怪しい中年だったテニスクラブ

いつも半分酔っ払っていながらテニスをするという不健康なテニスクラブの活動日誌

2月24日熱田神宮公園テニスコートの後は毎度の町中華

2024-02-27 15:11:38 | テニス
終わってかばちゃんを除いた4人で毎度ながらの町中華「豊盛」へ行きます。

他のお客はいなくて例によって真ん中の6人掛けテーブルを占拠。
先ずは瓶ビールを2本で乾杯。

もうコートでビールを飲んできたので結構酔っていたのですけど、まずはお約束のビール。
最初に頼んだのは野菜を取らなければあかんぞと言うので青菜炒め。

定番の餃子も2人前。

ここは1人前6個で280円という格安さ。
飲めない飲むは餃子のたれではなくて酢と胡椒で食べます。この食べ方確か「孤独のグルメ」でもやっていたかな。
続いてトマトの卵炒め。

前回もこれを頼んだのですが、森の熊さんがトマトをほとんどかっさらったと言うので、今回は飲めない飲むが先にトマトを確保します。私はトマトが苦手なので有り難いのですが、トマトが好きな二人は争奪戦でした。
今度は私のオーダーでレバニラ炒め。

レバーは我が家では出ない食材なのでここで頼まないと。レバーのほろ苦さとにらともやしのシャキシャキ感がいい。
ついでにビールをもう1本。
ここで森の熊さんが回鍋肉を注文。

う~ん、野菜炒めとどう違う?回鍋肉はほぼ材料は同じだけど味噌味で、野菜炒めは塩コショウ味かな。
とにかくビールをもう1本。
飲みながら私がスマホの持っている能力の10分の1も使えていないと愚痴ると飲めない飲む以外はみんな激しく同意。最近ではスマホでないと飛行機もJRも乗れなくなりつつあって腹立たしい限りですが、飲めない飲むに言わせるとすごく便利になった。ついて行けない年寄りはどうすればいいんじゃ。年齢差以上に情報リテラシーの差が大きいのでしょうけど今更手取り足取り教えてもらうのも癪でスマホ初心者マークを付けたままの私です。
今回飲めない飲むは定食を食べなかったので、ビールを飲む代わりに締めでニンニクチャーハンを頼みます。

普通のチャーハンよりニンニクチャーハンは30円高かったので、30円分ニンニク増しましと言うことか。
ここではげ親父がコートで飲み切れなかった缶ビールをテーブルに出します。

持ち込みのビールとはおきて破りですが、おかみさんに聞いたらいいよと言うので最後の〆のビールにしました。
お昼の営業時間終了の14時になったので、お勘定。
お勘定は5520円でしたが、前回飲めない飲むが割り勘にもかかわらず220円しか出していなかったので、今回は2千円出すことになり、私たち3人は一人1000円となり、足らずまいの520円は基金から出しておきました。
まあ、単純に割り算しても一人1500円でおつりがくるので、ここの店は安い。
毎度ながらいい気分で酔っ払って歩いて帰りました。
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2月24日熱田神宮公園テニスコート

2024-02-26 08:06:01 | テニス
前日は1日雨の日でしたが、この日朝起きると雨は上がっている。

丁度6時35分の日の出の時間だったのでベランダから1枚。歳をとるとやたら朝早く目が覚めるようになって、最近では5時30分には目が覚めてしまい、ウトウトと布団の中で粘っても45分には起床する日々です。若かりし時、休日は9時過ぎまで寝ていた頃は夢のようです。寝るのにも体力がいるんだと思う今日この頃です。
天気は穏やかですが、風は冷たい。
10時30分に家を出て熱田神宮公園へ行くと既にはげ親父がコートにいました。

どうやら9時からの利用はなかったみたいです。
暫くして森の熊さん、飲めない飲むも登場。4人で軽く乱打をしているとカバちゃんも登場。ちょっと見小野ヤスシさんは風邪を引いたのか体調不良とかで欠席。この日は5人です。
5人になったのでボレーとストロークに分かれて乱打を一回り。
休憩になると早速森の熊さんが持参のビールを出します。森の熊さんが500缶3本、はげ親父が500缶2本を持ってきているのですが、飲むのは私を入れて3人なのでこれはちょっと多いのでは。ビールを飲みながらテニスをやったので先日肉離れになったような気もして躊躇いながら出されれば飲んでしまう意志の弱さです。
まあ、ビールを飲んで一息ついてからじゃんけんして試合にします。
最初は森の熊さんと組んではげ親父、カバちゃん組と対戦。この試合は最初だからか調子よく勝ち、はげ親父は相変わらずサーブのダブルフォールトが多いので3:1で勝利。
コートは前日からの雨上がりで湿っていてそれなりにしまっていたのですが、相変わらずイレギュラーは多いのはやむを得ない。
休憩時間には柿の種をつまみにビールを飲みます。

