日々引き籠り状態で、やる事なし。さすがにずっとテレビを見ているのも飽きるし、朝昼と情報番組はどのチャンネルも同じようなことばかりで、緊急事態なのだからこういう番組を整理してチャンネルを減らしたほうが通勤者が減って社会のためになりそうでは。結果、BSの番組とか映画をやたらにみるようになりました。
仕方ないので本でも読むしかないのですが、図書館も休館中で本を借りることもできない。こういう時には処分しろといつも言われている本棚に並んだ本を読むべきでしょう。
先日来、太宰の本を再読していたのですが、新潮文庫の「新ハムレット」を読もうとしたら大学時代に買った本だけに紙は黄ばみかつ活字が小さい。当時で言えば講談社文庫は後発だからか紙質がよくて活字も少し大きい。
確か北杜夫の「どくとるマンボウ青春記」にあったと思うのですが、学生の間で何冊本を読んだかを競うようになり、そのうち1冊でも分厚い本と薄い本があるのでページを数えだし、さらに活字の大きさもあるので字数を数えだすとエスカレート。字数を数えるのに必死で本を読む時間がなくなっていく…当時は活字が小さくて同じ厚さならたくさん情報が詰まっているほうが得したと思ったものです。
時は過ぎ去り40年以上たつと最早活字が小さいだけで読むことが困難になって敬遠するようになってしまいました。
そこで方針を変更して井上ひさしの「モッキンポット師の後始末」を手に取ることに。
これも講談社文庫で240円でした。
いや~面白かったですね。久しぶりに本を読みながら声に出して笑ったような。
作者の若かりし頃であろう孤児院から上京して大学に進学した小松に、同じく聖パウロ学生寮に住む貧乏学生の日野と土田、この3人が繰り広げるハチャメチャな騒動。終戦後の貧乏学生は食べることに必死で、なおかつゲスで抜けていてドジ。突飛なアイデアで一儲けしようとするのだが結果はいつも大失敗。その学生たちの尻拭いを苦い顔をしながらさせられる底抜けにお人よしのモッキンポット神父。
戦後の貧乏学生の生きた雰囲気と自分にも経験のある甘えと欲望と妄想。時代を超えて青春が息づいています。1971年の作品ですが、50年半世紀たっても決して色あせていません。再読しても声を出して笑えます。太宰治の小説もそうですが、本当の人間を描いた小説は決して色あせないし心が動かされます。
ところでこの文庫本には巻末に井上ひさし自書の年譜が付いています。井上ひさし自身も仙台の孤児院から上智大学に進み聖パウロ学生寮に住みアルバイトに精を出していたようです。この時の経験を大きく盛って妄想に膨らまして小説に仕立てたのですが、どこまでが実体験かどこまでが虚構か想像してみるのも楽しみの一つです。井上ひさし自身、エッセイとか他の小説で何回も触れているところなのですが、ひょっとすると今の私たちが思うよりも実体験があるかも。
ところで井上ひさしは大学を2年間休学して国立釜石療養所の事務雇になっている。多分仕事と言ってもそんなに忙しくなく都会から離れた療養所で鬱屈した毎日を送っていたのでは。そんな中で妄想をたくましくして考えていたことが「新釈遠野物語」としてまとめられている。本家の遠野物語と違っていたって読みやすいので興味がある方はどうぞ。
本棚には井上ひさしの本はまだまだたくさんあるので、この状態が続くのならばおいおい読んでいこうと思っています。
仕方ないので本でも読むしかないのですが、図書館も休館中で本を借りることもできない。こういう時には処分しろといつも言われている本棚に並んだ本を読むべきでしょう。
先日来、太宰の本を再読していたのですが、新潮文庫の「新ハムレット」を読もうとしたら大学時代に買った本だけに紙は黄ばみかつ活字が小さい。当時で言えば講談社文庫は後発だからか紙質がよくて活字も少し大きい。
確か北杜夫の「どくとるマンボウ青春記」にあったと思うのですが、学生の間で何冊本を読んだかを競うようになり、そのうち1冊でも分厚い本と薄い本があるのでページを数えだし、さらに活字の大きさもあるので字数を数えだすとエスカレート。字数を数えるのに必死で本を読む時間がなくなっていく…当時は活字が小さくて同じ厚さならたくさん情報が詰まっているほうが得したと思ったものです。
時は過ぎ去り40年以上たつと最早活字が小さいだけで読むことが困難になって敬遠するようになってしまいました。
そこで方針を変更して井上ひさしの「モッキンポット師の後始末」を手に取ることに。
これも講談社文庫で240円でした。
いや~面白かったですね。久しぶりに本を読みながら声に出して笑ったような。
作者の若かりし頃であろう孤児院から上京して大学に進学した小松に、同じく聖パウロ学生寮に住む貧乏学生の日野と土田、この3人が繰り広げるハチャメチャな騒動。終戦後の貧乏学生は食べることに必死で、なおかつゲスで抜けていてドジ。突飛なアイデアで一儲けしようとするのだが結果はいつも大失敗。その学生たちの尻拭いを苦い顔をしながらさせられる底抜けにお人よしのモッキンポット神父。
戦後の貧乏学生の生きた雰囲気と自分にも経験のある甘えと欲望と妄想。時代を超えて青春が息づいています。1971年の作品ですが、50年半世紀たっても決して色あせていません。再読しても声を出して笑えます。太宰治の小説もそうですが、本当の人間を描いた小説は決して色あせないし心が動かされます。
ところでこの文庫本には巻末に井上ひさし自書の年譜が付いています。井上ひさし自身も仙台の孤児院から上智大学に進み聖パウロ学生寮に住みアルバイトに精を出していたようです。この時の経験を大きく盛って妄想に膨らまして小説に仕立てたのですが、どこまでが実体験かどこまでが虚構か想像してみるのも楽しみの一つです。井上ひさし自身、エッセイとか他の小説で何回も触れているところなのですが、ひょっとすると今の私たちが思うよりも実体験があるかも。
ところで井上ひさしは大学を2年間休学して国立釜石療養所の事務雇になっている。多分仕事と言ってもそんなに忙しくなく都会から離れた療養所で鬱屈した毎日を送っていたのでは。そんな中で妄想をたくましくして考えていたことが「新釈遠野物語」としてまとめられている。本家の遠野物語と違っていたって読みやすいので興味がある方はどうぞ。
本棚には井上ひさしの本はまだまだたくさんあるので、この状態が続くのならばおいおい読んでいこうと思っています。