最近は地下鉄に乗って、座席に座っている人を見渡すとほとんどの人がスマホを見ている。
道を歩いていると前を見ずにスマホを見ながら歩いてくる人も多い。そういう時はわざと足音を立てて歩くとか危ないときは声を出すのだが、ちょっと腹立たしい。
私のマンションの前は幼稚園送迎バスの乗降場所になっているのだが、バスを待っている間ずっとスマホを見ている親もいる。子どもたちは勝手に遊んでいるのだが、バスを待つ少しの間くらい我が子を見ていることは面倒なのか?スマホの情報は今見なければだめなのか?
どうもいつの間にかみんなスマホなしでは生きていけないスマホ命の世界になってしまったようだ。
そんなスマホ依存症のような現状を憂いたのがこの本。
和田秀樹さんに言わせるとこれは「自分病」とか。
ちょっと何を言っているのかよく分からない病名ですが、和田秀樹さんの造語みたいです。
他人や周囲から意識を遮断して自分の世界に閉じこもってしまい、LINEなどのSNSでつながる世界が自分であって、今どこかの街を歩いている自分、気持ちのいい風に吹かれている自分、電車に乗っているリアルな自分は自分ではない、という現実を「自分病」と名付けています。どうももう少しわかりやすい病名がつけれると思うのですが、スマホ依存症と理解して読んでいけば意味は分かります。
スマホはいつもパソコンを持ち歩いているみたいで、調べ物などをする時にはとても便利なツールです。
ところがスマホによって繋がるLINEとかのSNSがコミュニケーションの手段になると、1対1の親密な人間関係ではなく、「自分」対「みんな」の人間関係となり短い言葉のやり取りだけの広く浅い人間関係になってしまう。目の前の人より見えないみんなが大事になってしまう。
日本人はただでさえ同調圧力が強い(たぶんこれは徳川300年の太平の世が続いた成果?)のだが、SNSは同調するコミュニケーションで、常に周囲が気になって自分がない状態に陥てしまう。「いいね」のエールを交換するだけの関係となって、スマホでつながる「みんな」は誰一人、個としての自分を見ていない。
リアルな人間関係は面倒ですが、相手に感情や気分も伝わり、言いたいこと、考えていることも伝わる。努力しても気持ちが通じなかったり、どうしても相性が合わないことも多々ある。でも人間関係とはもともとそう言うこともので、面倒なこと、失敗を繰り返して悩みつつ人は成長できるし自信を生み出してくれる。
ちなみに日本のテレビ局はキー局は6局だけで同じような論調で犯罪、政治、外交を取り扱っている。チャンネルを替えても同じようなニュースを同じような切り口で取り上げている。社会に要求する規範、ルールでかくあるべきと脅迫し押し付けている。少し外れたことを言えばたちまち苦情が殺到し炎上する。本来なら異論を提出し、議論をするのがネット社会なのだが日本のネット社会はテレビからの脅迫を下僕のように拡散している。
いつの間にか便利なツールだったはずのスマホは依存症をもたらし、息苦しい社会を作っていくようになった。
家族関係を壊し、人間関係を希薄にしている。子どもの時からスマホを与えていると学力も低下する。
必要な時以外はスマホは使わず、自分の感覚を取り戻し、新しい世界を自分で見つけ誰かに教えることが幸福感をもたらすはず。
実は私は一応スマホを持っているがその能力の10%ほどしか使いこなせていなくて、業務連絡でのLINEの使用がほとんど。最近ではスマホがないと飛行機や新幹線の手配も出来ずに割引クーポンも出てこない。レストランの予約はスマホ画面を見せるのだが何時も一苦労。腹立たしいことに先日行った居酒屋はスマホから注文してくださいと言われた。スマホ操作に手こずり結局店員を呼んで注文したのですが、若い店員とのやり取りもじじいの密かな楽しみなんですけど。
一緒にいても面と向かって話すことなくスマホを通じてやり取りするなどと言うのは言語道断と言うしかない。
和田秀樹さんのスマホ依存症に対する警告には激しく同意します。
ところでこの本、和田秀樹さんの数多のベストセラーとはだいぶ趣が違っています。そのせいか図書館でも予約なしで書棚に並んでいました。でもスマホについて行けないじいさんとしては多くの人に読んでほしいお勧め本でした。
道を歩いていると前を見ずにスマホを見ながら歩いてくる人も多い。そういう時はわざと足音を立てて歩くとか危ないときは声を出すのだが、ちょっと腹立たしい。
私のマンションの前は幼稚園送迎バスの乗降場所になっているのだが、バスを待っている間ずっとスマホを見ている親もいる。子どもたちは勝手に遊んでいるのだが、バスを待つ少しの間くらい我が子を見ていることは面倒なのか?スマホの情報は今見なければだめなのか?