次の試合ははげ親父と組んで飲めない飲む、森の熊さん組と対戦。この試合は2ゲーム連取したのですが、ここから2ゲーム連取されてしまい、2:2の引き分けに持ち込まれてしました。すんなりと勝ち抜けることはできません。
続いて飲めない飲むと組んで森の熊さん、カバちゃん組と対戦。強力コンビに1ゲーム取れればと臨んだのですけど何とか2ゲームは取って2:2の引き分けに持ち込むことが出来ました。飲めない飲むは時折すばらしいショットが出るのですが、本人もどうして打てたのかよく分からないからか再現性がないと言うか続かない。でもそれがゲームの肝心なポイントで出るとゲームを取ることが出来ます。
ところで新しく整備したパーゴラですが、風を通すためか雨が降ると雨だれが落ちてきて、加えて屋根に樋がつけていないので地面がだんだん雨だれでえぐれてきています。

雨だれが落ちるところは人工芝を敷くなり養生が必要かと思うのですけど如何。
ここで本来は私は休憩の順番なのですが、ビールをひたすら飲んでいた森の熊さんはリタイアの申し出。代りに私が出ることに。と言うことでカバちゃんと組んで飲めない飲む、はげ親父組と対戦。一進一退の展開でしたが、最初の私のサービスゲームをデュースを5~6回続けた挙句に落として1:3の負け。
デュースを続けたおかげで予想外に時間がかかって12時50分に。ここでコート整備をして終了にします。


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「小田嶋隆の友達論」

2024-02-22 20:35:42 | 
小田嶋さんによると、最近の若い人たちは(こういう言葉が出るようでは年取った証拠なのですが)、友だちの数が人間の価値を判定する指標になっているとか。論敵に対して「どうせお前のような奴は友だちもろくにいない淋しい人間に決まっている」と罵声を浴びせる。
でもこれは小田嶋さんには新鮮な驚きであるとともに、一匹狼気取りの単独行動者には何を言っているやら。
そう言えば今はfacebookなどでは矢鱈と全く見も知らない人から友達リクエストが来るのだが、それもその延長?詐欺の類もあるのだろうけど友だちを求めている風潮が基底にあるのだろう。
この本は一匹狼の小田嶋さんが友だちについて考察して持論を述べた本です。

高校時代や大学時代に親しく付き合った親友は学校と言う施設の副産物、社会に出ると利害関係や上下関係が介在しているので新しい友だちは作れない。う~ん、ちょっと納得いかないところもあるけどな…その意味では学校を出てもずっと同じ地域に住んでいていつまでも学校時代の連れとつるんでいるヤンキーは友だちに恵まれている。小田嶋さんは友情は子どもとヤクザの専売特許と喝破しているのだが、友情にくるまれて生きるヤンキーは幸せかもしれない。「ヤンキー経済」を読むと地方の活力のもとは彼らのような気がする。
大学を出た人間は、地域から分断され、生まれたと街の地域とは別の枠組みに参入する。これはよく分かる。大学を出て大企業に入ると企業に身をゆだね辞令1枚でどこへでも行く流民と化す。故郷は遠くにあって思うものとなっている。
なかなか刺激的な論考が進められていますが、納得できる部分とちょっと違うかなと言う部分があり、いつもながらの小田嶋さんの私の思ってもいない視点からの論理展開には結構いろいろ考えさせられました。
各章の終わりには先人の箴言がのっていて、それに対する小田嶋さんが反歌を短く書いていますが、それだけを読んでも楽しめます。時間がない人はそこだけ拾い読みしてみたらどうでしょう。そこだけでなく皮肉に満ちた箴言がたくさん載っていて感心しきり。
「親友の借金を断る人間は親友とよべない」と言う話は、逆方向から見れば「親友に借金を申し込む人間は親友とよべない」う~ん、そうかもね。
友だちとはちょっと違うのですが、職場で用もないのに人が寄ってくる上司は出世すると言うのは実感で、人間力は仕事の実力と同じように評価される。自分自身もみんなが顔を出してくれるとうれしく思っていたのですが、それは友だちとは違う人徳と言うもので私には人徳はなかったみたいです。
この歳になると日常的に付き合う友人も日々疎くなって一人減り二人減りとなり、親友とは誰か、真の友だちとは誰かなどと眠れぬ夜に寝返りをうちつつ考えてしまうこともあって、文章は読みやすいのですが、内容は結構自分の人生の来し方に突き刺さってきて重い本でした。
もう1冊は暇に任せて飛ばしつつドンドン読めるような本と言うことで、大沢在昌の狩人シリーズの最初の本。今回の主役は秋田のマタギの孫の梶雪人で、親が殺された事件の真相を探る為新宿に出て来たことにより封印して来た地獄の釜の蓋が開きひと騒動。先日レヴューした「冬の狩人」と重なるのは新宿署の刑事の佐江のみです。

