これは、心がフッと軽くなる「瞬間の心理学」の続編です。
心の安定をいかに保つかというとギリシアの快楽主義者エピキュロスのようですが、この本は自分の心をコントロールする方法について非常に実践的に述べています。
ちなみにエピキュロスは快楽主義という名前で誤解を受けがちですが、エピキュロスに取っての快楽とは心と体の平静を保っている状態なので酒池肉林、刹那的に生きるという快楽とは全く違います。結構面白いので一度岩波文庫を読んでみてください。
で名越康文のこの本ですが、今回のテーマは「心を対象としてみる」ということ。
心はイメージすると「四頭立ての馬車」であり、4頭の馬にそれぞれの意識があり勝手に動こうとしている。それを操る御者が自分であり、「馬=心は自分ではない」
宗教というのはそれを大前提に、馬=心を静めてコントロールするための実践的な思想というと宗教に怒られそうな気もしますが、御者こそ自分という感覚を取り戻す手段としてみるとわかるような気もし、現代日本における宗教論のような趣も出ています。
前著と同様に対話形式で話が進んでいくので、分かりやすい構成になっています。
今の世の中、本当に生き難くなっているのですが、激動する時代の中で失敗が許されず正解がない中でも絶えず白黒をつけるよう求められている。そんな中でどうすればいいか…
まず、暗い自分を本来の自分と思いこまない。明るい自分が正常な自分と認識することが心を落ち着けるための最初のきっかけ。人間の心はいつでも靄がかかっているような状態なので、1日1回でも心をさわやかな状態にすることです。ここで靄がかかっている状態が本来の自分と思うのではなく、たとえ1%の時間だけが心が落ち着いているさわやかな状態であっても、これが本来の自分と思うことです。私たちの心は、怒ったり、妬んだり、寂しがったり、苦しんだりという「濁っている状態」が90%ぐらい占めている。これは本来の心ではないと。
このさわやかな状態に導く方法が「内発感覚の経験」です。
そのための第1歩は身体からのシグナルを感じる「内臓感覚」。心の問題は必ず身体感覚に影響を及ぼすので、普通感覚と言っているものは実は心理的なものとの複合体です。
緊張すると胃が痛くなるとかむかつくとかはよくあるのですが、これは自分の心の中に曇り空が出てくる兆し。主に腹部から胸部に出やすいので内臓感覚と呼んでいるのですが、この感覚を育てると、自分の感情に対するセンサーが敏感になるので怒りの起動を早い段階で捉えることができるのです。この感覚を磨いていけば、ちょっとプレッシャーがかかってまずいという感覚と緊張しているけど落ち着いているから大丈夫という感覚の違いが分かってくる。いち早く心のブレを察知して調整することによってネガティブな感情を止めやすくなるのです。
そうすれば「心が起動しやすくなる」、即ち何かやろうとするときに、心がニュートラルなので「はい、やりましょう」と腰が軽くなるのです。
そしてもう一つ「さわやかでいられる」。こうなれば、仕事などにおいても、自分の機能性がぐんと上がります。
う~ん、この内臓感覚を磨くということぐらいならできそう…
そしてこれができてくれば次は「内発感覚」となるのですが、ここから何やら宗教ぽい臭いが強くなります。
内発感覚とは、原因があって結果があるというものではなくて、例えば神社に行って、その清浄な空気の中で無心に祈ることによって自分の内側がフワーッと軽くなり、さわやかな気持ちが満ちてくるような感覚です。これって今はやりのパワースポットと同じような議論ですね。内側から湧き上がるさわやかな気持ち、軽やかな気持ちを経験してインプットして増やしていくことだそうです。
この話は私自身の経験でも散歩コースの一つとして偶に熱田神宮に行き、拝殿前で特に何も考えずに祈ることがあるので腹に落ちます。手を合わせる時って家内安全とか健康とか賽銭分元取るつもりで願うということもなく、何も考えないんですけど、これが結構気分いいんですよ。
気持ちは遠い外側からもたらされる気と、自分の内側から湧き上がる気が交流していると思い「祈る」。この祈りが効果的になるには舞台装置が整っていた方がいいので、神社仏閣が対象としやすいのです。特定の宗教にこだわりたくないのならパワースポットでいいのでしょう。祈ることによって、自分の心がもう一度再起動して、発火して、自分自身が動いていける。祈りは心に対して副作用がない、持続性のある最高のカンフル剤になるのです。
ところで参拝したらついでにお守りを買う人も多いのですが、人はお守りの中に自分の一部を込めているとか。そうやって自分を分散させた分、自分自身の心の容量を減らすことができる。生きていくうえで、どこか身体を軽くなったような感覚を持つことができるとか。お守りの効用ってそうなのか。
どうも日本人の日常的な信仰とか習慣を心理学的に非常にプラグマティックに意味づけているみたいすが、それだけにこれなら実践できそうな「心の筋トレ」になっています。
熱田神宮に行くときには拝殿の前で何も考えずに20秒祈ってみましょう。
ちなみに写真は熱田神宮の奥の院と言ってよい一の御前神社ですが、静かで気が満ちた雰囲気で、拝殿前の喧騒がうそのようです。本殿の左側から「こころの小径」を北に進んで行ってください。「こころの小径」は本殿の裏をぐるっと回ることができます。本殿の裏側には古墳の入り口のようなところがありますが、どうもこれは戦時中に御神体を避難させる防空壕みたいです。