テレビドラマで大評判だった「下町ロケット」
このシリーズのドラマの原作を読んでいなかったので読んでみました。
2冊に分かれていますが、テレビドラマでもワンクールだったように、一部二部といった感じで一連の物語。
よく「読んでから見るか」「見てから読むか」どちらがいいかと言われていますが、経験上小説よりも素晴らしい出来の映像はあまりありませんでした。
読んでから見るとたいていは自分の思い描いていた人物と微妙にずれがあって、なおかつ映像化が事実上無理な話もあり、なんか違うな~という感覚になることが多々。
それでは見てから読むとどうか。今回はこのケースなのですが、映像化可能な現実世界の制約を受け、ドラマの役者さんのイメージが登場人物に色濃く反映されてしまうため、想像力の羽ばたきを狭めます。
まあ、阿部寛のようなかっこいい社長さんはいないだろうし、経理部長の殿村の立川談春ではバッタ顔ではないでしょう。どちらもドラマでは大好きな登場人物ですけど。天才技術者島津裕もどうしてもイモトアヤコの顔が浮かんできてしまって、適役かもしれませんがなんか違和感もあります。
読んでいくとついついドラマの登場人物が浮かんできて、どうなのか考えてしまいます。
それでもさすがに池井戸さんの人気シリーズだけに、話のテンポもよくグイグイ小説の世界に引き込まれていきます。今回は単純に大企業帝国重工対中小企業佃製作所という図式ではなく、そこにギアゴーストとかダイダロスをはじめとした300社にも上る中小企業が参加した「ダーウィン・プロジェクト」との三つ巴の展開となりなかなか話の落としどころが見えないのも魅力です。
ふたつの話をつなぐギアゴーストの社長が「ゴースト」では佃製作所にある意味おんぶにだっこで助けてもらって、「ヤタガラス」では突然裏切って敵役になるのですけど、この裏切りの展開はちょっと無理があるのでは。そう言うこともありそうと筆力で押し切っていますが、常識人の私にはそれはちょっとないだろうと思えます。
現実の自動運転農機具についてはかなり実用化への試行があるみたいですが、衛星位置情報による自動運転がそんなにも日本の農業を救うのかは?農業分野の生産性を上げるために機械化自動化できることはもっといろいろな分野で取り組むべきことが沢山ある様な気がします。自動運転トラクターは圃場整備されたコメつくりや北海道などの大規模農園では切望されているのでしょうが、圧倒的多数の中小零細農家では鶏を割くのに牛刀になるのでは。
物語の定番ですが最後は社長の北大路欣也が、すべてを飲み込んだいい人になって御英断というのは、水戸黄門の印籠みたいなものでカタルシスに持って行くのにはいいのでしょうけど、ドラマの世界ですよね。敵役の常務とかでも冷酷苛烈なことばかりして出世階段を駆け上ってきたようになっていますが、現実の社内ではそこまで露骨にグループ企業をいじめ、他を蹴落として、部下を切り捨てる冷酷無比な評判が立てば実績によってそこそこの地位には登ってもそれ以上の評価はされないものです。その人の出世を支える部下が付いてくるにはそれなりの人望があり統率力があるのが普通です。この人ならと擦り寄ってくる人が数多いるような人間的魅力はあり、自分にすり寄る人をかわいがっていけば自ずと派閥ができていきます。特に古い体質の大企業ならば社内の人間関係による派閥と言うか政治力がものをいうものです。往々にしてそれがぬるま湯体質を生み、危機に際してはゴーンのようなコストカッターが登場してくるのですが、なかなか存続の危機に近づかないと受け入れられないものです。まあ、人にすり寄るのを潔くと思わず少し外れたところにいた人間の僻んだ見方ですけど。
日本のものづくりの強みである「すり合わせ」は現場と技術者、大企業と下請け企業の一方通行ではない不断のやり取りを行う中で培われてきたもので、よい品質を保つために一緒に努力してきており、厳しくコスト切り下げるだけのものではありません。どことなくステレオタイプに「百姓から搾り取るだけ搾り取る代官」という図式を彷彿させるような形になっているのですが、その方が読者は感情移入出来て最後のカタルシスが盛り上がると言うことか。
う~ん、それにしても池井戸さん、この物語だけでなく「空飛ぶタイア」「半沢直樹」でもそうですが、どんだけ三菱が嫌いなの。まあ、特定企業としてではなく古い体質のエスタブリッシュメントな企業の象徴として敵役としてピッタリなんでしょうけど。