ところで借りて来て本を開いてみたらハードカバー340ページで小さな活字の2段組。最近老眼が進んできた身としては見ただけでパスしたくなったのですが、せっかく借りてきたので我慢して読んだのですが、読みだしたら一気でした。
内容は読んでもらえばいいのですが、この小説は1996年に中日スポーツ連載したもの。読んで違和感を感じたところはこの当時はまだスマホはおろか携帯もみんな持っていない。ポケベルを持っていて、ポケベルの文字表示があると言う世界。新宿は台湾マフィアと中国マフィアが暗躍して日本の暴力団としのぎを削っていた時代。1995年ぐらいの新宿の雰囲気とか風俗が分かって、時代の空気を感じます。名古屋の田舎者で憧れの東京のいろいろな情報を一生懸命集めた記憶がふつふつと湧いてきました。
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2月18日熱田神宮公園テニスコートの後は5人

2024-02-20 09:17:49 | テニス
終わってえみちゃんを除く5人でいつもの町中華「豊盛」へ行くのですが、その頃から本降りになってきて結構濡れてしまいました。

真ん中の席を占拠してまずは瓶ビールで乾杯。

私は管理事務所へ鍵を返却してきたので少しだけ遅れて入ったのですが、お決まりの青菜炒めが頼んでありました。

ひとり暮らしの森の熊さんは野菜を食わねばあかんど~と言うことです。
さらに私の苦手なトマトの卵炒めも注文します。

私がトマトが苦手と言うことを知っている森の熊さんがトマトを集中的に取ってくれましたが、飲めない飲むが取る時にはトマトがない事態に。森の熊さんはトマト大好きみたいです。
ビールはあっという間に空いてもう1本追加。
飲めない飲むは車なので定食を注文。今日は焼きそば定食です。

焼きそばはみんなでシェアしようと提供してくれます。と言うか定食以外の料理も結構食べていましたから当然ですね。
私は家では家族が苦手と言うのでほとんど食べられないレバニラを注文。

こうなるとビールが進み追加。お上sンが奥にいて声をかけてもなかなか出てこないので、冷蔵庫から勝手に取ってしまおうかと思ったのですが、まだまだそこまでの常連ではないか。
この日は結局ビールは5本でした。
定番の餃子も2人前注文。1人前が6個でした。

もう少し華があるものも欲しいと言うので割り勘だからいいかとエビチリを。

エビは6尾だったのですが、最後の1尾はビールを飲んでいないと言うことでお約束の飲めない飲むが食べました。
まあ、みんなで割り勘だからいいかと思ったのですが、ビール1本分以上は食べているのでちょっと優遇しすぎかも。
1時間ほどでお勘定にしたのですが、6260円

安い!瓶ビールは1本500円で、餃子は1人前270円。一番高い料理はエビチリで750円でした。
飲めない飲むが1万円札しかないと言うので酒を飲んだ4人が1500円づつ出したのですが、これだと飲めない飲むは260円だった。1500円でも安かったしみんな酔っぱらっていたので文句はなかったのですが、やっぱり優遇しすぎだったか。
店を出ると丁度雨はやんでいてそこから歩いて帰りました。

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2月18日熱田神宮公園テニスコート

2024-02-19 09:02:54 | テニス
朝から雲が空を覆っている
日の出時間の午前6時35分の空の様子ですけど太陽は全く顔を出そうとしません。

予報ではこの日は一日こんな天気で時折雨が降る時もあるみたい。肉離れした右ふくらはぎは歩くには支障ないのですが、走ったりすると痛みが走りまだ違和感があります。あまり無理しないようにボチボチテニス復帰とします。
細かい雨がぱらつく中を10時25分に家を出て熱田神宮公園へ。

