としか言いようがありません。
丁度コロナ禍の時期の連載なので、第4章は「疫病と災害の歴史に学ぶ」として日本史の中で疫病と災害に翻弄された人々の姿と為政者の対応を紹介しています。歴史を見ると天変地異とか悪疫がはやると古代から平安時代までは怨霊とか祟りとされるのですが、江戸時代になると天然痘の流行に対して隔離政策がとられだします。藩によって対応が違うのですが、厳格な隔離政策を取ったの藩の目的は感染症から藩主の命を守るためと言うのが時代です。
幕末のコレラ禍とかスペイン風邪の時に時の政府がどうしたのか庶民はどうしたのかを紹介しているのですが、今のコロナ禍に対する鋭い批評になっています。
磯田さんの新書は出版されるとベストセラーになるので、この本も予約してからかなり待たされて読むことが出来ました。
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5月13日鶴舞は雨。こんな時は宮部みゆき「悲嘆の門」を一気読み

2024-05-14 13:51:43 | テニス
前日の夜から低気圧と前線通過と言うことで雨模様。
鶴舞公園テニスコートが確保してあり、参加者もそこそこ見込めるので行く気満々でしたが予報では雨。
果たして朝起きると雨が降っている。
予報では今年一番の大雨と言っていましたが、起きて外を見るとそれほどでもない。

でも雨は上がりそうもありません。
時折小降りになることもあったのですが、雨が上がるのは16時過ぎみたい。

結局この日のテニスは中止にせざるを得ません。
こういう時には長編小説でも一気に読んでみるか。

宮部みゆきの「悲嘆の門」はハードカバー上下で800ページほどの長編。サンデー毎日に連載していたそうですが、一気に読み通すにはなかなか手強い小説でした。
主人公は平凡な19歳の大学生の三島孝太郎。ネットに溢れる情報を監視し、法律や法令に抵触する恐れがあるもの、不健全で危険なもの、犯罪に結びつきそうな内容を見つけ出し、調査し、必要な場合は大作を取る「サイバーパトロール」を行っている会社でアルバイトしている。一時は警視庁の委託を受けていたこともあるそうだが、この仕事でどこから収益を得ているのかがちょっと疑問。都心でオフィスを構えそれなりの人を雇うにはかなりの経費が掛かるのだが。まあ、こんなことは小説の進行には関係なくてとにかくそう言うことを生業にしている会社「クマー」でバイトしていると言うこと。
そして主人公の周りで、次々と事件が起きていく。
先ずは隣の家の娘のいじめ事件を頼まれて仕事柄ネット情報を調べてみる。
そして連続殺人を疑わせる北海道釧路の殺人事件と、秋田の事件、三島の事件。いずれも足の指が切り取られていた。そして起こる第4の殺人事件。
バイトの同僚の森本はホームレスの連続失踪を追っていたのだが、突然行方不明になってしまう。
森本の行方を捜していると新宿のバブルの遺産ともいうべきお茶筒のような4階建ての廃ビルの屋上にあるガーゴイル像にたどり着く。ここで孝太郎の相棒?になる元刑事の都築と出会う。
このガーゴイルこそ言の葉の精霊に仕え、始源の大鐘楼三の柱を守護する戦士、ガラ。
ガラとの出会いから孝太郎は異次元の世界にいざなわれていく。
ここからはまさに観念により作り出された宮部ワールドで頭の中が混乱してしまうと言うかついて行けなくなるのだが、この宮部ワールドにどっぷり漬かって一気に読まないとますます訳が分からなくなる。週刊誌連載だったけど途中から読んだ人はついていけなかったのでは?
「輪(サークル)」とはこの世界を包み込んでいるすべての物語が織りなしている世界のこと。世界に対する解釈の集積。物語は人の数だけ存在するので「輪」は実在する世界よりも、宇宙よりも広大になっている。
「領域(リージョン)」は「輪」の中に内包されている私たちがいる現実も領域の一つ。
全ての物語にはそこから来てそこに還っていく源泉がある。その場所が「無名の地」で、一対の巨大な咎の大輪が回っている。その大輪の回転が物語を繰り出し巻き取る。
「始源の大鐘楼」は言葉が生まれる領域。
ガラは訳あって私たちの生きているこの領域で力を集めている。人間の持つもっとも根源的な力「願望」を。強い願望を抑制することに苦しんでいた心の不均衡を抱えている人を見つけて彼らの願望を集めていた。
う~ん、この展開にはなかなか70歳の老人の硬直した頭ではついて行けない。
孝太郎もガラとはこれ以上会わないつもりだったのだが、密かに思いを寄せていたバイト先の会社の社長山科鮎子が連続殺人事件の被害者として殺されたことにより、ガラを呼び出し、復讐をするために取引を持ち掛ける。
ここから孝太郎はある種の超能力を得て悪を狩る必殺仕掛人のようになるのだが、公権力にまかせるのではなく自ら手を下すことによって葛藤を抱えても自ら後戻りできない立場にどんどん踏み込んでいく。
物語の世界に浸っている時はいいのだがなんだか、現実に戻り殺人事件の展開として読むとちょっと腑に落ちない気分が残ります。
妙に腹に落ちたところは、孝太郎が5歳の女の子に母親の死を納得させるのを悩んでいる時、友里子(誰かは読んでみてください)から言われたこと。
物語と言うものは、人間が「死」と対抗するために生み出したもの。
死は完結した事象、死によって人のせいは終わる。生あるものは必ず死ぬ。そして死者はもうどこにも存在せず戻ってくることもない。でも物語はその事実に抗することを語る。その事実に逆らて、残された者を慰め、励まし、生き続けていくための光と希望を語る。
それこそが、物語が存在する最も大きな、尊ぶべき意義と意味。善政が一度しかないことにあらがう、創造と想像の力。
小説家として物語を紡ぎ続ける宮部さんの決意表明ではないでしょうか。
最後はちゃんと落ち着くことになっていますのでどっぷり宮部ワールドに漬かってこの長編を読み切ってください。.
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高野秀幸×清水克行「世界の辺境とハードボイルド室町時代」

