ご存知半沢直樹シリーズの第4弾。
テレビドラマで大人気のシリーズで、当然私も見ていました。
だからということか、主人公は堺雅人の顔が浮かんできてしまい、中野渡頭取は北小路欣也の顔が浮かぶ。これがいいのか悪いのかよくわからないのですが、想像力に制限がかかるのは事実ですね。
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今回は帝国航空の再建スキームが舞台。半沢が苦難を乗り越え倍返しをするので胸がすっとするのですが、フィクションの形をとっているのですが明らかにモデルがあります。
帝国航空はもちろん日本航空。半官半民の国策会社から始まって完全民営化されてもしがらみの中で大胆なリストラを行うこともできずに、外部環境の悪化になすすべもなく経営危機を招いていった。昔JTBの人と一緒に仕事するときがあったのだが、その時の人曰く日本航空の社員はほとんどコネ入社だからと。危機意識もなく高給を当たり前と思いつつ、考えようともしない社員に採算性を無視した政治路線と経営判断の誤り。にっちもさっちもいかなくなって銀行も入っての再建案を作るのだが、ここで政権交代。
小説では蓮舫と前原をごっちゃにしたようなキャラクターが国土交通大臣になる。だがそこに書いてある大臣直属の私的再生検討チームタスクフォースが再建案を検討するために作られ、航空会社に乗り込ん行くのは実際にあったこと。タスクホースの費用、結果として10億円余りになったとのことですが、大臣の私的チームなのに大臣が予算を出すこともなくというか法的根拠も持たないので出しようもなく費用は航空会社持ちにしたことも事実です。銀行に債権放棄を提案して到底納得を得られずに拒否されたのも事実。
その面では小説と言えども限りなく事実に近い展開なのですが、ここで問題になるのが前原国土交通大臣。小説では女性の白井大臣となっていてキャラは蓮舫と重ねてあるけどその言動は明らかに前原誠司が言っていたようなこと。
今からあと知恵で振り返ると民主党政権になって前の自民党政権のやったことはすべて否定したいという気負いが状況判断を誤らせたとしか思えない。政権交代の高揚感からオールマイティ感があったのだろう。当時は圧倒的な世論の支持もあり何が文句あるのかという勢いでした。
でもそこに見えるのは長期視点の公益を見据えるというよりも、舞い上がってしまってやってやるぜという短期的な功名心によった状況判断。
今、希望の党との合併騒動で前原代表の判断が批判されているのですが、短期的な状況判断で舞い上がって突き進んでいってしまった構図は変わっていないのでは。
たぶん前原さんというのは、こうと思ったらまっすぐに突き進んでいって相手のことを信じこんでしまうのでしょう。交渉相手とは政治家でなくても権謀術策を弄するもので詰めるべきところは議論の余地がないように詰めなければいけないのですが、あまりにもナイーブ。最後の修羅場で力を発揮できずにいいように手玉に取られてしまいます。
ちょっと違いますが、YKK秘録に出てくる「知の加藤」と言われた加藤紘一を思い出します。加藤の乱のときの修羅場での醜態は、魑魅魍魎に住む政界ではあまりにもナイーブという気がしますが、前原も魑魅魍魎の政治の世界ではあまりにもナイーブ。政治の世界ではだますより騙される方が悪いなんて言われますが、人が良すぎて上に立つ資質には疑問があります。それでも例えば金融政策についての造詣は深く、いろいろな政策についても先見性はあると思うのですが、「言うだけ番長」で、その政策の実現可能性についてはどうだろう。その意味では前原もちょっと出来の悪い「知の人」なのか。
まあ、今回のことで否応なくしばらくは雌伏の時を過ごさざるを得ないと思うのですけど。
小説に戻れば、現実にはこんなカタルシスはありえなくて、だからこそ最後の半沢が啖呵を切る場面では胸のすく思いで、よくやった半沢となるのですけど、ありえないからこそのこと。
ところでこの本ではタスクフォースが事実上空中分解するところで終わってその後の帝国航空の多難な道を示唆して終わっているのですが、実際もタスクチームはほとんど役割を果たすことが出来ずに企業再生支援機構に委ねられ、法的措置による処理へと進み、紆余曲折をしつつ稲盛和夫が会長として意識改革を行っていく中で再建を果たしていきます。でも銀行団も法的処理に伴い90%近い債権放棄を余儀なくされるということで、銀行としては苦い経験だったと思います。
これはモデルがモデルで、いまだ民主党政権のとんでもなさとして記憶に残っていることもあってテレビドラマとか映画にはできにくいというか無理でしょう。下手にやると政治問題化してしまいますし、そのリスクを覚悟してまでやるところはないよね。
池井戸潤の小説では、「空飛ぶタイヤ」も現実にあった事故を下敷きにしていますのでドラマ化は難しいというか、いまだ出来ていないと思います。記憶に残っているだけに余計面白いのですけど難しいか。