管理事務所の前には「思いのまま」が咲いてきました。この梅は1本の樹に白とピンクの花が咲きます。
ところで受付のため管理事務所に入って行っても事務所に誰もいない。声をかけても応答なし。暫く待っても誰も出てこないので仕方なく電話をかけたらやっと職員が出てきました。この日は1059さんの名義だったのですが、受付をする時に県から指示があったとかで本人確認を徹底しなくてはならなくなったとかで、本人が来られない時には電話をかけて代理の人が行くと連絡しろとのこと。どうも面倒なことになったものです。
コートに行くとはげ親父が待っていて、森の熊さんと飲めない飲むが登場。暫くするとえみちゃんに1059さんが来てこの日は6人です。
早速ボレーとストロークに分かれて乱打をします。でも私はまずはストレッチと準備運動を入念にです。
一回りすると休憩です。
森の熊さんは毎度ながらビールを持参。私もご相伴にあずかります。
えみちゃんはあられとチョコレートを出してくれました。これもありがたく頂きます。

それではじゃんけんして試合にします。
最初は1059さんと組んで森の熊さん、えみちゃん組と対戦。この試合は私も1059さんもイージーミスが多くて3ゲーム連敗。何とか最後の1ゲームを取ってやっとの思いで1:3と言う結果。
まあ、あまり頑張ってまた足を痛めてはいけませんから…
次の試合はもう一度1059さんと組んではげ親父、飲めない飲む組と対戦。この試合も2ゲーム連取されてしまったのですが、ここから頑張って2:2の引き分けに持ち込みました。こんなもんでしょう。
天気は相変わらず雲が低く、時折細かい雨が降ってきたりします。

今度は組み替えて森の熊さんと組んでえみちゃん、飲めない飲む組と対戦。継続性はないのですけど時折出てくる飲めない飲むの早いストロークと強運にてこずり一進一退の展開。最後のゲームを勝ちきれず結局2:2の引き分けに。風はないし、眩しくもないのですが、イレギュラーは相変わらずで運の良しあしが出てきます。
もう1試合も森の熊さんと組んではげ親父、1059組と対戦。2週間ぶりのテニスでだいぶ疲れも出てきたのですが、何とか踏ん張って2:2の引き分けに持ち込みました。
この頃から細かい雨が絶え間なく降り出してきて、はげ親父、1059組とえみちゃん、飲めない飲む組の試合をしたら10分前で終了。
コート整備をして帰りますが、天候としては雨が降り出してきたので丁度いい時でした。
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大高南から大高へ徘徊

2024-02-16 18:49:38 | Weblog
天気もいいし、午後は何も予定がない(基本的にない今日この頃です)ので、JRで使える敬老パスの南の果ての大高南へ行ってきました。と言っても熱田駅から乗ると10分ほどですけどね。
右足を肉離れで痛めてもう10日たったのですが、歩く分には支障がないのですが、走ったりすると足に痛みが走る。これだと再発が怖いのでテニスは無理か。リハビリになるかどうか分からないけど散歩という名の徘徊をします。
南大高駅は新しい駅ですが、一度も利用したことがないので様子を見て大高駅まで歩くことにしました。
さて駅を降りるとイオンの巨大な建物がデッキでつながれている。一応イオンの中も一回りしたのですが、広い!熱田イオンと比べると土地代が安いのか通路など全体にゆったりしていて、映画館も併設されている。テナントも微妙に違っていて、まるは食堂もあるのだがそのためにここまで来るのはどうか。
イオンを出たら西側の道を大高に向けて北上します。
地図も案内板もないのですが、ほぼ一本道で森の里団地の横を通り、中学校や小学校の横を抜けていくと大高城址の表示があったのでそちらへ行ってみるとどうやら搦手みたいで、民家の横を通り城の本丸へ行く道が分かりません。保育園の横を通って道に出てさらに北上。
しばらく行ってそろそろ少し東へ入るかと曲がって行くと何やら趣のある建物が。

玄関の看板を見ると「萬乗酒造」の文字。ここがあの醸し人九平治の醸造所か。小売りをしているのなら買いたいところですがそれはないみたいです。
さらに東へ行くとさりげなく大高城址の案内があります。

その三差路を右へ入っていくと大高城址です。

教育委員会の案内看板もありました。

分かりやすい縄張りとか二の丸跡、本丸跡とかの説明があってもいいかと思うのですが、そんな愛想なしの案内です。
取り合えず入るところにもう少し大きな看板を立ててもいいのではないでしょうか。大河ドラマ「どうする家康」の舞台になったころは結構人が押し掛けてきたと思うのですが、その頃はのぼりでもたっていて分かりやすかったのか?周りは民家が立て込んでいる住宅街で近くに駐車スパースもないので来てもらうと迷惑なだけだったか。
登っていくと本丸跡は平な広いスペースで、東を見るとJRの線路を挟んで丸根砦、鷲津砦があった小高い山がよく見えます。