2024-05-11 18:13:42 | 
村上春樹の「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」をもじった何とも人を食った題名の本ですけど至って真面目な内容です。

高野秀幸は肩書的には冒険家かつノンフィクションライターになるのか。出世作と言うか私が高野さんを知ったのは「謎の独立国家ソマリランド」。これは講談社ノンフィクション賞を受賞していて評判になりました。私もこのブログでレビューしているのでよろしければ読んでください。
清水克行は歴史家で日本中世史が専門。著書の「喧嘩両成敗の誕生」で評価されましたが残念ながら私は今回初めて知りました。清水さんは法律がどのように機能しているかを見るのに貴族の日記などから事例を拾い集めるアプローチをとっている。成文法の法解釈ではなくどのように機能しているか見て当時の社会事情を探っている。
こんな異色の組み合わせですが、面白い対談になっています。
鎌倉殿の13人の影響もあって鎌倉時代から室町時代の歴史がどうなっているのか分かりやすく書いてある新書本を手に取っているのですが、政治の流れはともかく当時の人々がどういう心情でそういう行動をとり政治が動いているのかがイマイチ腹に落ちない面がありました。中世の人々はどういう心性で生活をしていて争いごとはどういう価値判断で解決されていくのか?
ところが、日本の中世、室町時代の日本人と現代のソマリ人が非常に似ていると言うのです。
表向きは国家としての法律があり、支配者層はその法に基づき秩序を保っているのですが、住民の側では別の論理があって、その論理に基づくルールと秩序には支配者層も踏み込めない重層的な構造になっている。アジア・アフリカ諸国の現実では表向きは西洋式の近代的な法律があって、実際には伝統的と言うか土着的な方や掟が残っていて、矛盾していたりぶつかり合っていたりする。複数の秩序がせめぎあっている。中世の日本も幕府法などの公権力が定めるほうがある一方で、それとは別次元の村落や地域社会や職人集団の中で通用する法慣習があって、訴訟になると互いに都合のいい法理を持ち出して正統性を主張する。お互いに顔の見える社会ではお互いの監視が効いて地域の治安が保てれている。そう考えてみると見えてくることがある。逆に都会の方が顔が見えない社会である意味力のあるものがやりたい放題できるので危険な世界。
因みにソマリアの内戦も応仁の乱も戦争の中心が都だったのが共通点で、都がいくら荒廃しても誰かが完全制圧するまで戦場は移ることなく長引き外部勢力も介入してきて、戦争の構図が複雑になって訳が分からなくなってくる。結果ダラダラと戦いは続き終わりが見えなくなる。
室町時代には徳政一揆が頻発するのだが、単に借金棒引き清算の動きではなくて、農村の食えない人たちが首都の富を奪いに襲ってくる略奪行為。応仁の乱の間には徳政一揆は全く起きないのだが、乱の間は略奪集団が足軽に姿を替えて京都を襲っていたから。食いつめものが首都の富を争奪すると言う面ではソマリアも同じ。足軽の認識を改めなくてはいけないのだが、戦国武将が喰いつめものを足軽として統制下に置くことにって一揆も収まっていくのか。
当時は関所と山賊は紙一重で、山賊みたいな連中がかってに立てた関所があちこちにあった。略奪しないかわりに縄張りを無事通過するための通行料を支払わせる。これはソマリアでもアフガニスタンでも一緒。信長が関所を廃止して楽市楽座にしたと言うのは跋扈する山賊?地方軍閥?を取り締まる治安維持活動だったのか。