どうもいつの間にかみんなスマホなしでは生きていけないスマホ命の世界になってしまったようだ。
そんなスマホ依存症のような現状を憂いたのがこの本。
和田秀樹さんに言わせるとこれは「自分病」とか。
ちょっと何を言っているのかよく分からない病名ですが、和田秀樹さんの造語みたいです。
他人や周囲から意識を遮断して自分の世界に閉じこもってしまい、LINEなどのSNSでつながる世界が自分であって、今どこかの街を歩いている自分、気持ちのいい風に吹かれている自分、電車に乗っているリアルな自分は自分ではない、という現実を「自分病」と名付けています。どうももう少しわかりやすい病名がつけれると思うのですが、スマホ依存症と理解して読んでいけば意味は分かります。
スマホはいつもパソコンを持ち歩いているみたいで、調べ物などをする時にはとても便利なツールです。
ところがスマホによって繋がるLINEとかのSNSがコミュニケーションの手段になると、1対1の親密な人間関係ではなく、「自分」対「みんな」の人間関係となり短い言葉のやり取りだけの広く浅い人間関係になってしまう。目の前の人より見えないみんなが大事になってしまう。
日本人はただでさえ同調圧力が強い(たぶんこれは徳川300年の太平の世が続いた成果?)のだが、SNSは同調するコミュニケーションで、常に周囲が気になって自分がない状態に陥てしまう。「いいね」のエールを交換するだけの関係となって、スマホでつながる「みんな」は誰一人、個としての自分を見ていない。
リアルな人間関係は面倒ですが、相手に感情や気分も伝わり、言いたいこと、考えていることも伝わる。努力しても気持ちが通じなかったり、どうしても相性が合わないことも多々ある。でも人間関係とはもともとそう言うこともので、面倒なこと、失敗を繰り返して悩みつつ人は成長できるし自信を生み出してくれる。
ちなみに日本のテレビ局はキー局は6局だけで同じような論調で犯罪、政治、外交を取り扱っている。チャンネルを替えても同じようなニュースを同じような切り口で取り上げている。社会に要求する規範、ルールでかくあるべきと脅迫し押し付けている。少し外れたことを言えばたちまち苦情が殺到し炎上する。本来なら異論を提出し、議論をするのがネット社会なのだが日本のネット社会はテレビからの脅迫を下僕のように拡散している。
いつの間にか便利なツールだったはずのスマホは依存症をもたらし、息苦しい社会を作っていくようになった。
家族関係を壊し、人間関係を希薄にしている。子どもの時からスマホを与えていると学力も低下する。
必要な時以外はスマホは使わず、自分の感覚を取り戻し、新しい世界を自分で見つけ誰かに教えることが幸福感をもたらすはず。
実は私は一応スマホを持っているがその能力の10%ほどしか使いこなせていなくて、業務連絡でのLINEの使用がほとんど。最近ではスマホがないと飛行機や新幹線の手配も出来ずに割引クーポンも出てこない。レストランの予約はスマホ画面を見せるのだが何時も一苦労。腹立たしいことに先日行った居酒屋はスマホから注文してくださいと言われた。スマホ操作に手こずり結局店員を呼んで注文したのですが、若い店員とのやり取りもじじいの密かな楽しみなんですけど。
一緒にいても面と向かって話すことなくスマホを通じてやり取りするなどと言うのは言語道断と言うしかない。
和田秀樹さんのスマホ依存症に対する警告には激しく同意します。
ところでこの本、和田秀樹さんの数多のベストセラーとはだいぶ趣が違っています。そのせいか図書館でも予約なしで書棚に並んでいました。でもスマホについて行けないじいさんとしては多くの人に読んでほしいお勧め本でした。