緑区役所の電波塔の方向の手前の小高い丘が丸根砦跡です。
眼をもう少し北に転じて見えるのが鷲津砦跡。

JR大高駅のすぐ東です。
本当はここにもこれが丸根砦でこれが鷲津砦と言う案内板が欲しいところです。
こうしてみると当時の海岸線はかなり入り込んでいたはずで大高城は岬のようなところに立地していて鳴海城とともに今川方の最前線となっていたことが分かります。織田方によりその最前線の城を押さえこむために指呼の距離で丸根、鷲津の砦を築かれてしまい、城側としては兵站線を確保するために苦労していたのが分かります。その窮地を救うため今川義元は家康に兵糧運び込みを命じたのですが、そう考えると今川方の出陣は大高鳴海LINEの確保が第一目標で上洛と言う大それたものではなかったかも。
今は砦と城の間は民家がぎっしりと建っていて地形がよく分からなくなっていますが、当時は低地で野原だったでしょうから、砦からは道を見下ろして動きは丸見え。守備兵だけではジリ貧になるしかなかったのでしょう。
城跡からは駅を目指して東に歩きます。
大高駅に着いてロータリーを見回すと一応史跡散策路大高城下コースの案内板が設置してありましたが、何とも目立たないし、途中の道にコース案内もない。

見るとJRの線路をくぐって鷲津砦、丸根砦迄コースになっていました。
今度機会があれば天気がいい時に大高駅から鷲津、丸根砦跡を行き、大高緑地公園を抜けて鳴海まで行ってみましょう。



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細川重男「鎌倉幕府の滅亡」

2024-02-14 15:49:58 | 
前にレヴューした呉座さんの本に紹介してあったものです。

あんなに堅固だったはずの鎌倉幕府が何故あんなに簡単に滅亡してしまったのか?
その理由を鎌倉幕府の権力構造の変遷から解き明かしています。
そんなに専門的なものでもなく文章も読みやすく、足を痛めてやることもない中で仕方なくと言う面もありましたが結構すいすい読めました。
鎌倉幕府成立当初は、源頼朝と結びついた東国武士団を主体とする御家人を構成員とした組織で、建前としては鎌倉殿の前に平等であった。
頼朝死後は将軍の地位は若い頼家が継承したが、幕府としては13人の合議制の最高議決機関が設置される。これはまさに大河ドラマの「鎌倉殿の13人」の世界なのだが、壮絶な御家人間の抗争となる。その経過が簡単にまとめられていますが、梶原景時滅亡、阿野全成誅殺、比企の乱、源頼家暗殺、畠山合戦、牧氏の変、そして激しい内戦となった和田合戦などなどすさまじい内部抗争でまさに仁義なき戦いの世界。権謀術数の限りを尽くし最後は剥き出しの暴力で決着をつける。「鎌倉殿の13人」を見ていただけに、登場人物を演じていた役者の次々と名前が頭に浮かんできて、ドラマを見る前に読んでいたらもっとわかりやすかったか。
抗争は北条義時の勝利で終わったのだが、その結果源実朝暗殺をもたらし、後鳥羽上皇による承久の乱が勃発するが、幕府軍が朝廷軍を撃破。
北条義時は政所別当、侍所別当を兼ねる執権として幕府最高指導者となり、幕府の権力を集中する。その息子泰時の時代になると政治訴訟制度を整備し「関東御成敗式目」を発布、評定衆を設置、合議制と法治主義に基づく執権政治体制が完成する。
それでも泰時死後には執権派と将軍派との抗争宝治合戦が勃発、執権派が勝利。その後訴訟制度を整備して権力基盤の安定のため迅速で公平な裁判と言う御家人たちのニーズにこたえる政策を実行、幕府としては安定期を迎える。
執権政治の体制が完成する一方、幕府の公職である執権職と北条氏家督である得宗という私的地位の分離が起こり元執権である北条氏家督が幕府の最高指導者となっていく。
やがて時宗の代になると二月騒動を経て将軍権力の代行者として将軍を制度的に棚上げし得宗専制政治となるのだが、鎌倉幕府は安定期と言えども内部抗争を繰り返し要所要所で敵対者を暴力で排除している。そう思うと平安時代には権力闘争はあっても暴力的に抹殺することはなく、まさに平安な時代。京都の朝廷から見れば鎌倉の武士団は暴力団に他ならない。
時宗は独裁的権力を得て蒙古襲来「元寇」に対応していく。時宗独裁体制でなければ元寇という未曾有の危機に対して機敏に対応できたかと思うと歴史の妙を感じるのですが、個人独裁はあまりにも時宗に権力が集中したため時宗死後にその体制が問われる。
特権的支配層の代表である寄合衆の合議機関である寄合が最高議決機関となる。それでも例によってより寄合衆の中での主導権争いは絶えず、平禅門の乱、霜月騒動、嘉元の乱と続く。
時宗は対蒙古政策のために西国の非御家人を正式に御家人にし、全武士階級を幕府の支配下に組み入れようとしている。しかし全国の武士を統制するには幕府の実務行政能力を超えており、地方支配機関への分権しか対応できない状況となっていた。それでも幕府中央要職は世襲によって特権支配層に独占されており、非御家人の御家人化は旧来の特権身分のはく奪であり、地方機関への分権や守護の権限強化は鎌倉幕府の中央集権制の否定となる。独裁者時宗亡き後には強権的に推し進めることはできずにその試みは霜月騒動を経て放棄され、御家人制度はこれまでと同じく閉鎖的なものにとどまった。
鎌倉後期の御家人たちの大半は政権中枢から排除される一方各種軍事的経済的負担は課せられ続けていて、東国武士政権の性格から本来関わる必要のない西国の諸問題にも振り回されるようになってしまった。
現実の武士社会に適合したニーズに的確・迅速に対応するための守護探題といった地方機関に支配権を付与すると言った御家人制の根本的な改革が必要だったのだが、その萌芽は霜月騒動によって葬られてしまった。その後の幕政改革は小手先のものとなり、多くの武士の支持を失った特権階級の支配する鎌倉幕府はあっけなく滅んでしまう。
鎌倉幕府を滅ぼした動乱は武士たちにとっては新たな武士社会の秩序を構築するための源平合戦に続く二度目の熾烈で長い「いっせい殺し合い」だった。
この動乱後に成立した室町幕府の体制は守護による間接統治の体制を取り、武家社会の中央集権から地方分権制への体制変換だった。
鎌倉幕府が滅亡した理由として得宗北条高時が極悪非道で統治能力がなかったからなどと言われるが、高時の個人の資質よりも幕府を牛耳ていた特権支配層が鎌倉では盤石な体制であっても全国の武士からは遊離していて新しい武士のための体制が求められていたことが、あまりにもあっさり崩壊した理由なんだろう。