ソマリアでもアフガニスタンでも内戦のさなかにイスラム主義過激派が出てくるのだが、軍閥が抜港し内戦が続き生活が成り立たなくなって、もうどうにでもなれとなった時カオスよりも専制が選ばれイスラム主義が台頭してくる。その様子は信長が台頭してくる時と似ているとか。信長は正義とか公平を重視しているのだが、その点もイスラム主義と似ている。まあ、信長の台頭についてはもっといろいろな要素があると思うのですけど。
日本の中世は文書としての記録が結構残っていて、それはソマリアではない。日本の公家は熱心に日記を書いていて、それは毎年同じように宮中行事を続ける必要があり、子孫のために備忘録として残していた。ただ江戸時代の様に膨大な文書がある訳ではなく中世の史料は主だったところは大体本になって刊行されている。だから今の中世史研究者は崩し字が読めなくても論文が書けるとか。中世史の古文書は適量で一人の研究者が一生かけてざっと見ることが出来るぐらいの量が残っている。近世史になると量が膨大になって活字化されていない文書もどこかの蔵とかにかなり眠っている。さすがに古代になると文書として残っているものは少なくて、限られた文献を考古学知見とともにどう解釈するかという世界になるみたいですが、在野の研究者としてはそこが色々解釈できて面白いのでしょう。
二人の話はここには書ききれないのですが、日本の中世、ソマリアにとどまらずにどんどん展開していくので、知的刺激に満ちています。
文庫本で約400ページ、詳しい用語解説もあり、ボーナストラックの文庫化記念対談もついていますので840円はお値打ちですけど、私は図書館で借りました。


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5月6日熱田神宮公園テニスコート

2024-05-09 08:06:54 | テニス
この日は天気は下り坂。
午後には降り出すと言われていたのですが、午前中にもところによって降るかもとか。

熱田神宮公園テニスコートはクレーなので少し降っても出来なくなる恐れもあり。
それでも何とか10時過ぎまで天気はもっているので支度をして出かけることに。まあ傘は忘れずにバッグに入れておきます。

出かける時に空を見上げるとこれはもういつ降りだしてもおかしくない雰囲気です。
10時50分には熱田神宮公園に着いたのですが、ちょうどはげ親父が前を歩いています。
この日は名義ははげ親父なので管理事務所で手続きをしてもらいます。
空は相変わらず雲が低く垂れこめています。

いたって意気は上がらないのですが、時間にはちょっと見小野ヤスシさん、1059さんと来て、この日は4人です。
早速4人で乱打を始めます。
4人だけなので、念入りに乱打をやり、普段やらないサーブの練習もします。
30分ほどで一休みしたら試合をするのですが、どう組み合わせても3通りしかないので適当に組み合わせて、最初ははげ親父と組んで1059,ちょっと見小野ヤスシさん組と対戦。
この試合はブレーク合戦となったのですが、最後のゲームを私が粘ってキープしたので3:1で勝利。
これではいけないと再戦の申し出があったので再度同じ組み合わせで試合をしたのですが、この日は1059さんの調子がイマイチでミスが多く、いつもながらのクレーコートのイレギュラーの不運も重なり今度は4:0で勝利
この日はなぜかはげ親父のサービスゲームはデュースを何回となく重ね、お互いに決定力がないからなのでしょうが、はげ親父にとっては集中的にサーブの練習が出来たかも。
休憩時間中はビールではなくてお水。一応缶ビールを1本持ってきたのですが、コップを忘れこんな天気なので飲む雰囲気でもなく珍しく素面のテニスになりました。