このシリーズのドラマの原作を読んでいなかったので読んでみました。
2冊に分かれていますが、テレビドラマでもワンクールだったように、一部二部といった感じで一連の物語。
よく「読んでから見るか」「見てから読むか」どちらがいいかと言われていますが、経験上小説よりも素晴らしい出来の映像はあまりありませんでした。
読んでから見るとたいていは自分の思い描いていた人物と微妙にずれがあって、なおかつ映像化が事実上無理な話もあり、なんか違うな~という感覚になることが多々。
それでは見てから読むとどうか。今回はこのケースなのですが、映像化可能な現実世界の制約を受け、ドラマの役者さんのイメージが登場人物に色濃く反映されてしまうため、想像力の羽ばたきを狭めます。
まあ、阿部寛のようなかっこいい社長さんはいないだろうし、経理部長の殿村の立川談春ではバッタ顔ではないでしょう。どちらもドラマでは大好きな登場人物ですけど。天才技術者島津裕もどうしてもイモトアヤコの顔が浮かんできてしまって、適役かもしれませんがなんか違和感もあります。
読んでいくとついついドラマの登場人物が浮かんできて、どうなのか考えてしまいます。
それでもさすがに池井戸さんの人気シリーズだけに、話のテンポもよくグイグイ小説の世界に引き込まれていきます。今回は単純に大企業帝国重工対中小企業佃製作所という図式ではなく、そこにギアゴーストとかダイダロスをはじめとした300社にも上る中小企業が参加した「ダーウィン・プロジェクト」との三つ巴の展開となりなかなか話の落としどころが見えないのも魅力です。
ふたつの話をつなぐギアゴーストの社長が「ゴースト」では佃製作所にある意味おんぶにだっこで助けてもらって、「ヤタガラス」では突然裏切って敵役になるのですけど、この裏切りの展開はちょっと無理があるのでは。そう言うこともありそうと筆力で押し切っていますが、常識人の私にはそれはちょっとないだろうと思えます。
現実の自動運転農機具についてはかなり実用化への試行があるみたいですが、衛星位置情報による自動運転がそんなにも日本の農業を救うのかは?農業分野の生産性を上げるために機械化自動化できることはもっといろいろな分野で取り組むべきことが沢山ある様な気がします。自動運転トラクターは圃場整備されたコメつくりや北海道などの大規模農園では切望されているのでしょうが、圧倒的多数の中小零細農家では鶏を割くのに牛刀になるのでは。
物語の定番ですが最後は社長の北大路欣也が、すべてを飲み込んだいい人になって御英断というのは、水戸黄門の印籠みたいなものでカタルシスに持って行くのにはいいのでしょうけど、ドラマの世界ですよね。敵役の常務とかでも冷酷苛烈なことばかりして出世階段を駆け上ってきたようになっていますが、現実の社内ではそこまで露骨にグループ企業をいじめ、他を蹴落として、部下を切り捨てる冷酷無比な評判が立てば実績によってそこそこの地位には登ってもそれ以上の評価はされないものです。その人の出世を支える部下が付いてくるにはそれなりの人望があり統率力があるのが普通です。この人ならと擦り寄ってくる人が数多いるような人間的魅力はあり、自分にすり寄る人をかわいがっていけば自ずと派閥ができていきます。特に古い体質の大企業ならば社内の人間関係による派閥と言うか政治力がものをいうものです。往々にしてそれがぬるま湯体質を生み、危機に際してはゴーンのようなコストカッターが登場してくるのですが、なかなか存続の危機に近づかないと受け入れられないものです。まあ、人にすり寄るのを潔くと思わず少し外れたところにいた人間の僻んだ見方ですけど。
日本のものづくりの強みである「すり合わせ」は現場と技術者、大企業と下請け企業の一方通行ではない不断のやり取りを行う中で培われてきたもので、よい品質を保つために一緒に努力してきており、厳しくコスト切り下げるだけのものではありません。どことなくステレオタイプに「百姓から搾り取るだけ搾り取る代官」という図式を彷彿させるような形になっているのですが、その方が読者は感情移入出来て最後のカタルシスが盛り上がると言うことか。
う~ん、それにしても池井戸さん、この物語だけでなく「空飛ぶタイア」「半沢直樹」でもそうですが、どんだけ三菱が嫌いなの。まあ、特定企業としてではなく古い体質のエスタブリッシュメントな企業の象徴として敵役としてピッタリなんでしょうけど。