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2月12日鶴舞公園テニスコート

2024-02-12 20:40:31 | テニス
 本日はup主が不在のため、代打がupします。up主と違い写真がありませんがご容赦ください。
今日は当初参加予定者が8名でのんびりテニスができると思っていたところ、ヤッターマンとちょっと見小野ヤスシさんから続けざまに「のどが痛い」という理由で欠席の連絡がありました。寒暖差が激しい日々のせいで体調を崩す人が増えているようです。さらにはげ親父おやじから「今は青空なのに、天気予報で9時から雨模様」との連絡、慌ててウェザーニュースを見ると確かに9時から10時まで傘マーク、さらにえみちゃんも「雨降るみたいですね、9時の天気を見て決めます」と言ってきました。まさに家を出ようとする時の立て続けのLINEにこちらも様子を見ることにしました。するとはげ親父から「行きますけどね」と突然の連絡、「だったら私もすぐ行きますわ!!」と送り返し、あたふたと出かけました。
 コートに到着すると2人しかおらず、再び心配に。ほどなくあと2人現れ結局5人で始めました。ところが出席予定のup主は現れず、とりあえず5人で始めようとショートラリー、ストロークラリー、ボレーと練習します。いつもはボレーだけなのですが、今日は女性陣がやる気満々でしっかりウォーミングアップをしました。
 試合経過はup主のように詳細な経過を覚えていないので概要にとどめますが、突然風が強く吹いたり日が差したりまた曇ったりの天気でした。結局雨は一滴も降らず、天気予報は見事に外れでした。そして全員が一回りしたところで11時45分となり、終了となりました。
 お昼は私とはげ親父、1059さんと3人で行くことになりました。前回鶴舞公園の後で訪れた時にあわびの肝や恵方巻をサービスしてくれた「徳ずし」へ再び行き、おまけを沢山もらおうという浅ましい気持ちとともにいそいそとガード下へ入ったところ店の中が暗い。前回と同じ月曜日なのになぜ?と訝しく思っていましたが、「そうか休日か」という声が。どうやら月曜日でも休日は休みのようです。仕方がないので、昼のメニューは乏しいのですがやむを得ず「おらが蕎麦」へ行くこととしました。