先日森の熊さんが残しておいた柿の種も一緒に頂きます。
次の試合は1059さんと組んではげ親父、ちょっと見小野ヤスシさん組と対戦。この試合では私のサービスが全く入らずダブルフォールトが3回。これではゲームをキープできません。最初にサーブの練習をしたはずなのに…
結果は当然ながら1:3の負け。これではいけないと再度同じ組み合わせで試合をすることに。
今度は一進一退の展開だったのですけど、最後のゲームを粘って何とか2:2の引き分けに持ち込みました。
ここで更に組み合わせを替えて試合をとはならず、12時40分と早いですけどコートブラシをかけて終了することに。
終わってからは、はげ親父を除いた3人で食事に行きます。
この日はいつもの中華料理店ではなくシャーロックホームズへ。

1059さんはカンパリビールを飲みますが、私はこの日は休肝日にしてランチだけ。

ランチはチーズハンバーグかカツのせミートスパかの選択でチーズハンバーグにします。

飲み物(コーヒー)がついて1580円です。
いつもはビールを飲んでご飯は食べないものですから久し振りにお昼にがっちりご飯まで食べた気分でした。
無駄話をしながら14時前には店を出ましたが、丁度雨がパラパラと落ちてきました。
取り合えず無事テニスをできてよかった、よかった。

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5月3日東山公園テニスコートの後は3人で

2024-05-07 08:18:36 | テニス
終わってこの日は森の熊さん、飲めない飲むと3人でいつもの浜木綿へ行きます。
で飲めない飲むにお店まで送ってもらいました。
連休中なので席が空いているかどうか心配でしたが、さすがに17時前なのですぐに案内されました。でもすでに食事をしているお客はいましたけど。これは昼食、夕食?
取り合えず瓶ビール。
ちょっと贅沢してエビスビール(普通の瓶ビールよりは44円高い)にしました。

料理は「究極のうま辛四川セット」を2人前。これは2人前からしか頼めません。でも3人でシェアして食べると2人前で十分の質と量です。
最初に台湾腸詰。これはビールのつまみにはぴったり。

やみつきよだれ鶏も出てきました。

この日ははげ親父がいないので鶏肉が出て来ても大丈夫。
四川料理のセットなので結構全体に辛い。
このセットには餃子が入っていないので餃子を追加します。

小振りですけど8個なので1人前で十分。
次は鶏とカシューナッツの宮保炒めです。

ところで宮保炒めとは何?食べましたがよく分からない。
この頃になると店は早くも混んできて、待機の椅子で待っている人もいる。
ビールがなくなったので今度はお酒にします。

菊正宗の冷です。
森の熊さんお待ちかねの青菜炒めも出てきました。

ニンニクがよく効いていて、最近年齢とともに歯の隙間が広くなって青菜が歯に挟まる。こうなると口の中が何時までもニンニク臭い。
あと2品出てくるはずなのですが、店が忙しくなってきたのかなかなか出てこない。通りがかりの店員に請求したらやっと出てきました。
先ずはエビチリソース。

お酒がなくなったので、もう一度ビールにします。今度はエビスではなくて黒ラベル。

最後の料理は本格麻婆豆腐です。

本格四川なので辛い!
一緒に出てきたご飯と食べないと口の中がヒーハー
これで料理は終わりですが、浜木綿のアプリ会員になっているので、今月のサービスの胡麻団子が人数分もらえます。

これはお酒を飲んでいる二人は遠慮して飲めない飲むが袋をもらってお持ち帰り。持ち帰ると言うと快く袋をいただけます。
お勘定は7480円。

一人2500円で、飲めない飲むに20円のおつりを還付しました。
18時に帰る時にはお店からはみ出さんばかりの席待ちの人がいてちょっとびっくり。繁盛店です。
地下鉄で帰り、駅を出ると夕日がきれいでした。
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