テレビドラマで大人気のシリーズで、当然私も見ていました。
だからということか、主人公は堺雅人の顔が浮かんできてしまい、中野渡頭取は北小路欣也の顔が浮かぶ。これがいいのか悪いのかよくわからないのですが、想像力に制限がかかるのは事実ですね。
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今回は帝国航空の再建スキームが舞台。半沢が苦難を乗り越え倍返しをするので胸がすっとするのですが、フィクションの形をとっているのですが明らかにモデルがあります。
帝国航空はもちろん日本航空。半官半民の国策会社から始まって完全民営化されてもしがらみの中で大胆なリストラを行うこともできずに、外部環境の悪化になすすべもなく経営危機を招いていった。昔JTBの人と一緒に仕事するときがあったのだが、その時の人曰く日本航空の社員はほとんどコネ入社だからと。危機意識もなく高給を当たり前と思いつつ、考えようともしない社員に採算性を無視した政治路線と経営判断の誤り。にっちもさっちもいかなくなって銀行も入っての再建案を作るのだが、ここで政権交代。
小説では蓮舫と前原をごっちゃにしたようなキャラクターが国土交通大臣になる。だがそこに書いてある大臣直属の私的再生検討チームタスクフォースが再建案を検討するために作られ、航空会社に乗り込ん行くのは実際にあったこと。タスクホースの費用、結果として10億円余りになったとのことですが、大臣の私的チームなのに大臣が予算を出すこともなくというか法的根拠も持たないので出しようもなく費用は航空会社持ちにしたことも事実です。銀行に債権放棄を提案して到底納得を得られずに拒否されたのも事実。
その面では小説と言えども限りなく事実に近い展開なのですが、ここで問題になるのが前原国土交通大臣。小説では女性の白井大臣となっていてキャラは蓮舫と重ねてあるけどその言動は明らかに前原誠司が言っていたようなこと。
今からあと知恵で振り返ると民主党政権になって前の自民党政権のやったことはすべて否定したいという気負いが状況判断を誤らせたとしか思えない。政権交代の高揚感からオールマイティ感があったのだろう。当時は圧倒的な世論の支持もあり何が文句あるのかという勢いでした。
でもそこに見えるのは長期視点の公益を見据えるというよりも、舞い上がってしまってやってやるぜという短期的な功名心によった状況判断。
今、希望の党との合併騒動で前原代表の判断が批判されているのですが、短期的な状況判断で舞い上がって突き進んでいってしまった構図は変わっていないのでは。
たぶん前原さんというのは、こうと思ったらまっすぐに突き進んでいって相手のことを信じこんでしまうのでしょう。交渉相手とは政治家でなくても権謀術策を弄するもので詰めるべきところは議論の余地がないように詰めなければいけないのですが、あまりにもナイーブ。最後の修羅場で力を発揮できずにいいように手玉に取られてしまいます。
ちょっと違いますが、YKK秘録に出てくる「知の加藤」と言われた加藤紘一を思い出します。加藤の乱のときの修羅場での醜態は、魑魅魍魎に住む政界ではあまりにもナイーブという気がしますが、前原も魑魅魍魎の政治の世界ではあまりにもナイーブ。政治の世界ではだますより騙される方が悪いなんて言われますが、人が良すぎて上に立つ資質には疑問があります。それでも例えば金融政策についての造詣は深く、いろいろな政策についても先見性はあると思うのですが、「言うだけ番長」で、その政策の実現可能性についてはどうだろう。その意味では前原もちょっと出来の悪い「知の人」なのか。
まあ、今回のことで否応なくしばらくは雌伏の時を過ごさざるを得ないと思うのですけど。
小説に戻れば、現実にはこんなカタルシスはありえなくて、だからこそ最後の半沢が啖呵を切る場面では胸のすく思いで、よくやった半沢となるのですけど、ありえないからこそのこと。
ところでこの本ではタスクフォースが事実上空中分解するところで終わってその後の帝国航空の多難な道を示唆して終わっているのですが、実際もタスクチームはほとんど役割を果たすことが出来ずに企業再生支援機構に委ねられ、法的措置による処理へと進み、紆余曲折をしつつ稲盛和夫が会長として意識改革を行っていく中で再建を果たしていきます。でも銀行団も法的処理に伴い90%近い債権放棄を余儀なくされるということで、銀行としては苦い経験だったと思います。
これはモデルがモデルで、いまだ民主党政権のとんでもなさとして記憶に残っていることもあってテレビドラマとか映画にはできにくいというか無理でしょう。下手にやると政治問題化してしまいますし、そのリスクを覚悟してまでやるところはないよね。
池井戸潤の小説では、「空飛ぶタイヤ」も現実にあった事故を下敷きにしていますのでドラマ化は難しいというか、いまだ出来ていないと思います。記憶に残っているだけに余計面白いのですけど難しいか。