休日のせいか結構混んでいて、食べ始めしばらくすると順番待ちの人たちが出始めました。2人はアルコール分を補給しているので立ち食いそば屋のようにさっさと終わるわけにはいかないので、料理を食べきらずに皿に少しだけ残して店員に持っていかれないよう姑息な手段を用いて1時間弱粘りました。とはいえ気の小さい小市民である私たちはそれ以上は居座り続けることはできず、やむなく会計をして(4,000円ぐらいだっかな?)帰りました。
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名古屋市立大学「お城」連続講座第3回

2024-02-12 18:09:34 | Weblog
新聞で名古屋市立大学寄付講座(名古屋近世学)開設記念の連続講座第3回「家康の城の特色」の募集記事を見たので、申し込んだら運よく当選。友人を誘って行ってきました。

名古屋市教育センターで13時開演で12時開場だったのですが、お昼を食べて12時40分ごろに会場到着したら受付に長蛇の列。今はちょっとしたお城ブームなのでみんな関心が高いのかお昼もそこそこの人が多いみたいで出遅れました。なんとか後ろの方に空きを見つけて着席しましたが、時間までどんどん人が入ってきます。
教育センターは定員800人。なんでも最初の浅井学長の挨拶によるとこの連続講座、人気が高くて段々収容人員の多い会場にしたのですが、それでも今回は定員の倍の応募があったとか。当選したのは幸運でした。確かに会場の座席はほぼ全部埋まっていて盛況です。

最初は石垣が専門の佐賀大学教授の宮武正登さんの講演。家康は城作りが下手と言われているけど決してそんなことはない。石垣を見てみると家康の作った城は先進的な手法をきちんと取り入れている。石垣を見て時代が一番わかるのは角隅。戦国後期に急速に石垣が発達するのですが、野面積みでも次第に算木積みの手法が取り入れられてくるようになり、角の線がきれいになってくる。当初は自然石を積み上げただけでデコボコなのだが次第に形が整ってくる。長い石を交互に積み上げ間に敷石を入れて補強する。その積み方によって時代が分かるのだが、例えば岡崎城の一部の石垣では途中で明らかに不連続な面があり下部は家康の時代の積み方。不連続なところを見ていくと石垣の経てきた時代の変遷が分かる。今の大阪城は夏の陣後に徳川が再建したものですが、発掘により埋まっていた大阪時代の石垣が出て来て時代の変遷が分かる。時代とともに石垣の石の加工技術が上がってきて表面が平らに加工され隙間なくきれいに積み上がるのだが、石垣の土木技術と石の加工技術は別なので、一番肝心なことは積み方みたいです。
う~ん、石垣一つでも奥が深い。後で千田先生が言っていましたが、石垣だけで1時間講演する宮武先生はすごい!
第2部は千田先生の講演。奈良大学教授だったのですが、23年の9月から名市大の教授になりました。愛知県出身で名大付属中高卒業なのでやっぱり名古屋がよかったのでしょうか。最近ではお城の専門家と言うことでテレビの歴史番組の出演も多く、お城ブームに乗って売れっ子です。そのためかステージ慣れしていて愛想を振りまき、受け狙いのギャグもふんだんでした。
家康の城と言えば何といっても名古屋城なのですが、この名古屋城は馬出が沢山作られ重厚な枡形虎口と言い極めて戦闘的な城。しかし本丸南の馬出は残念なことに大正時代に撤去されてしまったとか。また当初建設している時には豊臣の脅威が大きかったのですが、建設途中には豊臣をほぼ大阪に押し込めており、城の位置づけも戦闘色が薄まっている。実は名古屋城天守西側の石垣に穴を埋めた跡があるのだが、これが何か不明だったのが、お濠の調査によって基礎が見つかり西側に小天守を建てる予定で天守とつなぐ通路を作るための穴だったことが分かった。結局西側小天守は必要ないと言うことになり、謎の穴を埋め後だけが残り今に至ったと言うことです。さすがお城研究の第一人者、話は面白く話題豊富で引き込まれました。
今回は第3回と言うことで徳川の城についてでしたが、第1回、第2回の信長の城、秀吉の城についての講演も聞きたかったと思ってもこれは後の祭りでした。
最後に第3部として宮武教授、千田教授が出て来てお城談義。

会場からあらかじめ出されていた質問に答える形でフリートークなのですが、ちょっとびっくりしたのが質問のほとんどは十代の人から。会場を見渡せば圧倒的に高齢者が多かったと思いますが、同じような質問だったら出来るだけ若い人の質問を優先したと言うことなのでしょうけど、熱心なお城ファンの若者も多いみたいです。
千田教授は盛んに名市大のPRをしていましたが、学長も来ていたことだし赴任したばかりなのでヨイショに励んでいました。
講演会はほぼ2時間30分でしたが、内容豊富で興味深く講演を聞くことが出来ました。
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東野圭吾「ラプラスの魔女」

2024-02-10 08:43:23 | 
足を痛めてしまって、外出もままならなず、テレビを見るか本を読むしかない。
今度読む本は東野圭吾の「ラプラスの魔女」なんですけど、ラプラスの魔女って何?

読み進めていくと分かるのですが、ラプラスと言うのはフランス人の数学者。「もし、この世に存在するすべての原子の現在位置と運動量を把握する知性が存在するならば、その存在は物理学を用いることで、これらの原子の時間的変化を計算できるだろうから、本来の状態を完全に予測できる。」という仮説をたて、その存在のことはラプラスの悪魔と呼べれるようになる。
この物語は、ある事故で意識不明となった少年に行った脳に電極を埋め込む新しい手術の結果、その少年は驚異的な物理現象の予測能力を身に付け、そうラプラスの悪魔となっていき、その能力を使い復讐のための完全犯罪を行っていくのだが、その犯罪を阻止しようとする自ら志願して手術を受けた少女羽原円華が主人公。
狂言回しに地球化学者の青江教授とか、麻布北警察署刑事の中岡とかボデイガード武尾に事務の桐宮玲と言った面々が絡んでくるのだが、話の筋がどう転がっていくのか分からないまま引き込まれていく。
人間の脳は多くの部分が使われていなくて潜在能力は計り知れないと言うのは聞いたことがある。ある部分に電極などを埋め込んでその能力を活性化できるとしたら驚異的な予測能力を身につけることも可能になると言うのはなさそうでありそうなこと。イーロンマスクが最近人間の脳にICチップを埋め込む実験をしたようなことを読んだが、中国当たりでは秘密裏に大規模な実験をしているような気もする。最近の脳科学研究の進展は目覚ましいものがありますが、さすがにこれはファンタジーでしょうが、出来そうもないことを語りながらひょっとしたら出来るかもと思わせる展開は見事です。さすが東野圭吾さん、手慣れたものです。
もっとも手術で獲得したのはあくまで予測能力であって、予知能力ではないし、ある意図を持った現象を起こすことも出来ない。
その面では如何に予測できたとしても、その現象が都合よく望みの場所の望みの時間に起きるようにできる訳ではないので、その予測だけで犯罪(意図としては犯罪なのだがある意味呪いのようなもの?)を実行するには無理がある気がする。
それでももし手術でこんな能力が獲得できるとしたらその能力を持つ人は人類を超えた存在と言っていいのだろう。神に一歩近づいた存在として崇められるのだろうか。多くの人に手術を行いその能力が当たり前のものになった世界は如何?)。この小説の最後に円華はこの世界の未来について質問され、知らない方がいいと答えています。
文庫本ですが500ページ近くを一気に読むことが出来ました。
もう1冊は逢坂剛の「大迷走」です。おなじみの御茶ノ水署生活安全課の梢田巡査長と斉木係長に五本松巡査部長に警視庁生活安全部生活安全総務課管理官牛袋サト警視、さらにはキャリア警察官で生活安全課長に赴任してきた立花信之介といったおなじみのメンバーが繰り広げる御茶ノ水警察署シリーズの初長編。
このシリーズは気が付くと手に取って読んでいるのですが、最近記憶力が減退しているので手に取っても読んだかどうかわからない。最初の数ページを読んでも定かな記憶がない。まあいいかと思って借りて読み出したのですが、やっぱり読んだことがある。それでも細部は覚えていないところが多くて、次はどうなっていくのかなと考えつつ結構面白く読めました。
それにしても今の世の中、ありとあらゆることがSNSを通じて暴露されているので、地域巡回に行くと言って早飯を食べビールを飲むなんてことはすぐにバレて処分必至。古き良き時代のファンタジーですか。もっとも昔でもそんな警官はいなかったはずで、私の知っている警官は融通の利かない堅物ばかりでした。
シリーズ物はいろいろな筋がごっちゃになっているので、何冊か読んでいるとどれを読んだかどうか分からなくなっている。でも登場人物のキャラは分かっていて今度はどうかかわっていき絡んでいくのかもツボを外さず安心して読み進められました。

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